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やっぱりウマイ話には裏がある

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………。
鳥の囀ずりが聞こえる……。
いつもは車の騒音やマンションの通路で世間話をするおばさんたちの煩い声しか聞こえないのに……今日はなんだかのんびりしてーーー!?

ああーっ!と悠香は布団から飛び起きた。
そうだ!ここは彼と暮らしていたマンションの部屋じゃない!
無理を言って泊めて貰った廃寺の一室……だったことを思い出した。
障子の向こうはすでに明るく、朝を迎えたことがわかる。鳥たちの囀ずり以外にも子供のはしゃぐ声も聞こえてくる。
昨日の子かな?なんて思いながら、悠香はあれからどうしたんだっけ?と、ぼうっとした頭で昨晩のことを思い返した。

愛想はないが超絶美形の謎の男。
部屋を用意してくれた執事らしき初老の男性。おかっぱ頭の可愛い男の子に部屋まで案内してもらったあと、そのまま布団にダイブして………寝落ちしてしまったのを思い出した。
……顔も洗わず、着替えもしないで………ん?んん?
(え………っと着替えさせたのは………………誰!?)
悠香は固まった。
自分では着替えた覚えはなく……でも着ているのは、昨日部屋に用意されていたピンクの花柄の浴衣で……。
まさか夜中に起きて自分で着替えたとか?それならなんとなくでも覚えていそうなのだが、まったく記憶がない……。

まさ……か!?と、心当たりの人物が頭に浮かんだ瞬間ーーー障子の向こうから品のある女性の声が聞こえてきた。
この廃寺に女の人?と驚きと同時にもしかしたらという期待が膨らむ。女性の問いかけにどうぞと返すと、ススッと障子が開き朝の清々しい光とともに真っ白な着物を着た眩しいほどの絶世の美女が姿を現した。
昨日の黄泉川結人という男性も超絶美形で衝撃を受けたが、今回の美女は人外の美しさを纏っている。
すべてにおいて平均点の悠香からすると、大輪の薔薇とそれに集る(たかる)害虫と言ってもいい。
どんな美人でも戦意喪失!白旗万歳の状態である。
ぽかーんと口を開けていると、「おはようございます悠香様。お食事の用意ができております」と、美女は神々しいほどの笑みを浮かべた。
同じ女なのにその美しさに思わず紅潮してしまう。
「どうかされましたか?」
「……いえ、大丈夫です!」
なんでもないです……と手を振ると、緩んだ頬を両手で軽く叩いた。その行いに美女は濡れた睫毛を瞬かせた。
「わたくし、悠香様のお世話をさせて頂きます雪那と申します。なんでもお申し付けくださいませ。ところでどこかお加減でも悪いのでしょか?」と、心配そうに顔を覗き込む雪那。
“あなたの美しさに見惚れてました”なんて言えず、悠香は心の中で苦笑した。
「お食事の前に、まず準備をいたしましょう」と、雪那は漆塗りの入れ物を手に部屋の中に入ると、白地に紺のストライプが入ったシンプルなデザインの浴衣を取り出した。
「あ!」
(美女に見惚れて忘れるところだった……)
「はい?」
「あ、あの……この浴衣は……」と、ピンクの浴衣について聞こうとしたが、もし自分の予想が当たっていたらショックで立ち直れない……。知らない方が良いこともある……と聞くのを躊躇った。

雪那は優しげに微笑むと「ご安心くださいませ。浴衣に着替えさせたのはわたくしでございます。昨晩遅くまで灯りが点いていたので、失礼かとは思いつつ部屋を覗きましたら、悠香様がお洋服のままお倒れ……いえ、よく眠っていらしたので起こすのも忍びなく……勝手なことを致しました。不快な思いをさせてしまったなら、わたくしの命で償いを!」
え……はっ?命で償い!?いやいや冗談!と、面食らってしまった。逆にこちらが謝らなくてはいけないのに……と悠香はますます申し訳なくなった。
「こ、こちらこそご迷惑を掛けてすみません!あの……命は大切にしてください。わたしは怒ってないので……少し戸惑ってしまっただけで……」
今にも短刀を持ち出して命を捧げそうな勢いの雪那を慌てて宥める
「で、ですが……」と、まだ納得できない様子の雪那に「着替えさせてくれてありがとうございます!本当に助かりました」のダメ押し攻撃。

(こんなことで命を捧げられても困る!寝覚めが悪いし……それより、この人大丈夫?)

雪那の行動にいささかドン引きしつつ、なんとか思い留まらせることに成功した悠香はほっと息をついた。
何だかんだと新しい浴衣に着替えさせてもらうと少しだけ気持ちが上がった。着物を着る機会なんて滅多になく、お金を貯めてやっと買った洋服に初めて袖を通したときと同じどきどき感がある。
「お似合いですよ!悠香様」
雪那は満足そうに頷いた。
「その“様”は……やめてもらっていいですか?」
小市民の自分には到底不釣り合いな敬称で、呼ばれるたびにむず痒くて堪らないのだ。
しかし雪那は、はて?という顔をしている。
「そもそも様付けされる人間ではないので……」
すると雪那は「ですが悠香様は結人様のお身内の方と伺っております。主のお身内であればわたくしどもにとっては主と同じでございます」

(……いつの時代?)

「えっと、身内といっても遠い親戚といいますか……わたし自身、こちらのことは母に聞くまで知らなかったので。ほぼ他人に近い立場だと思います」
とにかく“様”はやめてください!と懇願すると。
「さようでございますか……」と雪那は残念そうに項垂れた。

(落ち込むところ?)
美女の考えることはよくわからないと悠香の方も項垂れる。
「では、どのようにお呼びすればよろしいですか?」
「ふつうに呼び捨てでいいですよ」
「ええっ!そんな恐れ多い。呼び捨てなんて!」
近寄りがたい絶世の美女がどうしましょうと右往左往する姿はなんとも可愛い。
「じゃあ、わたしは雪那さんと呼ばせて貰いますね」
悠香がそういうと雪那の顔が驚きと戸惑いの入り交じった表情に変わる。
「あ、もしかして嫌でしたか?ご迷惑なら他の呼び方を教えてもらえれば……」
「いえ……わたくしなんかを名前で呼んでくださるなんて、とても光栄で……しかも“さん”付きで、なんてお優しい方でしょう」
およよ、と雪那は真っ白な着物の袖で目頭を拭った。
はは……っと苦笑いを浮かべつつ、すぐにお暇するのだから、そんなに気にすることもないか……と、そのときは深く考えなかった。
ようやく朝食が用意された部屋に向かうと、昨晩通された部屋よりも数倍は広い和室へと案内された。
あまりの広さに面食らっていると、襖の奥から超絶美形の結人が着物を着こなし颯爽と現れた。
「おはよう」
前門の超絶美形、後門の絶世の美女……悠香はここから逃げたい衝動に駆られた。
用意された座布団に昨日と同じく結人と向かい合って座る。
昨晩は時間も遅く、ろうそくの灯りだけだったので、光の下で侑叶の顔を見るのは今日が初めてだ。しかし美形に光の明暗は関係なかった。
綺麗なものは綺麗で、それが一層強調されるだけである。  
昨晩は気がつかなかったが、結人は髪を肩より長く伸ばして後ろで一つにまとめていた。
キューティクルが効いた艶やかな黒髪は癖毛が悩みの悠香にとって、なんて羨ましい産物なんだろうと、思わずうっとりとしてしまった。

しばらくして旅館で出てくるような膳が運ばれてきた。膳を持った人がしずしずと悠香と結人の前にそれを置くと、悠香がお礼いう前に一礼して去ってしった。
「では、頂こう」
結人の言葉に続いて手を合わせた悠香は豪華な朝食に目を丸くした。

(美味しそう~こんなちゃんとした朝ご飯は久しぶり……)

膳にはご飯にお味噌汁、焼き魚(鮭)に玉子焼き。納豆と小鉢。あとは海苔にお新香……ざ日本の朝食が膳の上にところ狭しと置かれていた。

「おかわりは沢山あるので、お申し付けくださいませね」
何十畳あるかわからない広い部屋の隅で雪那がニコニコと待ち構える。
自分たちが食べ終わるまでずっと待っているのだろうか?それなら早く食べた方が雪那も困らないかもしれない。
「雪那のことは気にすることはない。ゆっくり食べなさい」
悠香の心を読んだかのように、結人が淡々と口にする。
(顔に出てた?)
まずお味噌汁を口にする。悠香は料理が苦手で味にこだわりもないが、この味噌汁がインスタントでないことはわかる。
玉子焼きは甘い味付けで自分好みだし、鮭もほどよく塩が効いている。とにかく全部美味しい。
「悠香……様、おかわりはいかがですか?」
雪那が見計らったように声を掛けてきた。
おかわりは……したい。でもこんな超絶美形と絶世の美女の前でガツガツするのは恥ずかしい……という僅かな女心がブレーキを掛ける。
「朝食は一日の基本だからな。遠慮せずにおかわりしなさい。無理にとは言わないが」
「そうですよ!遠慮せずにおかわりしてくださいな」そう言いながら雪那が白い手を差し出した。
結人の言葉に背中を押され、
「じゃあ……少しだけ」と、悠香は恥ずかしそうにお椀を渡す。雪那は嬉しそうにご飯を盛った。
(お、多い……)
量を減らして欲しかったが、ニコニコ顔の雪那を見ていると口にするのが申し訳なく、なんとか食べきることはできたものの、お腹がはち切れんばかりに苦しい。
(うっ……食べ過ぎた)
お腹がいっぱいで苦しい思いをしている自分の前で優雅に食事をする侑叶に、悠香はまたしても見惚れてしまった。
食べ方も箸の持ち方ひとつとっても、すべてが上品で美しい。何時間でも見てられる。愛想はないが……昨日よりは言葉を掛けてくれるので、昨晩のことは怒ってないのだろうと少しだけ胸を撫で下ろした。
そういえば……と、きちんと挨拶をしていないことに気がついた。
それに我がままを聞いてもらったお礼も言っていない。
結人が食べ終わり膳が下げられるのを待って、悠香は改めてお礼とお詫びを伝えた。
「宿代と部屋の掃除はできる限りして帰りますので、泊めて頂いてありがとうございます」
頭を下げる悠香の横で口を開いたのは雪那だった。
「悠香様!どちらに帰られるのですか?」
「……部屋はこれから探します。すぐに見つかると思うので……」
部屋は選ばなければすぐ決まるだろう……上手くいけば今日にも入居できるはずだ。
雪那は悲しそうな表情を浮かべている。
結人は何も言わない。引き留める気はないのだろう。当然だ母親の勘違いだったのだから。少し残念な気もするが旅館でない以上、悠香がここにいる必要性はない。タダ飯食いになりたくもないし……。
「君の母親からは、うちの仕事を手伝ってもらえると聞いていたのだが?違うのか」
今まで黙っていた結人がふいに口を挟む。
「それは……旅館のですか?」
悠香の言葉に侑叶が怪訝な顔をする。
(やっぱり旅館じゃないんだ!今度こそ怒らせたかも!)
「旅館とは何のことだ?俺が頼みたいのは、もののけの子どもの世話だ」
「もののけの子供の世話?」
「そうだ」

も・の・の・け・の・子・供・の・世・話!

もののけ=妖怪=あやかし…………人間ではない存在。

「えぇーーーっ!?どうゆうことですか?」
「母親から何も聞いてないのか?」
「はぁ……旅館としか……」
結人はこめかみを押さえた。
「ちなみにだが、夜見家の家業について聞いたことは?」
「家業?父は普通のサラリーマンです。母は専業主婦で……」
この人は何を言っているんだ?と悠香は困惑した。
結人は呆れたように溜息をつく。

(え……わたし呆れられてる?なんで……?)

「まあ、そのことは追々話すとして。この寺はもののけの子供たちを預かる所だ」

耳を疑う衝撃的な言葉に悠香は口をパクパクさせた。
物語や空想上の生き物だと思っていたもののけ。
もし存在していたとしても、関わることなど一ミリもないと思っていただけに、まさかその子供の世話をしろと言われる日がくるなんて……。

結人の口ぶりでは母親は初めから知っていて、旅館と言ってこの廃寺に来させたように聞こえる。それが本当なら恐ろしい母親だ。

やっぱりウマイ話には裏があるのだ。

まだ承諾したわけではないし、拒否権はあるかもしれない。
もののけの子供だろうと人間の子供だろうと子供は子供だ。保育士でもなく子育てをしたことのない自分が子供の面倒を見れるわけがない……。

どうしてこの廃寺でもののけの子供を預かっているのかわからないが、とにかく断ろう!

これからはウマイ話には親であっても疑ってかかろう!そう心に決めた悠香だったーーーー

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