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笑わない男と廃寺と

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悠香が“黄泉川荘”にやって来たのが、つい三十分前のこと。

通された十畳ほどの和室で出されたお茶をちびちびと飲みながら喉を潤していた。
廃れた見た目と違い中はふつうで、少し拍子抜けした悠香だが、それよりも驚いたのが令和のこの時代に部屋の灯りがろうそくの灯だったことだ。殺風景な部屋だけに時代劇ドラマに出てくる武家屋敷か何かにいる気分になった。

待つこと数十分ーーーゆらりとろうそくの灯が揺れたかと思うと、スッと襖が開き和服姿の男性が現れ悠香の前に座った。

男性は“黄泉川結人(よみかわゆうと)”と名乗った。

(この男性(ひと)が親戚の人……?)

橙色の優しい光が幻想的な空間を作り出していたこともあるが、悠香は息をするのを忘れるほど結人に釘付けになったーーーー






「えっと、あの……」
ここは旅館ですか?という言葉は飲み込んだ。いきなり失礼な質問だと思ったのもあるが、結人の切れ長の目に怯んでしまったからだ。
「いえ……何もないです……」
シンと静まり返った部屋で会話もなく時間だけが刻々と過ぎていく。
この時間はいつまで続くの?と思いながら、悠香は結人の言葉を待った。

(機嫌悪そう……)
居心地の悪さにいたたまれなくなるが、こんな時間に訪ねてきた自分が悪いんだし!多少の気まずさは仕方ない……と諦める。
でも少しくらい喋ってくれてもいいのに……と内心ムッとするものの、悠香は結人から目を離せずにいた。
それは結人が嫉妬するのもバカらしくなるくらい整った綺麗な顔をしていて、愛想はないが佇まいだったりお茶を飲むときの所作だったりが上品で美しく。嫌でも見惚れてしまうほど、洗練された美しい男性だったからだ。
でも、それも限界!我慢できなくなった悠香は「あのっ!こんな時間に押し掛けて本当に申し訳ないと思ってます!怒るのは無理ないと思いますが、今日一晩だけ泊めて頂けないでしょうか?」と、気づくと結人に詰め寄っていた。
そこには悠香を部屋に通してくれた初老の男性が替えのお茶を運んで来たところで、手に持った盆が微かに震えていた。形的には結人を襲っているように見えたかもしれない。一方、襲われた格好になった結人は少し驚いた表情をしていたが、湯飲みをスッと置くと静かに悠香を見据えた。
綺麗な人が凄むとなんとも言えない迫力がある。
その眼光の鋭さに悠香は蛇に睨まれた蛙のように縮こまってしまった。

(ひっ……ほ、本当に怒らせたかも!?)

旅館の手伝いに来た悠香ではあったけれど、見た目は廃寺でどうみても旅館として機能している感じもなく、親戚が旅館をやっているというのは親の勘違いだったのでは?と思った。
どちらにしても、それはもうどうでもいいことだ。
とにかく泊めて貰えないと、今から他の宿を探すことも出来ないし、なんでもいいからゆっくり休みたい。宿泊代は払うので一泊させてほしい……と思ったのは先程の言動で泡と消えてーーージメッとした夏の夜を虫たちに囲まれて寝るのか……と、悠香は肩をガックリと落とした。
すると結人が初老の男性に何かを指示していた。
初老の男性は恭しく頭を垂れると部屋を出て行った。
「部屋を用意させている。今日はゆっくり休むといい」
……え?と悠香は目を瞬いた。
初めて聞いた結人の声はとても落ち着いていて……意外にも優しかった。
部屋に案内させるからと、「小太郎」と結人が呼ぶと襖の奥から五、六歳の男の子が現れた。
甚平を着たおかっぱ頭の可愛い男の子だ。人見知りなのか足早に結人の背中に隠れるも、悠香が気になるらしくチラチラと顔を覗かせていた。
「小太郎、恥ずかしがってないで、こちらの客人を部屋まで案内して上げなさい」
親戚の子どもが夏休みで遊びに来ているかと思ったが、どうもそうではないらしい。
小太郎は照れながら小さな手で手引きをする。
(か、可愛い!)
小太郎のキュートさにメロメロになりながら「あの……ありがとうございます。おやすみなさい」と、悠香は部屋を出た。
結人は相変わらず愛想はないものの、返ってきたおやすみの声もどこか優しく少しほっとした。

案内された部屋はきれいに掃除され整えられた六畳ほどの和室だった。
部屋には悠香のキャリーケースもちゃんと運ばれていて、布団もすでに敷かれており、枕元にはピンク色の花のデザインがあしらわれた浴衣が漆塗りの高そうな入れ物に入って用意されていた。
本当に旅館かもしれないーーー悠香の認識がちょっとだけ撤回された。
とりあえず部屋の灯りがろうそくの火ではなかったことにほっとする。
小太郎がコクリと小さな頭を下げて行こうとしたのを呼び止める。悠香は飴玉を鞄から取り出すと「ありがとう」と、小太郎の手のひらに乗せた。
小太郎はもじもじと照れたように、でもニコッと愛らしい笑顔を返すとぴゅう~と戻って行く。

(ああ~~~やっと、くつろげるぅぅぅ~~~!)

悠香は息を体の底から絞り出すように吐くと、そのまま布団に倒れ込んだ。
温泉はさすがに無理だろうけど、ふかふかの布団で眠れる。それだけで十分……ああ最高!
おんぼろでも夏の夜に虫たちと過ごすよりマシで、雨風がしのげるなら一日くらい我慢しよう!なんて思ったことは……謝ろう……。
今日は本当に色々あり過ぎて疲れてしまった。今はすっぱり忘れて眠りたい…………。

急激な睡魔に襲われた悠香はふかふかの布団に誘われ、そのまま意識を手放したーーーー


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