コーヒーゼリー

谷内 朋

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迷走編

ー19ー

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 このところ病院勤務の方が忙しくなっている毛利は、少々久方振りにゲイバーのカウンターに立っている。そこに見た事の無い可愛い男の子がやって来て、毛利の前付近のカウンター席に座る。
 「いらっしゃいませ、ご注文お伺いします」
 「ビール、お願いします……」
 男の子は蚊の鳴く様な声で注文し、あとは下を向いて黙っている。毛利はそんな客を気に掛けつつ、慣れた手つきでサーバーからビールを注ぎ入れて彼の前に差し出した。
 「お待たせ致しました。今日はお一人ですか?」
 毛利は接客として話し掛けると、男の子はビクッと肩を震わせて顔を上げる。そこまで驚かなくても……。とつい苦笑いを浮かべてしまう。
 「ま、待ち合わせです……」
 やはり蚊の鳴く声で答える客は、ビールを一口飲んでまたも下を向いてしまう。
 話し掛けて欲しくないのかな?仕方無く男の子から離れ、この日来てくれる友人たちを待つ事にする。
 しばらくして津田と中林が仕事帰りにやって来る。近頃中林は毛利とすっかり打ち解けて、休日には波那も含めた四人で会う事もあった。
 「こんばんは……、まだ来てないみたいですね」
 中林は店内を見回して待ち合わせの相手である波那の姿を探す。実はこの時ビールを飲んでいた男の子は、チラ見をしながら彼の動向を伺っていた。
 「もう来るんじゃないか?」
 二人は店内奥のテーブル席に落ち着き、毛利は注文を取りにカウンターを出る。
 「どうする?波那ちゃん来てからにする?」
 あぁ。中林は頷いて毛利からおしぼりを受け取った。
 「ところでさぁ、波那ちゃんとは上手くいってんの?」
 「会う頻度は減ってるけど、電話とかメールはほぼ毎日。ただ最近の波那ちゃん、知らない人と居る様な感覚になる位にエロくなっちまってる、と言うか……」
 「ん?どゆ事?波那ちゃんとエロが結び付かないんだけど」
 毛利と津田は眉をひそめて中林を見る。男の子は耳をそばだててその話を聞いていた。
 「平たく言うとこのところセックスが大胆なんだよ」
 「お前……。ここでする話じゃないだろ?」
 津田は波那の夜の姿を妄想したのか気持ち赤面してしまう。そんな彼を毛利が突付き、なぜそこでウブになる?と茶化していた。
 「アンタとのセックスにハマったんじゃないの?それまでノンケだった訳だしさ」
 「きっとそうだよ、考え過ぎだ」
 「……すみません、変な話して」
 中林は何とも言えない表情で出されていた水を飲む。そこに待ち合わせをしていた波那が私服姿でやって来て、こんばんは。とにこやかに挨拶をする。その声に反応した男の子は振り返って波那の姿を見つめている。
 「あっ、あぁ……」 
 毛利と津田は中林の言わんとした事が何となく理解出来た様な気がした。特に幼少期から波那の事を知っている津田からしてみれば、後輩との交際で可愛らしさが増してきたとは思っていたが、今の様な艶やかさは見せてこなかったはずだった。
 「どうしたの?」
 二人にぎこちない態度を取られてしまった波那は、不思議そうにくるくるした瞳を向けている。
 「あっ、いやさぁ。この男が『最近波那ちゃん綺麗になった』なんて自慢してたところだったから」
 「いちいち言わんでいい!ゴメン波那ちゃん、コイツに話したのが間違いだった」
 中林は毛利の告げ口に照れてしまい、珍しく慌てた表情を見せている。
 「良いじゃん、悪口じゃないんだから」
 「そんな話してたの?」
 波那は恋人の顔を見て嬉しそうに隣に座る。
 あれ?波那ちゃんってこういった時すぐ照れるのに……。今となっては津田が誰よりも深刻に捉えている様だった。
 四人の様子を窺っていた男の子は、タイミングを見計らってテーブル席に近付き、こんばんは。と声を掛ける。それに気付いた中林は、あぁ。と彼を見た。
 「この前の……久留米君、だよね?風邪の方はもういいのか?」
 「はい、お陰様で。先日はご迷惑、お掛けしました」
 「そんなの気にしなくて良いんだよ。それより旦那にはちゃんと見舞ってもらったか?」
 はい。久留米千郷は嬉しそうに頷いて波那の顔をチラッと見る。
 「今日はお一人なんですか?」
 「いえ、待ち合わせしてます……。あっ、来ました」
 「へぇ、どんな人か見てみたい」
 興味本意で千郷のパートナーを見たがる毛利に、良いですよ。と店に入ってきたばかりの男性を呼びに行く。彼は最初渋っていたのだが、結局押されてしまったのか恋人に手を引かれる形でテーブル席にやって来た。
 「紹介しますね。こちら畠中星哉さん 、小泉さんはご存知ですよね?」
 千郷は波那に笑顔を向ける、少しばかり挑戦的な目の色で。
 「えぇ、同じ会社ですからたまにお会いします」
 波那と畠中は薄い知り合いの振りをしてぎこちない会釈を交わす。
 「まさかアンタだったとはね。どこで知り合ったの?」
 「どこって、ここでだけど」
 へぇ。毛利は畠中と千郷のカップルを見てにやっとする。
 「なるほど、って感じだね」
 毛利は中林にだけ聞こえる声で同意を求めたが、答えたくなかったのか相手にしない。畠中は中林をチラッと見ただけで視線を逸らし、目のやり場が安定していない。
 「まともに会うのは十年振りか」
 一方の中林は畠中から視線を逸らさず声を掛ける。
 「あぁ、そうだな……」
 「ついでだから言っとくわ。俺今彼と付き合ってる」
 中林は何も知らない振りをして波那との交際を明かす。畠中もわざと驚いた表情をして波那の顔を見た。
 「……そうなんですね」
 「えぇ……」
 二人は不自然なくらいに余所余所しく接してなるべく視線を合わせない様にした。
 「何だ、面識無いの俺だけか……。初めまして、津田総一郎です」
 「畠中星哉です」
 二人は挨拶の印として握手を交わし、津田は多少好奇の目で畠中を見た。そして千郷がまだビールを飲み残しているのを盾に、皆で飲まない?と持ち掛ける。
 え?一同は一瞬固まるが、意外にも千郷が乗り気な態度を見せた事で、五人と毛利との飲み会に発展してしまう。

 それぞれに何らかの思惑はあるものの、表向きは和やかな雰囲気で少しずつ打ち解けていく。千郷は畠中と居るよりも中林との会話の方が弾んでおり、波那は入りづらくて津田と一緒にいた。畠中はと言うと波那と親しくする訳にもいかず、時折接客で立ち寄る毛利と言葉を交わしていた。
 しばらく時間が経って、波那はチラッと畠中に視線を送って席を外す。この時は波那の事を見ていなかったのだが、津田に声を掛けてから席を立ったのでトイレに行った事には気付いていた。
 一つ変な事聞いていいか?中林はすっかり打ち解けてきた千郷の顔をまじまじと見る。
 「今、幸せか?」
 えっ??唐突過ぎる質問に千郷は困惑し、一緒に居る毛利と津田はどういった返答をするのか見守っている。一方の畠中はと言うと、その話題よりも波那の事が気になって答えを聞かずに席を立ってトイレに入ってしまう。
 お前にも聞いてんだよ。中林は逃げる様に去っていく同級生の背中を睨み付けたが、言葉を使って引き留める事はしなかった。
 「幸せですよ」
 「え?」
 中林は千郷の返答にトイレから視線を外す。彼もトイレを見つめており、少しばかりもの悲しそうながらも無理のある笑顔を見せていた。
 「その割には悲しそうにしてんじゃねぇかよ」
 「ちょっと待て、本人がそう言ってんだからあんま糾弾してやるなよ」
 ここで津田が慌てて間に入り、波那がトイレから出てきた事でこの話題は終了する。
 「僕は本当に幸せですよ、今こうして命がある訳ですから」
 千郷はそう言って中林に微笑みかける。きっと何か勘付いてる……、中林は隠し持っている不安材料が蘇り、それ以上の言葉を掛ける事が出来なかった。
 
 「そろそろお開きにしますか」
 言い出しっぺの津田の一声で、いまいち盛り上がりに欠けたままの飲み会は終了する。津田以外の四人は席を立ち、中林は千郷から離れて波那の隣に立つ。
 「次の三連休、空いてるか?」
 「ゴメンね、土曜日しか空いてないんだ」
 「じゃ土曜日だけでも家に来ないか?久し振りに波那ちゃんの作る飯食いたい」
 「うん、行く」
 波那はようやく恋人と話が出来て笑顔になる。毛利はそんな様子を何故か複雑な表情で見つめていた。
 「俺はもうちょいここで飲むよ」
 四人を見送った津田はカウンター席に移動して新たな酒を飲んでおり、自身が蒔いた種とは言え少々やりにくそうな表情を見せている。
 「実はちょっと気になってるんだ、悠麻の言ってた事」
 「うん、正直疑うの分かる気したもん」
 「あぁ。『知らない人と居るみたいだ』って言ってたろ?今日の波那ちゃん、俺もそんな感覚だったんだ。だからオジサン余計に疲れちゃって……」
 彼は手にしていたグラスを置いて大きなため息を吐くとその場でうなだれてしまう。
 「そんなでかいため息吐かないでよ、こっちまでどんよりする」
 毛利は嫌そうな顔を津田に向けると、ツマミ用にサービスしているミックスナッツを差し出した。
 「ところでさ。畠中君だっけ、波那ちゃんと同じ会社の人。彼本当にあの程度の関係なのか?」
 津田はそれをつまみながら毛利を見る。
 「んな訳無いでしょ、去年の年末に告って振られてるよ、あいつ。その後も珍しく粘ってたらしい、ってマスターが言ってたけど、千郷君が居る手前そんな事言えないじゃん」
 「まぁそうだな、悠麻はその事知ってるのか?」
 多分ね。その言葉に津田は嫌そうな顔をした。
 「まさか……」
 「当時の事までは知らない、ただ……」
 「今は確実にクロだろうな」
 「何だ、アンタも気付いてたか」
 「あれで気付くな、って方が無理だろ?それにしても厄介な男だな」
 彼は渋い表情で毒付き、毛利も肩をすくめて困った顔をする。
 「どうしたもんかねぇ……」
 「俺たちが何もしなくてもこんな秘密すぐにバレるさ。その後の決断は本人たちでするしかないよ」
 「まぁ、そうなんだけど……」
 「ただ、俺波那ちゃんには失望してる」
 両方愛せるなんてあり得ない。それが津田の言い分だった。
 「揺れ動く事はあるでしょ?」
 「だとしてもどちらか一方に決めるべきだろ?いくら何でもそこまで贔屓出来ないよ」
 客の本音を垣間見た毛利は、何を思ったかそっと手を握ったのだった。
 「アンタ、相当波那ちゃんが好なんだね」
 「いや……俺ゲイじゃないぞ」
 津田は弁解じみた言い方をしたが、握られている手を振りほどこうとはしなかった。
 「分かってるよ、そんなの」
 津田は気恥ずかしそうに苦笑いすると、一杯付き合ってくんない?と手を握り返してきた。
 「うん、良いよ。その代わり奢りね」
 毛利はカウンターに出て津田の隣に座り、彼と同じ酒を頼んで二人仲良く乾杯した。
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