コーヒーゼリー

谷内 朋

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告白編

ー10ー

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 翌朝、波那が目を覚ました時には畠中の姿は無く、一瞬慌てて彼を探したが、数日前課長から休日出勤を言い渡されていた事を思い出して、そっか……。と一人納得する。
 シャワーでも浴びようかな?頭ではそう考えていたのだが、昨夜の情事で疲労困憊だった波那は体を起こす事が出来ずベッドに潜り込んだままだった。その時の事を思い出していると、畠中の逞しい体の感触と熱気が蘇って欲情しそうになり、誰に見られている訳でもないのに急激に恥ずかしくなって一人赤面してしまう。
 波那は体を包んでいる掛け布団を掴んで体を丸くする。心臓はドキドキと高鳴り、早くも畠中の体が恋しくなる。たった一晩で身も心も彼の事でいっぱいになっている事に気付いてまたまた恥ずかしくなってしまい、今度こそシャワーを浴びようと脱ぎ捨てられた寝間着を羽織って布団をめくる。
 ようやく体を起こした波那は、すぐ側のテーブルに置いてあるメモに気付き、腕を目一杯伸ばしてそれを掴み目を通す。これまでほとんど見た事が無かった畠中の細長い右肩上がりの文字で、『先に出る』と書かれてあり、その下に連絡先も記されている。波那は荷物を置いているソファーに移動して鞄の中からケータイを取り出し、早速そのアドレスに自身の連絡先を入力して送信する。
 男性である畠中と交わり、未体験の事に戸惑う波那を優しく愛してくれた彼に今は少なからず惹かれている。しかし予測していなかった事態が現実となり、先の事など全く考えていなかった波那は、週が明けてからの気まずさが頭をよぎって、どうしよう……。と悩み始めていた。

 『あの女がどうしてああなった、教えてあげよう……』
 低いドスの効いた女の声が畠中の耳の中で鳴り響く。休日出勤を終えて帰宅の途に着く代替バスに揺られ、軽い寝不足と仕事の疲れで微睡みかけた中で慌てて目を開けた。それを悟られたくなくて気持ちを乱しながらも平静を装っていたが、その事を気にしている者は誰も居なかった。
 彼もまた波那と同じように昨夜の事を考えていた。確かに彼は可愛いし、本音を言えば昨夜のうちに再度交際を申し込んでおきたかった。しかし自身は施設育ちの孤児で、劣悪な環境の所に居た時期もあってお世辞にもまっすぐ素直に成長したとは言えなかった。
 そんな自分が波那と交際する事によって傷付けやしないだろか?どう見ても愛情いっぱいの中で育ったであろう彼を愛して良いものなのか?自ら告白をして体の関係を持ったにも拘らず、ここへ来て自身の履歴が波那に相応しくないのではないか?と悩み始めていた。
 この時既に波那からの返信はあったのだが、余計な事を考えたせいで取り扱いが分からなくなってしまい、結局何もしないまま休日は過ぎていったのだった。
 
 そして週が明け、火災でストップしていた交通機関もどうにか復旧して、ほとんどの社員が普段通り出勤してきた。波那と畠中も問題無く出社し、職場の同僚として顔を合わせる。
 おはようございます。二人は普通に挨拶を交わして普通に仕事をこなしながらも、背中合わせのお互いの存在が気になって仕方がなかった。できる事なら今すぐにでも体を寄せ合いたい。しかし職場でそれが叶うはずも無く、変な緊張感も手伝ってこの日は挨拶以外の言葉を交わさなかった。

 そんな状態が何日も続いた事で畠中の本心が見えなくなった波那は、このまま信じて待つよりも、遊びだった、と割り切ってしまった方が楽だ。と考えるようになっていた。そう思う事でまだ彼に惹かれている気持ちを一生懸命鎮めようとしていたのだが、ある日それが体にも影響を及ぼした様で体調を崩してしまい、自宅のベッドで横になっている。
 「何やってんだろ……?」
 本来なら病院へ行くところだが、この日は主治医のおじいちゃん先生が知人の葬儀に行って不在だったため、自宅療養で様子を見ることにする。幸い麗未が休みで家におり、心細さからは回避された。
 夕方になって早苗がパートから帰宅した頃小泉家に来客があり、麗未が出るといつぞやの変質者こと畠中が手土産を持って玄関前に立っていた。
 「あっ!ついに出たな、変質者」
 誰が変質者だ?波那の家族を相手にムッとする畠中だったが、まずはきちんと名乗って汚名を返上しようとする。
 「江戸食品の畠中と申します。本日は営業一課を代表してお見舞いに伺いました」
 課を代表して。と言うのは嘘だったが、とにかく一目でも波那の顔が見たい。畠中の頭の中はそれしか無かった。えっ?麗未はまさか弟の同僚だったとは思わず、波那と同じ大きな瞳をぱちくりとさせている。
 「弟がお世話になっております……。少々お待ちください、本人に訊ねてきます」
 彼女はまだ信じていないのか、畠中をその場に残して二階に上がっていく。
 「波那ぁ、会社の方がお見舞いにいらしてるよ」
 麗未はそう言いながら部屋のドアを開けると、波那は玄関の様子を気にしてか入口付近に立っていた。
 「畠中さんって方、通して大丈夫?」
 うん……。波那が頷いたことでようやく二階に案内された畠中だが、ここへ来て変な緊張をして部屋に入るのをためらってしまう。ドアを挟んだ向こう側に居る波那もまた落ち着かない様子で彼との対峙を待っていた。
 「畠中です。いきなり押し掛けてゴメン……」
 すると小さな音を立ててドアが開き、部屋着姿の波那が気恥ずかしそうに顔を出してきた。
 「わざわざありがとうございます、課を代表して、なんて……」
 「あれは嘘、そう言えば上がらせてもらえると思って」
 「そうですか……」
 どうぞ。波那は畠中を招き入れたが、何となく気まずくて会話が全く弾まない。その重い空気を打破するかのように、早苗が二人分の紅茶を持って部屋に入ってきた。
 「本日はお忙しい中お見舞い頂きありがとうございます。娘の失言、大変失礼致しました」 
 「いえ、こちらこそ夕食時に突然押し掛けて申し訳ありません」
 畠中はすっかり恐縮して頭を下げる。ごゆっくり。早苗が部屋を出ていくと、二人は何となく顔を見合わせた。
 「……お母さん、若いな」
 「そうですか?今年還暦ですよ。でも八人産んだ割には若いかも知れませんね」
 「八人!?さっきの姉さんの他にあと六人居るのか?」
 「はい、あと姉が二人と兄が四人います。皆結婚したり独立したりしていますが」
 やっぱりたくさんの愛情を貰って育ってる……。畠中は大家族で育った波那の事がほんの少し羨ましくなった。と同時に、自身では波那に相応しくない。先日持ち合わせたくすぶりを再燃させていた。
 「僕は運が良かったんです、小泉家に引き取られなければ施設行きでしたから」
 「えっ?」
 畠中はその返答を予測しておらず、波那のくるくるした瞳を凝視する。
 「実の母親は僕を産んですぐに亡くなりました。偶然隣の病室で双子を出産予定の母も後に産まれた子が死産だったんです。変な話それが縁で身寄りの無い僕を引き取って、下に居る姉と双子として育てられました。
  親戚の皆にも受け入れてもらえて、実母の供養もしてくださるんです。病気持ちの余所の子を育てるなんてなかなかできる事じゃありませんから、この家の方々には本当に感謝しています」
 「そうか、良いご家庭だな……」
 そう思います。波那が見せた柔らかい表情に畠中の心が疼き、話したくもないはずの身の上話を始めてしまう。
 「俺は父親の育児放棄と継母の幼児虐待で、七歳までは母方の祖父母に育てられた。でも災害事故で俺だけが助かって施設に引き取られたんだ」
 父親は多分どこかで生きてるよ。畠中は波那の顔をまともに見る事が出来なくなる。同じ孤児でこうも違うものなのか?と自身を卑下する思考が頭の中を支配し始めていた。
 「父親はその後再婚してきょうだいってやつも居るらしいけど、顔も知らないし会いたいとも思わない。こんな俺なんかとじゃ波那とは釣り合わねぇ、最近そんな事ばっか考えてるよ」
 「それは『家族』ではありません、例え短い間でもお祖父さんとお祖母さんが『家族』なんです。そちらを大事にしませんか?」
 波那はとっさに畠中の手を握ったが、その手は冷たくいくら握っても温かくならなかった。畠中は身の上話に及んでから波那の顔を一度も見ず、自身を蔑む感情と波那を思う気持ちの狭間で必死に戦っていた。
 「頭では解ってる、でもあの男が父親である事実がどうしても邪魔するんだよ……」
 彼は少し混乱していた。見舞いに来ているはずが、これでは体調不良の波那に心配を掛けている状態だった。
 「これじゃどっちが病んでんだか分かんねぇな……。ただ俺はちょっと後悔してんだ、自分のエゴで波那を汚しちまった感覚に陥ってる」
 畠中さん……。波那はその言葉に失望して手を離してしまう。
 「ごめんなさい、あなたとはお付き合いできません」
 「そうか……」
 手を離された畠中は寂しそうな表情を見せるも、交際を断られるのは予測していた様だった。帰るわ。彼はすっと立ち上がって部屋を出ようとする。
 「畠中さん、僕は後悔してません」
 波那も慌てて立ち上がる。その声に振り返った畠中は小さな体をそっと抱き締めてきた。
 「そんな気遣わなくていい」
 「正直な気持ちです、汚されたなんて思っていませんから」
 波那も畠中の体に腕を回すと、しばらくそのままお互いの体温を確かめ合っていた。
 ありがとう。その言葉を合図に二人は腕をほどき、ほんの短い口づけを交わした。波那は畠中と共に玄関先まで出ると、姿が見えなくなるまで見送っていたのだった。

 畠中への恋心にエネルギーを使い過ぎた波那は、このところ婚活に消極的で休日はぼんやりと過ごす事が多くなる。
 「波那、最近おかしいね……」
 そんな弟を麗未は心配そうに見つめている。
 「そっとしてあげなさい、今は休む時なのよ」
 早苗は静観すると決めている様で、それ以上の事は何も言わなかった。
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