コーヒーゼリー

谷内 朋

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婚活編

ー1ー

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 「そろそろ婚活かなぁ」
 自宅最寄り駅で貰ったばかりのチラシを片手に、一人の男性が結婚相談所の前に立っている。
 彼の名前は小泉波那コイズミハナ、昨日三十歳を迎えた独身男性である。彼には理想の結婚像があり、仕事の優先を望むキャリアウーマンの『主夫』になる事であった。勿論専業主夫にこだわっている訳ではないのだが、彼自身が虚弱体質で仕事人としての出世が望めず、家事全般が得意なのもあって、その路線で相手を探す方が向いている。と本人は思っている。実際彼の履歴にもそれが表れており、栄養士と保育師の資格を取得している。
 波那は意を決して中に入ると、四十代後半位の女性がいらっしゃいませ。と声を掛けてきた。彼女はとても手際良く彼を案内し、スピーディーかつ丁寧にここでの婚活システムを説明してくれる。早速会員登録をするために簡単な履歴を記入する事になったのだが、れっきとした男性にしか見えないのに、高校は家政科、保育系の短大卒、という女の子の様な履歴に、女性相談員は波那の顔をまじまじと見つめている。
 「あの、条件の記入はこちらではございませんが……」
 そのくせ勤務先は大手食品メーカーの営業事務、とあって何だか腰掛けOLの様な履歴に見えているらしい。
 「ハイ、僕の履歴ですよ」
 不思議そうな顔をしている彼女に、波那はあっけらかんと答える。
 「そうですか……。ところで、お相手の方の具体的な御条件はございますか?」
 「理想を申し上げれば、総合職の方が良いですね。仕事を優先させたいけど子供も欲しい、って考えている方の方が合うと思うんです。僕家事全般得意ですし」
 「と仰いますと、ご結婚なさったら家庭に入るおつもりでしょうか?」
 「いえ、可能な限り仕事は続けますが、体があまり丈夫ではありませんので。月に一度のペースで通院しているんです」
 そう言う事ですか……。その理由に身体的事情が含まれている事を知って納得はしてくれた様だ。それからしばらく色々な話をして、この日はそれで帰る事にした。
 それから数日経って、少し歳上の総合職女性を紹介される。早速お見合いをしてみたのだが、実家で飼っている仔犬に似ている。と妙に可愛がられてしまい、男性扱いしてもらえないままあっさりと撃沈した。
 
 「婚活って案外難しいんだね」
 見合い相手に交際を断られてしまった波那は、双子の姉小泉麗未コイズミレミに結果を報告している。双子、とは言っても実際は赤の他人で、彼の母親は出産してすぐに亡くなっていた。一方で麗未も双子となる予定だった子が死産となり、それが縁で身寄りの無い波那を小泉家が引き取って、二人を双子として育てたのだった。ところがその割には背格好や顔立ちがよく似ており、本当の双子の様に仲が良かった。
 「あんたみたいな条件だと普通に探した方が早くない?まだ三十なんだしさぁ」
 麗未は楽観的な口調で美味しそうにビールを飲んでいる。
 「そうかなぁ?仕事を優先させたい女性っていっぱい居るんじゃないの?」
 「蓋開ければそうでも無いんじゃないの?どこか腹の片隅には男に養ってほしい、ってが本音だと思う」
 「麗未ちゃんもそう思ってる?」
 「私は嫌よ、一日家に居るのは性に合わないもん」
 だよねぇ。波那と違ってアクティブに動き回る性分の姉を見て思わず笑ってしまい、翌日職場に持って行く用に作った焼き菓子の残りをちまちまと食べていた。

 翌日、波那はその焼き菓子を持参して少し早めに出勤する。この日札幌支社から異動してくる男性社員がいるので、その彼には『今日からよろしくお願い致します』とメッセージカードを添えて全員分のデスクに置いておいた。
 この男性社員は前日ギリギリまで札幌勤務をこなしていた事もあ、朝の便でこちらに向かって昼からの出勤となった。彼の名前は沼口昇ヌマグチノボル、札幌では営業成績トップを誇る花形社員で、現在三十二歳の独身男性である。その功績が評価されての本社勤務となり、若手の中では最も出世街道に乗っていると言っていいほどのエリートである。
 彼は三時の小休憩の時に、デスクに置いてあった波那の作った焼き菓子を食べてみる。これは美味い。どこかの洋菓子店の物だろうとと思いラッピングを確認してみたが、品質表示シールはどこにも貼られていない。一体誰が持ってきたのか?と隣のデスクに居る男性社員に声を掛けた。
 「『波那ちゃん』の手作りですよ、きっと。今日は外回りで居ませんけど」
 「へぇ、超料理上手な方なんですね」
 この時点で沼口は総合職の女性社員だと思い込み、まだ見ぬ『波那ちゃん』に恋をしてしまう。きっと家庭的で可愛い方なんだろうな……。添えてあったメッセージカードのせいで彼の勝手な妄想はどんどんと膨らんでおり、本社勤務が楽しくなりそうだ。と一人ほくそ笑んでいた。奇しくもこの日は金曜日、沼口の誤解は週明けの月曜日まで持ち越される形となる。

 外回り先からそのまま直帰した波那は、お弁当箱を洗うためすぐ台所に入る。隣のリビングでは、普段は職場の独身寮で生活をしている二歳年上の兄小泉時生コイズミトキオが帰ってきて食事を始めており、向かいに座っている波那の同級生嵯峨丞尉サガジョウイと共に酒を酌み交わしている。
 「ただいま、もう飲んでるの?」
 身体的事情で酒が飲めない波那は、二人が早くもほろ酔いなのを見て肩をすくめる。
 「お帰り、今日は早いな」
 「うん、外回り先からそのまま帰ってきたから」
 手際よく洗い物を終えると、やかんで湯を沸かし始める。
 「とき兄ちゃん、それ全部丞尉に作らせたの?」
 「その分もあるけど全部じゃないぞ」
 それは買ってきた。と並べられている料理をいくつか指して言った。
 「ゴメンね丞尉、家でまでこんな事させちゃって」
 波那は来客である同級生に詫びたが、彼は料理好きなので全く気にしていない様だ。実際自宅でも父と男四人兄弟の五人家族で、嵯峨家の家事はほぼ一手に引き受けている。
 「良いよ、買い物代は全部出してもらったんだ」
 波那も食べなよ。その言葉に誘われて、着替えを済ませて一緒に食事を楽しむことにする
 「ところで波那、婚活始めたんだって?」
 うん。波那はゆっくりと食事を摂りながら頷いたが、兄の表情は若干渋い。
 「そんなに焦んなくていいだろ?この家の男共誰も結婚してないんだからさ」
 「焦ってる訳じゃないよ、出逢いの場を増やしただけ」
 そうは言ってみたが、内心は一日でも早く結婚したいと思っている。時生にしてみると、三人の兄よりも先に結婚すると彼らが焦ってしまうのではないか、と懸念していた。長兄小泉一徹コイズミイッテツは来年で四十歳になるのだが、浮いた話は一切聞かれず、次兄小泉愁コイズミシュウ、三兄小泉遼コイズミリョウの双子はそれぞれ外国人の恋人がいるのだが、今のところその予定は無い様だ。
 「せめてしゅう兄かりょう兄が結婚してくれたら……」
 「順番なんてどうでも良くない?恋人も居ないのにそんなの気にしてるのとき兄だけだよ」
 仕事から帰宅して早々麗未が三人の話に割って入ってきて、缶ビール四本を両手に持って立っていた。
 「あーっ!それ全部飲むな!」
 それを見た時生と丞尉が抗議を始める。
 「こんなのじゃ足りなぁい、後で買ってきて」
 麗未は抗議など一切無視でビールを飲み、何の遠慮も無く食事を摂る。
 「僕が行ってくるよ、ビールだけで良いの?」
 波那の申し出に麗未は上機嫌になり、あんたは良い子だねぇ。と頭を撫でる。彼女は唯一下のきょうだいとなる波那にだけには甘く、虚弱体質の事を誰よりも気に掛けている。
 「うん、つまみはこんだけあれば足りるよ、多分」
 「ちょっと待てよ麗未、一人で食べる計算してるだろ?」
 「え?違うの?」
 だと思ったよ……。丞尉は麗未にとっても同級生なので、ある程度お互いの事は熟知している。
 「後でおばさんとも一緒に食べようと思って作り置きしてあるよ、足りなかったら勝手に食ってて」
 へ~い。麗未はすっかり飲食モードでくつろいでおり、買い出しに立ち上がった二人を見送る。すると母小泉早苗コイズミサナエがパートタイムから帰宅してきて、いつになく大荷物で中に入ってきた。その中にはのしの付いた缶ビール一ケースもあり、波那は、どうしたの?それ。と訊ねる。
 「商店街のガラポンで当てちゃって、二等賞」
 早苗は重そうに荷物を下ろしており、ちょうど出掛けようと玄関にいた波那と丞尉も手伝っている。
 「何当てたの?」
 麗未も反応して覗きに来ると、缶ビール一ケースに満面の笑みを見せて早速中身を冷蔵庫に入れている。
 「そんな時だけ早いんだから……。まさか波那と丞尉君に買い物させようとしてたんじゃないでしょうね?」
 母には完全に見透かされていたのだが、麗未は平然と、そんな事しないよ。と首を振った。
 「とき兄にお願いしたら波那が気を利かせてくれたの」
 「そう、でもこれだけあれば今日は充分でしょ?」
 うん。麗未は元居た所に戻って再びビールを飲み始める。買い出しに行かずに済んだ波那と丞尉もリビングに戻り、早苗も交えての夕食は波那の婚活話をネタに楽しいひとときとなった。
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