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猫と座敷ぼっこ

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僕の朝は珈琲を淹れることから始まる。
小鳥の囀ずりとともに飲む淹れたての珈琲は格別に美味しくて、初夏の風がそれをさらに引き立てる。
今日の朝食はトーストと目玉焼きとメニューはかわり映えしないが、僕はサチさんにおいしいと言ってもらう為、せっせと朝ごはんを作る。
最後に自分の珈琲とサチさんのミルクたっぷりの珈琲(ほぼほぼミルク)をカップに注げば出来上がりだ。

「いただきます」『……きます』
サチさんはトーストを小さな口で頬張っている。一生懸命食べる姿は朝から胸をキュンキュンさせられるほど可愛い(くぅ~これはわざとか!?)
目尻がこれでもかと下がり、僕は淹れたての珈琲を口に運んだ。ふわりと漂ってきた珈琲の香りが鼻腔を擽りサチさんの可愛いさも相まって、僕の幸福度はいっきに上がった。

「あ、サチさん口にミルクがついてるよ」と、ミルクでベタベタになったサチさんの口の回りをティッシュで拭いてあげる。
『アリガト』とサチさんは消えそうな声と照れたような笑顔をくれた。
(ヤバイ!これはもうキュン死ものだろう!)
しつこいようだけど、僕は決して変質者ではない!
そして、淹れたての珈琲を楽しんだら客の来ないカフェの開店準備だ。

憩いカフェはとある店の敷地内にポツンと佇むようにある。看板も出してないし、とくに宣伝もしてないからほとんど気づかれない。
緑に囲まれた広い敷地の樹木の下、木漏れ日を浴びた小さなカフェでいつものようにのんびりまったり過ごすのだ。
そして、いつものように珈琲豆をゴリゴリとミルで潰していると、サチさんが指を外に向けて『ネコイル』と言った。

「猫?」

僕はミルの手を止めてカフェの外に出ると、思ったより陽射しがきつく目を細めた。
サチさんに案内されてついて行くと、見るからに老木の痩せた木の根元のところにミカン箱ほどの大きさの箱が置かれていた。
箱の蓋には『だれかひろってください』と子供の字で書かれている。
そっと蓋を開けると生まれて間もないだろう二匹の子猫がミィミィと、か細い声で鳴いていた。子猫たちを捨てたかもしれない子供も飼いたかったと思うが、親に反対されて泣く泣くというところだろうか……?にしても。
(誰だよ!捨てるなんて酷いことしやがって許せん!)
人間の非情さに憤りを感じつつ、店には置いておけないし、それに動物を飼ったことのない僕には世話の仕方もわからないのだ。

けど……サチさんの穢れのない瞳が『タスケテアゲテ』と訴えている。
キラキラと期待の眼差しを向けられた僕は抵抗することなく頷いた。
ぱあと花が咲くような笑みを浮かべて喜ぶサチさんに誰が抗えるというのだろうか。
とりあえず子猫たちは病院で看てもらうことにした。お金は掛かるが仕方ない……。
ついでに世話の仕方も教えてもらおう。僕は店を閉めて近くの動物病院に駆け込んだ。
サチさんには店で待っててとお願いしたが、子猫が心配だったのかめずらしくついて来た。

子猫を看てもらってる間、サチさんは終始落ち着かない様子だった。
小さな命が鳴きながら必死にすがってくるのだ。最初に見つけたサチさんがお母さんのような感情を持ったとしてもおかしくない。

検査結果は“異常なし”

サチさんはほっとした顔をしていた。
子猫たちは生後二週間ほどらしい。帰ったらまず暖かくして、ミルクを人肌の温度にして与えること。様子がおかしいと思ったらすぐ連れて来てくださいと言われた。
まあ基本的なことがわかれば、何とかなるだろう。引き取ってくれる人も探さないといけないし、やることはいっぱいある。
そうと決まれば今日は店じまいだ!といっても開店休業状態なので関係ないけど。

家に帰るとすぐに柔らかい素材のタオルに子猫たちを包み、ミルクを温めて人肌になるまで待った。
その間も子猫たちはミィミィと鳴いてたが、心配そうに様子を見ていたサチさんが覚束ない手つきで撫で始めると、子猫たちは安心したようにサチさんの手に顔をスリスリし始めた。子猫たちにはサチさんがわかるのだろうか?サチさんもとても嬉しそうだ。
そのあまりにも可愛いすぎる光景に僕は眩暈を覚えた。

子猫たちはミルクをお腹いっぱい飲んで小さな体を寄せ合い丸まって寝てしまった。
僕はというと、すっからかんになった財布に溜息を漏らすも、小さな命がたった数万で助かったのだから安いものだろうと自分に言い聞かせた。
(まあ、よしとするか……)
安心して眠るその寝顔は動物を飼ったことのない僕でも可愛いと思えるのだから。

そうこうしてるうちに兄が帰って来たようだ。子猫を病院で看てもらってる間にLINEで大まかだが知らせておいたのだ。
気づくとサチさんは消えていた。
(別にいいのに……)
「今日はごめん。一応うちの敷地内で捨てられてたから、そのままにしておけなくて」
「ああ、それは構わないが、猫たちはどうするんだ?」
「拾った責任もあるし、引き取ってくる人が見つかるまでうちで面倒見たらダメかな?」
兄は少し眉間に皺を寄せていた。兄は仕事で家にはいないし、僕も店がある(開店休業だが)。
誰が面倒見るんだ!って話になるのだが……こんな生まれたばかりの子猫たちを今さら外には放り出せないし、次の引き取り手が見つかるまで面倒を見たいと思った。

「うちの店に置いたらダメなか?飲食店だし衛生的な問題もあるけど、キッチンから離して箱から出さないようにするから。まだ小さくて自分でミルクも飲めないし……」
元々あまり物事に執着しない(サチさん以外)僕がお願いするので、兄は少し驚いていたけど渋々了承してくれた。
「客が来ないとはいえ一応飲食店だからな、気をつけてくれ。こっちも店のスタッフや知り合いに聞いておくから」
「ありがとう」
(客が来ないは一言余計どけど)

僕は少しだけ胸を撫で下ろした。このままうちで面倒を見れなかったら最悪保健所に連れていかないといけなくなる。そんなことしたらサチさんが悲しむし、心配して体調を壊すかもしれない。僕とも口を聞いてくれなくなるかもしれない……それは避けたかった。まあ回避できたので良かった。
とにもかくにも子猫たちの面倒を見るのはいいとして、引き取り先がすぐに見つかるとは限らないし……名前とか付けた方がいいのか?なんて呑気に思ったりした。

店のカウンター側の陽がよく当たる場所に子猫をいれた箱を置いた。
子猫たちはお互いじゃれ合って元気そうだ。鳴き声も昨日より大きく感じる。
僕がいつものように朝食の準備をしていると、サチさんが子猫たちを上から覗き込んでいた。いつもならサチさん専用のイスに座って朝食ができるのを待っているのに。子猫たちがよっぽど気になるのだろう。ぷにぷにしたサチさんの頬っぺがますます赤くなって気持ちが高ぶっているのが伝わってくる。
(朝からいいの見れたな~)
僕の顔も自然と綻んだ。

子猫たちにミルクをあげたら、次は僕たちのごはんだ。
トーストを口に運んでいると、『ナマエツケル』とサチさんが言ってきた。
「なまえ?名前付けたいの?」と聞くと、サチさんは小さく頷いた。
僕は頭を悩ませた。名前を何にするか、ではなく。名前を付けることで情がわき別れるときにサチさんが辛くならないか?ということを……。
「あの子たちとはすぐお別れしないといけなくなるんだよ?」それでもいいの?と僕は確認する。サチさんはコクンと頷いた。どうしても名前を付けたいらしい。
「じゃあ、ごはん食べたら名前考えようか?」
するとサチさんは珈琲(ほぼほぼミルク)をいっきに飲み干した。
(はは、よっぽど子猫たちが気に入ったんだな……)

“クロとミケ” 名前は悩むより前にあっさりと決まった。
……一匹は真っ黒だからクロ。もう一匹は三毛猫なのでミケ。なんてひねりのない単純明快な名前だろう。案は僕が出したけど、決めたのはサチさんだ。
サチさんは『クロミケ』と何度も繰り返し呼んでいる。子猫たちも自分のことだとわかるのか、サチさんの声に反応してミィミィと嬉しそうだ。
当然のようにクロとミケはサチさんが見ることになった。
ミルクはあげられないが遊び相手は十分務まるだろうし、何よりクロミケが僕よりサチさんに懐いている。

『クロミケカワイイ』
暇な店内でサチさんはクロミケと遊んでいる。さすがに抱っこはできないので、もっぱらサチさんの小さな手が子猫たちの遊び道具だ。一応、部屋にあったキャラクターのぬいぐるみを箱に入れておいた。
僕はこの微笑まし光景に目を細めつつ、いつまで見ることができるだろう……と、少し感傷的な気持ちになった。
まだ兄からは何の連絡もないが、お客さんにも声を掛けると言っていたから、そう遠くないうちに引き取り手が現れるだろうと思っている。ちょっと複雑ではあるけれど……。
(サチさん悲しむだろうな)

そして兄から連絡が来たのは、その三日後だった。
引き取りたいと言ってきたのは兄の店で働くスタッフの両親らしい。
今はマンション住まいで飼えないが、一ヶ月後に田舎に引っ越すことになっていて、家も戸建で広くなるから飼いたいと申し出てくれたそうだ。
しかも二匹とも引き取りたいと言ってくれた。内心では二匹一緒にもらってくれるとこがいいな……なんて思ってただけに、これは凄く嬉しい。やっぱり別々は可哀想だ。

次の日、兄が引き取ると言ってくれたスタッフさんを連れて来た。子猫を見に来たらしい。
「一之瀬颯太です。兄がお世話になってます……あの、本当にありがとうございます」
ぎこちないながらも僕は頭を下げた。
「いえ、こちらこそ伊織さんにはいつもお世話になってます!」と、ペコリと頭を下げた守山愛実(もりやままなみ)さんはとても感じのいい女の子だった。
どうやら兄はスタッフさんから下の名前で呼ばれているらしい。
厳しいが人当たりの良い兄はスタッフの信頼も厚いようである。そんな兄をほんのちょっとだけ羨ましいと思うが、人との関わりが苦手な僕にはそれ以前の問題……だろう。

「うわぁ~可愛い!」
子猫を見るなり守山さんはメロメロになって撫でまくっている。膝の上に乗せてあやしてるのを見ると動物に慣れているようだ。子猫たちも安心したように守山さんにじゃれている。
サチさんはその様子を物陰から羨ましそうに見つめていた。
(あ~なんか拗ねてる顔)

「守山さん猫の扱い上手いですね。飼ったことあるんですか?」
ひと通り子猫たちと遊んだ後、カウンターで少し話をした。もちろん珈琲はサービスだ。
しかし狭い店内は大人が三人もいると一層狭く、圧迫感が半端ない。
(うちの店ってほんと狭かったんだな……)
「うちは家族みんな動物好きで、でもマンションだだから飼えなくて、昔は猫や犬を飼っている友達の家によく遊びに行ってました」
「そうなんですね。でも二匹とも引き取ってくれた守山さんと家の方には本当に感謝です。あ、守山さんも引っ越すんですか?」
言った後に余計なこと聞いてしまったかもと僕は慌てたが、守山さんはニコニコと嫌な顔一つしないで答えてくれた。
「私は大学があるので両親だけ引っ越すんですけど、週末は子猫たちの顔を見に帰ろうかと思ってます。それより驚きました!まさか同じ敷地内にこんな可愛いカフェがあったなんて」
(え、可愛い?)
守山さんの意外な言葉に僕はポカンとしてしまった。
「なんか、落ち着きます。珈琲も美味しくて」
「あ、あありがとうございます!」
「何、動揺してるんだ」
兄がすかさず余計な一言を言って来たので「うるさいな」と返しておいた。

その日はとても和やかに終わり、守山さんは子猫たちの動画や写真を忘れずに撮りまくって帰っていった。あとは両親が引っ越す前日に子猫を引き取りに来るそうだ。
そして、そんな時間はあっという間にきてしまうのだーーー

一ヶ月後、守山さんは両親と一緒に店にやって来た。
「まあまあ、なんて可愛いのかしら!」と、守山さんの母親は終始デレデレになっていた。
父親は寡黙だが優しそうな人で、これならクロとミケを任せても安心だと少し安堵した。
「あの、この子たちのことよろしくお願いします。それと……」
そろそろ食べられる頃だろうと数日分のキャットフードを渡した。
「すみません。お気遣い頂いて!落ち着いたら子猫たちの状況お知らせしますね。あと写真も!」
と、守山さんとLINE交換することになった。人生で初めてのLINE交換だ!しかも女の子と。

別れ際、最後に段ボール箱のクロとミケを撫でてやるとミャアミャア鳴いて僕の手に甘えてきた。
さすがに胸がきゅうと痛くなった。一ヶ月面倒を見たんだ情がわかないわけがないし、やっぱり別れは辛い……。
「元気でな、幸せになるんだぞ」そう言って、深々と頭を下げる守山さん家族を見送った。
そして、クロとミケは優しい家族に引き取られていった。

『クロミケイッタノ?』
ずっと隠れて見ていたサチさんがいつの間にか僕の横に立っていた。
「うん、いっちゃったね」
僕はポツリと言った。サチさんのぷよぷよ頬っぺの横顔がとても悲しそうに見えた。
「寂しい?」なぜかイジワルなことを訊いてしまった。
『ソウタガイルカラ』っと、ポツと返ってきた言葉に僕の胸はジーンと熱くなった。

クロとミケはもうクロとミケではなくなるだろうけど、新しい家族に包まれて幸せになってほしいと、僕もサチさんも願っている。

後日、守山さんからLINEが届いた。子猫の名前決まりました “クロとミケ” です!
一緒に届いた写真には少しだけ大きくなったクロとミケが写っていた。

猫の名前って……案外どこも単純明快なんだと笑えてしまったーーー

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