平凡な女には数奇とか無縁なんです。

谷内 朋

文字の大きさ
101 / 117

cent et un

しおりを挟む
 あれから明生君とはメールのやり取りもするようになった。先週末以降家族との関係は微妙なんだけど、それさえも払拭してしまうくらい今の私は精神的に満たされている。
 今日は早めに出ようかな?姉も帰ってきていないし、弟二人もまだ就寝中。彼は基本的に朝型で五時前には起床するとのこと、私もそれに合わせて早起きをした。
 自分で朝食を作ったとして、また何かしら物を壊したら家族にも迷惑が掛かってしまう。であればこのまま家を出て職場最寄り駅近くの喫茶店でモーニングを食べた方がかえって経済的だと思う。

 只今午前六時と少し前、もうじき姉が帰宅する時間ではあるが、支度も済ませてあるので家を出て鍵をかける。今は冬至の時期よりも多少明るくなっているがそれでもまだ暗い。寒さは今の方が堪えるが、キンと冷えて澄んだ空気は昼間のそれよりも心地が良い。
 私は足早に駅まで歩き、途中のコンビニでペットボトルのホットレモンを買う。ちょっと睡眠不足気味だからビタミンCを補給しておこう。
 この駅は午前四時台後半から運転を始めている。普段利用している時間帯ほどではないが、遠方に勤務されているサラリーマン、OLさんの姿もちらほらと見受けられる。あと意外と疲れ切った方も多い、夜勤明けの方ってこの時間に仕事が終わるのか。
 しばらく待つと電車が到着し、普段以上に空いていて余裕を持って座ることができた。一度市駅まで出てJR線に乗り換える。駅構内はそれなりの人がいたが、ほとんどの乗客は逆方向である県庁所在地行きのホームへと流れていく。
 これからこの時間にしようかな……会社は九時始業だから八時まで開かないけど、最寄り駅の喫茶店、カフェなら七時営業のお店が二軒ある。市駅であれば二十四時間営業のレストランも一軒あるから、途中下車して利用するのもアリか。
 これまで何から何まで姉に頼りきりだったから、多少の負担は減るかもしれない。夜勤明けまでに出勤してしまえばお弁当を作らせる手間だって省け、一分一秒でも長く睡眠を取れるじゃないか。何でこれまでその考えに至れなかったのだろうか?
 私はこれまでの甘ったれた態度を恨めしく感じていた。
 
 喫茶店でモーニングを頂き、解錠さたばかりの社内にいの一番で出社する。
 「「おはようございます」」
 保安の方と挨拶を交わし、誰もいないオフィスに入って業務の支度を始める。パソコンの電源を入れて、その間に今日要る資料ファイルを揃えておこう。まだ少し寒いので暖房を点け、残りのホットレモンを飲み切った。
 「ん?」
 パソコンの立ち上げ操作を終えると、一通の社内メールが受信されていた。発信元は秘書課、何かなぁ?
 【本日午後三時半に八階待合室にお越しください】
 八階?社長室のある階か、一体何の用かな?そう言えば今回人事異動の辞令まだ出てないなぁってそれは人事課か。前回は社長自ら指揮を執られていたけど、十一月にイレギュラーでしてるからさすがに無いでしょ。
 「じゃ何?」
 そう思ったが、考えたところで分からないので取り敢えず保留案件とさせていただいた。

 「少し席を外します」
 通達にあった時刻となったので、一度業務から離れて八階へと向かう。
 「お疲れ様です」
 あっ、境さんだ。
 「しばらく振りです」
 「社長室へご案内致します」
 私は境さんに付いて社長室へ。今は業務中なので私語は慎んでいる状態だが、平賀時計の若社長とはうまくいっているのか?それよりも社長は私に何の用事なんだろうか?などと考えている間のあっという間に社長室の前へ、境さんは涼やかな表情で一際重厚なドアをノックなさった。
 「社長、お連れ致しました」
 『入れ』
 今日はちゃんといらしたわ、たまにだが呼びつけておきながら不在なんてこともままあったりするんだよなあのホスト。
 「失礼致します」
 境さんを先頭に社長室に入ると、相変わらずのホストスタイルでお高そうな革製の椅子に座ってらっしゃる。
 「おぅ、来たか」
 そりゃあ社長に呼ばれりゃ嫌でも来るさ。
 「お呼びでしょうか?」
 まぁ上司と部下の間柄ですから、ここは丁寧に穏便に。
 「あぁ、まずは座れ」
 社長に勧められたソファーの下座に腰掛けると、ホストは私の向かいに座った。
 「あの、ご用件は?」
 そう、一体何の用なんだ?
 「単刀直入に言えば異動の話だ」
 は?
 「えっ?私がですか?」
 冗談でしょ?弥生ちゃん三月で辞めるから人員減るんだよ。
 「あぁ、今回はそれなりの大型異動だな」
 また?イレギュラーで十一月にしたばかりじゃない。
 「私一般職です」
 「内部異動なら一般職は理由にならん」
 「でも……」
 なら何故私なのかますます分からない。
 「だが今回は外部異動への打診だ、西日本倉庫の経理課に行ってもらいたい。返事は来月十日、それまで持ち帰って考えろ」
 冗談じゃない、オリエンテーリングで引率担当だったスパルタがいる部署でしょ?
 「そんな、私できません」
 悪いがお断りさせて頂く。一般職社員の外部異動は任意で構わないんだから。それに今辞令なんか出されたら明生君と一緒にいられなくなるじゃない。今度こそ失敗したくない。
 「即日返事は認めてない、期限内で目一杯考えろ。家族間であれば相談しても構わねぇが、返事は三月十日に聞く」
 それでも答えは変わらない、家族への相談も必要ない。 
 「おい五条」
 「はい」
 「男でもいるのか?」
 「えっ?あっ、いえ。その……」
 実は今彼に復縁しようと言われてる。けどまだ返事はしていないからどう答えたらいいのか分からない。
 「話は終わりだ、業務に戻っていいぞ」 
 このタイミングで異動の打診だなんて……神様は何故私たちの味方をしてくれないの?
 「失礼します……」
 私の頭は鈍器で殴られたかのようにぐゎんぐゎんと揺らいでいるような感覚があった。社長室から出ようと立ち上がったが、ショックのせいか視界がぐらぐらとしてきちんと歩けているかすら微妙な状態だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...