コーヒーゼリー

谷内 朋

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恋愛編

ー12ー

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 交際が始まってからの中林は例の冷たい表情を見せなかった。それどころか波那に向けてくる愛情は会う回数を重ねる度に増していき、波那もそんな彼に日々心惹かれて畠中の事などすっかり頭から払い除けられていた。
 ところが彼の自宅に泊まる際、何故か波那が眠りにつくと必ず別室に移動していく。なるべく一緒に居たいのに……。と少し寂しく思うのだが、まだ日も浅いので慣れるまで待とうと静観する。それでも交際そのものは至って順調で、ほぼ週末毎にデートを重ねて夜の方もすっかり馴染み、着実に愛を育んでいた。

 ある週末の真夜中、二人は当然の様にベッドを共にし、裸になって体を重ね合わせていた。波那ちゃん……。中林は仰向けになっている波那の体の上で腰を動かし、体中そこかしこにキスマークを付けていく。波那は恋人の体に腕を巻き付け、瞳を閉じて気持ち良さげに喘ぎ声を上げている。
 数時間ほどセックスに時間を使った後、この日は決算期で仕事が立て込んでいた中林の方が先に眠りこけてしまっていた。このまま朝まで一緒に居られると良いな……。波那はそんな事を考えながら恋人の体に身を寄せて心地好い眠りにつく。

 『突然の事で驚かれると思いますが、“野田ミソラ”ちゃんが緊急入院する事になりました』
 浅黒い肌の大柄な女性からその言葉を聞かされた中林は、ショックのあまり思考回路が止まってしまう。しかし見た目はひょろりと細長い子供の姿で、現在親しくしている津田や恋人である波那の姿はどこにも無い。
 先程名前が出た“野田ミソラ”とは中林の幼馴染みである二つ年上の女の子で、子供の頃に入所していた施設で二人手を取り合い仲良く暮らしていた。ところがこのところ急に嘔吐したり貧血を起こしたり、それが治まったかと思えば今度は下腹部が膨らみだしてきて動きが鈍くなっていった。
 一体何があったのだろう?サヨナラの一言くらいは言ってくれそうなものなのに……。中林少年には思い当たる事があったのだが、その頃はそうなった理由がまだよく分からず言葉に出す事が出来なかった。
 ただ職員たちは何か隠してる、多分ミソラに何かしたのかも知れない……。彼らは子供たちに彼女の変化を勘付かれないよう、皆から引き離して隠滅を図ったとしか思えなかった。
 ミソラが居なくなって以来独りで行動する事が多くなった中林少年は、普段子供たちはあまり出入りしない『納屋』と呼ばれていた場所で、これまで嗅いだ事の無い異臭に足が止まる。
 臭っ!!!それは鼻をつんさぐ程の臭いで即座に立ち去ろうとも思ったのだが、その時の彼は何故か誘われる様に建物に近付いた。『納屋』の小窓には黒いカーテンが掛けられ、戸には鍵が架かっていたのだが、当時から怪力だった彼は好奇心のままあっさり破壊して中へ入っていく。
 悪臭は更に強くなり、袖口で口を押さえながら奥へ進んでいく。手探りで小窓を探し当ててカーテンを開けると、小汚いベッドの上に何かが横たわっていた。
 何だ?臭いにも多少慣れてきて躊躇無く近付いてみると、悪臭は更に強くなってここが出所であることに気付く。真っ黒のカーテンを全開にしても薄暗い部屋の中、目を凝らしてよく見てみると、下半身を赤く染め死後何日かが経って腐敗の進んだ親友と、へその緒で繋がれたまま血みどろで産まれ落ちた赤ん坊の死骸だった……。

 「……!」
 次の瞬間、中林の視界は日頃見慣れている自宅寝室の天井に変わっており、先程まで周囲を充満させていた悪臭もきれいさっぱり無くなっていた。
 悠麻君?いつの間にか呼吸を荒くしていた彼の隣から、最近耳に馴染んできた男性の声が聞こえてくる。その声で我に返り、自身の身体中が汗で濡れている事に気付いて重い体をゆっくり起こすと、心配そうに見つめてくる波那の姿があった。
 「大丈夫?うなされてたよ」
 「あぁ……、夢見が悪かったみたいだ」
 中林は無理のある笑顔を見せるとさっさとベッドから出る。
 「風呂入ってくる、心配無いからそのまま寝てな」
 口調こそ優しかったが多少突き放した言い方をすると、タンスから着替えを出して部屋を出て行った。
 きっとこのまま戻らないつもりだ……。そんな考えが頭をよぎった波那は、居なくなってしまった恋人の残像を寂しそうに見送っていた。

 寝汗を流して風呂から出た中林は、波那の予想通り部屋に戻ろうとしなかった。彼にしてみれば体の弱い波那に変な心配は掛けたくない、それにもしかしたら眠ってるかも知れない。少なくとも余所余所しくしているつもりは無く、彼なりに恋人を気遣っての事だった。
 多少眠気は襲ってきていたが、目を閉じるのが嫌でテレビを点ける。深夜の面白くないバラエティー番組をぼんやりと眺めていると、寝室のドアノブを捻る音が小さく聞こえてきた。ドアは静かに開き、枕と毛布を抱えた波那が何か言いたげな表情で立っている。
 「起きてたのか?」
 中林はリモコンでテレビの音量を絞るが、波那はそれに答えず恋人の居るソファに近付いてきた。
 「眠れないの?」
 「あぁ、シャワー浴びたら目が冴えちまって」
 「そう……。それなら何か飲む?」
 「……そうだな」
 波那は枕と毛布を中林に手渡してキッチンに入る。流し台の下の戸棚から小鍋を取り出して買ってきたばかりの牛乳を入れ、砂糖を足してから火にかける。彼も自炊をするので、いつ訪ねてもキッチンは清潔に保たれていた。
 中林はかなりの偏食家で、今の時代ほとんどの惣菜に苦手な肉と魚が入っているため、残して破棄するくらいなら。と外食や弁当を買う事は滅多に無い。
 波那は恋人の苦手な食べ物を覚えながら二人で仲良くキッチンに立つのが楽しかった。中林もそれは同じ様で、料理のできる人と付き合うのは初めてだ。と嬉しそうにしてくれる。
 しばらく待つと牛乳はふつふつと沸き、温めておいた二つのカップに注ぎ入れると、それを持ってリビングに入る。
 「ホットミルク、お腹温めた方が眠りやすいよ」
 ありがとう。中林は礼を言ってカップを受け取り、息を吹きかけてゆっくりと飲み始める。波那は一人用のソファに腰掛け、そんな彼の様子を見つめていた。
 もしかして一人で居たいのかな?そんな事を悶々と考えながらホットミルクをすすっていたのだが、中林は垂れ流されている深夜放送を眺めていて波那の方を見ようとしない。
 しばらくそうしていると、ホットミルクを飲み干した中林がようやくテレビ画面から視線を外した。
 「ゴメン、何か付き合わせてるみたいで」
 「そんな事無いよ、僕も眠れなかったから」
 隣良い?その言葉に中林は体をずらし、一人分座れるスペースを空けてやる。波那は空っぽになったカップをテーブルに置くと、恋人の居るソファに移動してそっと体を抱き寄せた。
 これに驚いた中林は一瞬体を引き剥がそうとしたが、人の体温に安心したのかすぐに動きが止まる。
 「波那ちゃん?」
 「もしかして、普段からあまり眠れてないんじゃないの?」
 波那は中林の体をさすると、戸惑いながらも少しずつ身を委ねてくる。
 「何で?たまたまだよ」
 「だって僕が眠るのを見計らってこの部屋で夜を明かしてるじゃない」
 図星を指摘された中林は表情を変え、再び体を引き剥がそうとしたが、波那は抵抗して更に強く抱き締める。
 「変な詮索、すんじゃねぇ」
 「ごめんなさい。でも好きな人と一所に居たいと思うのがそんなにおかしな事?」
 「そうは言ってない、俺だってそう思ってんだ。けど好きな人に変な気揉ませたくないって思う事だってあるだろ?」
 確かにその通りかも知れない……。波那はほんの少しのワガママが傲慢に感じられてふっと力を緩める。中林が離れていく覚悟はしていたのだが、波那の体に身を預けたまま動こうとしなかった。
 波那は再び恋人の体を抱き締めてそっと頭を撫でると、何かにすがるかの様に小さな体を抱き締め返してきた。
 「……俺、本当はガキの頃からまともな睡眠なんて取れた試し無いよ。精神科に通って睡眠薬を処方してもらってた時期もあったんだ」
 中林は波那の胸に顔をうずめ、ポツリポツリと話し始める。
 「大抵は悪徳施設に居た頃の夢でうなされる。それで夜中に目が覚めて、夢の続きを見るのが嫌で眠れなくなる。別の施設に移ったばかりの頃は貫徹する日が何日も続いて、医者に勧められて睡眠薬に頼る様になったんだ」
 波那は彼の話を聞きながら、持ってきていた毛布をそっと掛けて背中をさする。中林の体は冷たく時折カタカタ震えていたのだが、体を寄せ合っているうちに少しずつ温かくなって震えも治まってきた。
 「睡眠薬は確かに効果あったけど、それに頼りすぎて一度死にかけた事があって……」
 それ以来怖くて服用を止めた。中林は少し安心した様に目を閉じる。
 「それでも睡眠欲はあるから一旦は眠れても途中でうなされて目を覚ます。未だにそれを繰り返してるから、相手に心配掛けて同じ様な睡眠を強いるのが嫌でさ。総さんから波那ちゃんは体が弱いことは聞かされてたし、体に障る様な事したくなかったんだ」
 「そっか、眠れないのは辛いよね……」
 子供の頃の波那は、いつまで生きられるか分からない状況の中での入院生活を強いられていたので、目を閉じるとこのまま死んでしまうのでは、という恐怖に苛まれて夜を迎えるのが怖かった時期があった。状況は違えど睡眠に対する恐怖と戦っている中林の辛さは彼にも理解できた。
 こういう時は母が必ず傍に居てくれた、息子が熟睡するまで。一人で居るとろくな事を考えない、身を以て体験している波那は、今日こそ朝まで一緒に過ごしたい……。と恋人を抱き締めている腕に力を込めた。
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