星に名前を

谷内 朋

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拾漆

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「散らかってますけど、見て見ぬ振りしてください」

 伊勢はそう前置きしてからカギを開けて松井を招き入れる。

「お邪魔します」
 
 自分から押し掛けておきながら、今思えば慣れない行為なだけに落ち着かなくなる。松井の恋愛経験は妻の若葉のみなので、女性一人暮らしの家というものを見たことが無い。伊勢の家はとにかく小物が多く飾られていた。自身で買ったものなのか頂きものなのかは不明だが、ほとんど物を置かない松井家とは対照的だった。

「汚いって思ってます?」

 初めて見る女性の家の中をキョロキョロを見回す松井に伊勢が声を掛ける。

「いえ、ただ小物が多いなとは思います。女性の部屋ってこんな感じなんですか?」

「人によりますが。コーヒー、淹れましょうか?」

「えぇ、是非」

「少し時間が掛かりますので適当に座っててください」

 松井は小さなテーブルの側に座り、そこの中央にも飾られている小物を見やる。それは木製のドールハウス用の家具や食器などの生活用品で、手作りかと思わせる温かみがあった。

「これって手作りなんですか?」

「えぇ。祖父が木材の切れ端で作ってくれたんです」

「とても丁寧に作られていますね、既製品だとこうはいきません。手にとっても宜しいですか?」

「構いませんよ。子供の頃よくそれで遊んでいましたので」

 松井はその中から椅子を選び、あらゆる角度から観察しながら施工技術の高さに感心する。彼自身が部品一つ一つに命を吹き込む作業を目の当たりにしてきたため、これらに込められた祖父から孫への愛情がひしひしと伝わってくる。

「見れば見るほど素晴らしい代物ですね」

「ありがとうございます。でも『そんな古びた物さっさと捨てたら?』ってよく言われるんです、家族にも呆れられてて。褒めてくださるのはあなたで二人目です」

 伊勢は淹れたてのコーヒーを二つ持ってリビングに入ってくる。彼女にとっては宝物と言える代物だったので、想い人に褒められるのは素直に嬉しかった。

「一人目は藤巻さんですね」

「えっ? どうして分かったんです?」

「企業秘密です」

 松井は古びた小物たちに夢中で、今度はほうきで掃く真似事を始めていた。伊勢は一瞬コーヒーを勧めようとしたが、極度の猫舌であることを思い出してそっとテーブルに置くのみに留める。
 
「実は先週、悠介くんに会ったんです。雑誌の取材で近くに来てたので」

「そうですか、何か話されましたか?」

 彼は手の動きを止め、コーヒーを啜っている伊勢を見る。

「えぇ。その時に長岡さんの“何か”を聞きました。彼既に家庭を持ってらしたんです、内縁だったそうですが。今はもう別れてますけど、子供二人の養育費は支払っているらしいです」

「そうですか」

「でもどうしてその時に教えてくれなかったんでしょうか?」

 伊勢の声は不服が含まれていた。しかし松井はなぜ彼がそうしたのかは何となく理解できた。

「彼らしい判断ですね、賢明だと思いますよ」

「そうでしょうか?」

「当時のあなたに報せたらどうなるか、想像するだけで恐ろしかったんだと思います。最悪の事態を想定されたんじゃないでしょうか?」

「……」

 予想以上の重い返答に彼女は何も言い返せなくなる。その様子を見てからほうきを元の位置に戻し、冷房の効果で冷めてきたカップにようやく手を伸ばした。
 いただきます。松井は小声で言ってからコーヒーを啜る。あの日に飲んだものとは違う風味だったが、それでもなぜか妻と同じ優しさが感じられた。

「先日伺ったものと同じですか?」

「えぇ、それしか飲みませんので。ここと東北ですと、水質の違いで差が出るかもしれません」

「そうかも知れませんが。因みに家のコーヒーはモカとコロンビアのブレンドで、配合は七対三です」

 はぁ……カップの中を覗き込みながら独り言のように話し始める松井に対し、伊勢は付いていけなさそうに困った表情を浮かべている。

「キリマンジャロベースのブレンドとモカベースのブレンドだと味も香りも違うものになると思うんですが」

「だと思います。でもそれが……」

「それなのに、あなたが淹れてくださったコーヒーと妻が淹れていたコーヒーが同じ味に感じるんです」

 松井もまた困った表情を見せて更に一口飲む。

「そのせいでというのもおかしな話なんですが、お陰で随分と悩まされました」

 彼はテーブルの上にカップを置いた。
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