星に名前を

谷内 朋

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廿参

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 父を見舞った松井は猛と曽我と合流し、幼少期よく利用していた洋食レストランで食事を摂った。その後ホテルまで曽我に送ってもらい、夜九時を過ぎてようやく休息の時間を得られた。
 疲れた……彼は手にしていた紙袋と共にベッドになだれ込み、目を閉じて動こうとしない。猛は父の体を揺すって起こそうとしたが、うめき声を上げるのみで起き上がろうとしない。

「せめて着替えなよ」

 それでも起きない父に呆れた猛は、先に風呂に入ろうとバッグから下着を取り出すとブーンとバイブ音が聞こえてきた。
 あれ? 彼のケータイは震えておらず、もしやと思って父のバッグを漁るとケータイが動きを見せていた。念の為画面をチェックすると祖父からで、勝手ながら通話ボタンを押してもしもしと呼び掛ける。

『ん? 猛か? 輝男は?』

「寝ちゃった。起こす? 伝言残す?」

『出来れば直接話したかったんだが……わざわざ起こさなくていいさ。それよりどうだ? 満喫してるか?』

 祖父の問いかけに猛はうん、と答える。

「ただ色々ありすぎてまだ頭の整理ができてない。多分父さんも同じだと思うよ」

『そうか、谷岡のお実父さんに会ったんだな』
 
 えっ? 猛は祖父の勘に驚きの声を上げる。

『こんな時間に寝てるなんて滅多に無いじゃないか。でもそれ聞いて安心した、ご存命のうちに会っておいてほしかったからな』

「それであの手紙書いたの? 会わずに戻ったらどうするつもりだった?」

『どうもしないさ、決めるのは輝男だからな』

 ある意味賭けに出たのかな? 猛はベッドに横たわっている父を見る。話し声が耳に届いたのか、モソモソと体を動かしてゆっくりと頭を上げた。松井は備え付けのデジタル時計で時間を確認してから、疲れた体を起こして通話中の猛の姿に気付く。

「誰から?」

「祖父ちゃんから。父さん起きたから代わるね」

 猛はそう言ってからケータイを差し出し、父が受け取って通話を始めるのを見届けてからシャワールームへ入っていった。

『輝男か? 谷岡のお実父さん、お元気にしてらしたか?』

「かなり無理をしていたと思います。お互いが生きて会うとなるとこのタイミングしか無かったかもしれません」

 松井は淡々と事実を話す。

「正直なところ、覚悟はかなり揺らいでいました。これまでの意地が崩れていくのが恐かったんだと思います」

『で、どうだった?』

「あの時の決断に後悔はありません。ただ奈那子さんと向き合うとなるとその十七年がどうしても必要で……結局最後の最後で実父に頼ってしまいました」

 松井は弱々しいため息を吐く。

『そう自分を責めなくていい。いずれはそんな時期も来るだろうって若葉が言っててな、それで猛の誕生日に毎年一通手紙を書く事にしたんだ』

 猛の誕生日……奇しくも二人が駆け落ちを決意したまさにその日であった。
 
『さすがに最初の十七年間の空洞は儂らでは埋めてやれないからな』

「……」

 元を正せば赤の他人である二人の間に埋められないものは存在する。それでも十六年間共に暮らし、離れている今でも常に息子同然に接してくれていた義父の方が松井にとっての父親であった。

「お義父さん」

 松井は掠れた声でケータイ越し義父に声を掛ける。

『ん?』

「実父に会えた事は良かったと思います、ただ居場所はもうありませんでした。今では松井姓の方が自分らしく生きられます、このまま家族でいさせてください」

 松井は素直な思いを口にしたが、電話越しからは何の返答もない。ただ黙って義父からの言葉を待つ。

『輝男』

「はい」

『今になって何言い出すんだ、お前は未だに他所者感覚でいたのか?』

 えっ? 急に叱り口調になった義父の言葉に戸惑う。

『とおの昔に家族の一員だ、今度言ったら殴るぞ』

「はい」
 
『それにな、茂彦も樹もお前を“弟”って紹介してるんだぞ。戸籍上では“義兄”にも関わらずな』
 
 松井にとって何よりも嬉しい言葉だった。本当は妻若葉の為に張ってきた意地ではなく、谷岡家と繋がる事で松井家で過ごしてきた日々を失うことへの恐怖の方が強くなってきていた事に気付かされる。
 このままで良いんだ……そう思える事で故郷を得られた彼にとって、ようやく自分らしく生きられる新たなスタートに立てたような気がした。
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