コーヒーゼリー

谷内 朋

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恋愛編

ー11ー

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 そんな矢先、職場では札幌支社の営業部課長が緊急入院する事態が起こっていた。その後任として沼口が課長に昇進して、札幌支社へ異動の辞令が下る。
 その話は彼に告げられてから数日後に通達が貼り出される。ほんの八ヶ月ほどしか居なかったが一課の主力としての信頼を勝ち取っていて、年度末を待たずに居なくなってしまうのは波那にとっても寂しかった。
 それは沼口も同じ様で、実家が近くなった事と沙耶果との交際の事で転勤はゴメンだ。と公言していただけにこの栄転に大して乗り気ではない様だった。
 しかしそこは会社命令、退職の意志が無い以上沼口は札幌行きを決意して、沙耶果との遠距離恋愛をスタートさせる事になる。

 沼口が札幌へ発ち、後任には北関東支社から係長クラスの男性社員が就任する。それとほぼ同時期に波那は庶務課へ、望月も人事課への内部異動が決まり、二人の後任には総務課から三年目の女性社員と、企画課から十五年目の女性社員が加入してきた。言ってみれば毎年の事なのだが、人材が変わると職場の雰囲気も変わっていく。この事がきっかけで畠中は小田原と接する機会が増え、奈良橋を始めとした女性社員との緊張状態を徐々に軟化させていく。

 営業部ほどのタイトな仕事の無い庶務課で、波那は少し気楽なオフィスライフを過ごしていた。この課には社内一、二を争う料理上手と評判の小林まどかコバヤシマドカと言う癒し系美女が勤務していて、二人はすぐに親しくなった。彼女は調理師専門学校を卒業しており、もちろん免許も取得している。
 小林を足掛かりに職場にも早く馴染み、畠中との実らなかった恋の痛手は案外早く癒されていったのだった。

 それから少し経った三月上旬、波那は津田から老舗の遊園地に誘われる。
 『男二人で行くのも味気無いし、お互い知り合いでも呼んで人数増やした方が楽しいかな、と思って』
 波那は毛利を誘って現地集合する。津田は職場の後輩である中林悠麻ナカバヤシユウマという長身の男性を連れて来ており、この二人の並びはなかなか迫力があった。津田も百八十五センチほどの高身長であるのだが、中林は更に背が高く百九十センチに届きそうなほどだった。首がしんどい。波那ほどではないが決して高身長とは言えない毛利と、百七十センチに満たない小柄な波那は二人を見上げなければならず、確かに首は疲れた。
 毛利と中林は面識がある様なのだが親しくはない感じで、友達には程遠い。と言う毛利の言葉通り双方とも友好的な態度を取るでもなく、ぎこちないながらも四人は行動を共にする。最初のうちは一緒に来た者同士でペアを組んでいたのだが、ジェットコースターに乗りたい。と毛利が言い出した事で四人の空気が動き出した。
 波那はアトラクションに制限が生じて半分ほど利用出来なかった。中林は片目が見えないので、苦手な絶叫系やお化け屋敷の様な暗い演出が必要なアトラクションは不向きだった。
 「それなら俺が付き合うよ」
 津田が毛利に付き合い始めた事で波那は中林と行動を共にし、なるべくゆったりとしたアトラクションを選んでそれなりに楽しんでいた。
 「総さんとは知り合って長いんですか?」
 「えぇ、兄の同級生なんです。中林さんも翼君とお知り合いみたいでしたけど……」
 「一時期ご近所さん程度の知り合いでした。歳も違いますし親しい間柄ではありません」
 そうですか……。二人とも口下手な方で会話はなかなか弾まない。彼は畠中と同い年で波那とは五歳の年齢差があって、世間話でも多少のズレが生じてしまって歯車が噛み合わない。それでも波那は中林に対して比較的好印象を持っていて、一緒に居るとむしろ不思議と安心感があった。
 「小泉さん、今お付き合いされてる方はいらっしゃるんですか?」
 「いえ、いませんよ」
 波那は頭の中でちらつく畠中の残像を払いのけ、彼は関係無い。と言い聞かせながら顔では笑顔を作っていた。中林がなぜそんな事を聞いてきたのか、この時は全く気に留めずに軽く受け流してしまっていた。
 「それでしたら今度の休みに何処か行きませんか?」
 「良いですよ」
 波那は婚活を休業していて時間があるので、その誘いを受けてここで連絡先を交換する。
 「場所はリサーチしておきます」
 二人がようやく打ち解けてきた頃には津田と毛利もすっかり意気投合しており、帰りは全員で津田の車に相乗りして帰路に着いたのだった。

 遊園地で会って以来、例のゲイバーに中林が顔を出す様になる。毛利と親しくなったというよりは、波那の情報を得るために利用している風だった。
 「アンタ最近よく来るね」
 「酒飲みに来てるだけだろ。何か文句あんのかよ?」
 「それだけなら何の文句も無いけど魂胆が気に入らない。津田さんにも色々聞き回ってるらしいじゃないか」
 毛利は嫌そうな顔をしているが、中林はお構い無しで酒を飲んでいる。
 「それは俺の自由だろ?」
 「だったら直接聞きなよ、やり取りはしてんでしょうが」
 「あぁ。最近ちょっと面白い話聞いてさ」
 何?毛利は一応興味本位で訊ねてみるが、ニヒルな笑みを浮かべるだけですぐに答えようとしない。
 「彼、江戸食品で働いてるんだってな」
 「そう聞いてるけど……」
 「確か『アイツ』もだな」
 「誰?『アイツ』って」
 「俺の言う『アイツ』と言えば大体想像付くだろ」
 まぁな……。毛利はそう返事をしてから嫌な予感が頭をよぎった。
 「ちょっと待った。今何考えてた?」
 「『アイツ』彼みたいな人好みだったな、と思って」
 ちょっと似てんだよ……。中林は何かを懐古するかのように遠くを見つめている。毛利もそれには気付いていて、確かにな。と相槌を打つ。
 「分かってると思うけど彼ゲイじゃないよ。アンタノンケは対象外じゃなかった?」
 「基本そうでも例外はあるさ。仮に『アイツ』が手ェ付けてたとして、俺がちょっかい掛けたらどんな反応すんだろうな?」
 「知らないよ、そんなの。アンタはどうしたいのさ?」
 「そうだな……、彼とならガチで付き合っても良いと思ってる」
 「なら正攻法で行きな、『アイツ』の事は度外視してさ」
 「何事も刺激があった方が面白いだろ?」
 相変わらず悪趣味な……。毛利は肩をすくめてみせたが、完全に『アイツ』を出し抜く事を楽しんでいる中林は、不敵な笑みを浮かべて酒を引っかけていた。

 別の日、同じゲイバーにて。波那に振られた畠中にも新たな出逢いがあり、初めて見掛ける可愛らしい男の子をナンパしている。彼は普段ほぼナンパしないのだが、理想を絵に描いた様なルックスのその子に一目惚れしてしまう。
 男の子は信州出身で、自身で学費を稼いで昨年大学進学の為に上京してきたばかりだった。歳は二十二歳、現在恋人が居ないので出逢いを求めに来た、と言う。
 「君たち気が合うみたいだね」
 この日毛利は休みで、店内はマスター一人だけだった。
 「えぇ、まぁ」
 「会社の彼はもう良いのか?」
 デリカシーの無いその発言に、畠中は隣に居る男の子の反応を窺うが、見たところさほど気にしていない様だ。
 「二度も振られりゃもう良いですよ」
 「君にしては頑張ったね。あれから懲りずにアタックしたんだ?」
 「アタックって、表現古いっすよ」
 畠中は四十男の言い回しに苦笑いする。
 「新しいカクテル作ってやるよ。『門出』なんてどうだ?君のも一緒に」 
 じゃ遠慮なく。畠中はそれを頂く事にし、隣に居る男の子に何やら耳打ちをして二人の世界を作っていた。

 「実はあなたに言ってない事があるんだ」 
 この日波那は中林と共に美術館で浮世絵を鑑賞した。その後初めて彼の自宅に立ち寄って買ったばかりの土産菓子を食べていると、神妙な表情で話を切り出してきた。
 「俺が施設育ちなのは話したけど、一時期虐待が日常茶飯事だった施設に居たんだ。その時に知り合ったハタナカってのが江戸食品に居ると思うんだけど……」
 ハタナカ?波那はその名前に反応する。
 「それって……」
 「うん、畠中星哉。やっぱり彼の事知ってたんだね」
 「先月まで同じ部署だったから……」
 波那は畠中と中林に接点があった事実に驚いていた。
 「十歳の時、そこに嫌気が差して脱走計画を立てたんだ。ところが畠中がそれを園長に密告した事で俺は勝手に首謀者に仕立て上げられて職員たちにボコられた。命は助かったけど、目の治療だけは間に合わなかったんだ」
 波那は中林の口から出た血生臭い話に絶句してしまう。彼の右目が見えなくなった理由が明かされ、返事に困った波那は中林の顔を見つめていた。
 「経営実態を怪しんでた警察があの施設の悪行を公表した事で虐待からは解放されたけど、色んなトラウマを抱え込んで未だに立ち直れてない奴も居る。もう十五年経つのに……」
  見る限りその話が嘘だとは思っていないのだが、畠中が裏切り行為をしたと言うのはにわかに信じられなかった。
 「そんな、畠中さんが裏切りだなんて……」
 「へぇ、アイツの事庇うんだな」
 その一言で中林の表情はすっと変わる。豹変と言ってもよかった。冷たい視線を向け、顔つきも冷淡で言葉遣いも別人の様に粗野になっていた。波那は一瞬戸惑うが何故か恐怖を感じなかったので、何とか落ち着かせようと手を握る。
 「中林さん……」
 「どうやら見立てはアタリみてぇだな」
 中林はその手をあっさりと払い除けると、波那の体を強引に押し倒して服の中に手を入れる。
 「こんな事、したいんじゃないよね……」
 「はぁ?俺はしたくてしょうがなかったよ。あんたアイツと寝たんだろ?」
 中林は楽しそうに言いながら手を緩めず、今度は股間に手を入れて弄ってくる。彼は長い腕で波那の体の動きを封じ、背後から馬乗りになって強引に交わると、予測していたとは言え、『処女』でない事が分かると多少なりとも嫉妬心を沸き上がらせてしまう。 
 波那は時折息を漏らしながら、体を硬直させてそれに耐えていた。するとパタリと動きが止まり、腕の中で呼吸を乱している波那をじっと見つめている。
 中林の表情は元に戻っており、腕の力を緩めて交わりを解くと波那の体から離れてゆっくりと体を起こす。少しして呼吸が整ってきた波那も体を起こし、後悔を滲ませた表情を浮かべている中林を見た。中林さん……。波那は再び彼の手を握ると、今度は払い除けずに握り返し、小さな体を抱き寄せてきた。
 その行為に急激なときめきを覚えた波那の胸は高鳴って体中が熱くなる。先程まで冷たかった中林の体も一気に温かくなり、二人は体を寄せ合って互いの体温を感じていた。
 「畠中さんとの事なんだけど……」
 波那は後々のしこりにしたくなくて畠中と一度だけ関係を持った事を正直に話し、そっと彼の背中に腕を回す。
 「ゴメン、変な嫉妬して傷付けるような真似して。本当なら先に言うべきなんだけど、あなたさえ良ければ俺と付き合ってほしい」
 波那は顔を上げて中林を見つめながら、うん。と頷くと、その答えに微笑みを見せて波那の頬にそっと手を当て、唇を重ね合わせた。
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