平凡な女には数奇とか無縁なんです。

谷内 朋

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cent deux

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 社長室を出てからの行動はよく覚えていない。ただ、目が腫れぼったいので多分泣いてしまったのかも知れない。
 今私は仮眠室で休んでおり、終業のチャイムも鳴ったのだが体が重くて起き上がれずにいる。施錠の時間は許可を出していない限り午後六時、あまり悠長にもしていられないので多少の無理を推してでも体を起こす。
 頭がフラフラしてる……特に残業をしている訳でもないのに物凄く疲れてる。午前中は早く出てむしろ気分も良かったのに、今はもう最悪と言ってもいいレベルにまで落ち込んでいる。
 何で私に外部異動の打診が来たの?ねぇ、私何か悪いことでもしたの?分からない、どうしてなの?
 取り敢えずここを出ないと……無理矢理体を立たせてオフィスに戻ると、係長が一人帰り支度をなさっていた。改めて時計を見ると五時二十分、お一人での残業なんて珍しい。
 「起きたか五条、帰るぞ」
 「はい……」
 私も使っていた資料を……アレ?片付けてある。パソコンの電源も落とされていて、自分の荷物さえまとめればオフィスを出られるようになっていた。
 「すみません係長」
 「いやついでだ、今日は家まで送るよ」
 係長は車通勤をなさっている。しかも下戸でいらっしゃるので飲み会のハンドルキーパーをよく引き受けて下さり、私も何度か自宅まで送って頂いたことがある。
 今日の感じだとその方が良いかなぁと思ったが、返事をしようとしたタイミングでケータイがバッグの中で震え出した。 
 「ちょっと失礼します」
 おぅ。私は係長に少しだけ待って頂き、ケータイを探り当てて画面を見ると……明生君からの通話着信だ。
 「もしもし」
 『夏絵?』
 彼は資料館の技術披露の担当になってから勤務が早く終わるようになった、と言っていた。確か四時半とかに終わるって。
 『今どこ?迎えに行くよ』
 「えっ?」
 彼の勤務先は南東部のS市だから、北西部に当たるここE町まで来るとなると車でも短く見積もっても一時間半くらいはかかるはず。仮に今向かっているとしても六時過ぎ……正直待つ気力が残っていない。
 「大丈夫、もう駅にいるから」 
 さすがにそんなことをさせるのは申し訳ないし、泣き腫らした顔なんて見せたくない。
 「もうじき電車が来るの、今度また連絡するね」
 私は急いでいる風に通話を切った。今日はもう帰って寝たい。
 「お待たせしてすみません」
 「いや、けど良かったのか?」
 係長は心配してくださっているけど、今日みたいな日に職場以外の誰かとなんて会いたくない。
 「はい。今日は人と会いたい気分ではありませんので」
 「そうか」
 その言葉に頷いた私を見て、係長はじゃあ行こうかと仰ったので私たちは一緒にオフィスを出た。

 時間が時間だったので多少の渋滞にはまってしまったが、無事自宅まで送り届けて頂き精神的に安堵していた。
 「ありがとうございます、助かりました」
 「まぁ新しいことを始める自体は良いが、慣れないうちは無理するなよ」
 「はい」
 私は上司に一礼して車を降りる。
 「今日はとにかく寝ろ、んじゃ明日な」
 「お疲れ様です」
 係長はお疲れと軽く手を挙げられてから車を発車させた。今晩は冷える、私は係長の車を見送ってそそくさと鍵を開けて家に入る。
 「ただいまぁ……」
 いつも当たり前のように入る我が家なのに、今日は何となく入りづらい雰囲気だ。玄関の照明灯以外点いてなくて、只でさえ寒いのに余計に寒さを感じさせる。この時間なら冬樹はいそうなものなのに……私は取り敢えず靴を脱ぎ、リビングの照明と暖房の電源を入れた。
 ダイニングを見ると、ガスコンロの上に朝は無かった鍋が二つ置いてある。何となくそれにつられてキッチンに入り、鍋のフタを開けてみると深鍋には豚汁、浅鍋には筑前煮が入っていた。流し台はいつも通りきれいに片付けられており、炊飯器の上には付箋紙が貼られてあった。
 【お米の支度はできています、炊飯ボタンを押してください】
 私は付箋紙を外して炊飯器のボタンを押す。こういったことは決して珍しくないが、違和を感じているのか普段とは違う変な感覚を味わっていた。
 今度はダイニングテーブルに視線を移すと、スープポットが二つと私のお弁当箱が置かれてあった。スープポット自体は紫(姉用)、青(私用)、橙(秋都用)、緑(冬樹用)の四色があり、ここには青と緑のそれが置いてある。
 私は青色のスープポットを手に取った。それなりの重さを感じるということは……そう思ってフタを開けると熱々の豚汁が入っていた。その隣にはいつも使う真っ赤なお弁当箱、フタの上に付箋紙がぺたんと貼ってあり、【明日お弁当要りますか?】と書かれてあった。
 【要る場合はそのままで、要らなければ所定の場所へ戻してください】
 お弁当はいいかな?付箋紙を外して普段収納している棚の中に一旦は収めたのだが、やっぱり姉のお弁当の方が昼からの業務に活力が湧いてくるように感じる。今朝は少しでも姉に楽してもらおうと思っていたのに、それが無いからといって楽になる訳ではないのかな?と考えたりもする。
 「どうしよう……」
 一旦棚に収まっていたお弁当箱を再び掴んで一人悩んでしまう。う~ん、気が変わってもそれはそれで申し訳ないし、それなら要らないにしておいて外食でお米をちゃんと食べようかな?とも思ったりする。でもやっぱり……。
 「明日は食べたいかも」
 で、結局棚から出してダイニングテーブルに戻しておいた。

 お米を炊いている間にお風呂に入り、上がった頃にはお米も炊けて秋都と冬樹が帰宅していた。
 「お帰りなつ姉、飯食うだろ?」
 うん、お風呂に入ったらお腹空いたなぁ。
 「今日はまだ普通の顔してるね~」
 「そぉ?」
 まぁ異動の話……あれ?今『普通』って言わなかった?
 「週末のなつ姉ちゃんは変な顔してた~」
 この子たまにこういうこと言うんだけど、突っ込んで聞いても『鏡で見たって分かんないよ~』と言われてしまうので、結局自分自身で確認のしようがないのである。
 「もうちょっと分かりやすく説明してよ」
 「う~んとねぇ、メス豚?」
 はぁ?何よそれ?
 「何だ?なつ姉変わったシュミ・・・でもあんのか?」
 おい、どういう意味で聞いてんだ?
 「変わってるのは性癖じゃなくて男選びだよあき兄ちゃ~ん、霜田のオジサンがイケてるレベルになってんじゃ~ん」
 霜田さん……いえあの方良い人なんだけどね。
 「何だなつ姉、男できたのか?」
 「いや、まだだけど……」
 私は明生君の顔を思い浮かべていた。
 「まだって考えてる相手はいるんだな」
 「あ~っ!今のその顔~!」
 えっ?急に何よ?
 「うわぁ~んなつ姉ちゃんキモいよ~!」
 冬樹は私を汚い物でも見るかのような視線を向けてから、逃げるように二階へと駆け上がっていった。
 「「……」」
 取り残された私たちはキョトンとすることしかできなかったが、冬樹はそれきり降りてこなかったので秋都が仕方なく別枠で準備を始めている。
 「ふゆの分持って上がってくるわ、あと任せてもいいか?」
 「うん、分かった」
 私は平静を装っていたが、弟に言われた言葉が徐々に堪えていく。しばらくして秋都が戻ってきたので二人で一緒に食べたのだが、少し持ち上がっていた気持ちがまたしても突き落とされて夕飯の味がよく分からなくなっていた。
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