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少女と座敷ぼっこ(1)

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ぽかぽか陽気の昼下がりーーーー

店のドアベルがカランと小さな音をたてた。

相も変わらず暇な店内で陽気にあてられた僕がふがっと間抜けな顔を上げると、扉のところに可愛いお客様が立っていた。
見た目はサチさんと同じくらいの女の子。
(迷子……?)
憩いカフェは兄が経営する店の敷地内にあって、迷子というには少し違うかもしれないが、兄の店に来たお客さんの子供の可能性もあるし……もしかしたら遊んでいて迷い込んだのかもしれない。なんてことをあれこれ考えていた。
すぐ兄に確認してもよかったのだけど、寂しげな目をした女の子が気になって放っておけなかった。
(……この子、誰かに似てるな?誰だっけ……)
女の子をカウンターの席に座らせると「オレンジジュースでいいかな?」と聞いた。女の子は少し驚いた顔をしてコクリと頷いた。
出された飲み物を初めて見るかのように、不思議そうな顔で見ている。
「遠慮しなくていいよ」
僕はぎこちない笑顔でジュースを勧める。
すると『オレンジジュースホシイ』とサチさんが現れたのだ。
僕以外の人間がいると姿を消して絶対に出て来ないサチさんが姿を見せた。めずらしいこともあるもんだと目を丸くした。
さらに驚いたことにサチさんが自分から女の子の隣に座ったのだ。極度な人見知りであるサチさんが、初めて会った人間にしかも数秒で心を開いた。
(僕の時はけっこう時間掛かったのに……羨ましい)
情けないことに小さな子にジェラシーを感じてしまった。
さらにさらに、サチさんはオレンジジュースを手に『イッショニノモ』と女の子に笑い掛けた。
もちろん女の子にはサチさんの姿は見えてないし、声も聞こえていない。
(おおっ!これはめちゃくちゃレアケース。サチさんが笑い掛けるなんて!)
明日は雨か槍かってくらいに今日のサチさんは激レアだ。僕にはいつもツンデレなのに……と、またまたジェラシーが沸き上がる。
クロとミケの時は母性のようなものだったけど、今回は同じ年頃の人間の女の子だ。僕だって滅多にお目に掛かれないのに……と、羨ましさが止まらない。
でも、これは二度とないツーショットかもしれないこともあり、僕は慌てて心のシャッターを押した。
(ああ、可愛い女の子といるとサチさんの可愛さもなん百倍もアップする!)
何度も言うけど僕は変態でもロリコンでもない!

「この子を見てて」とサチさんにお願いして、僕は携帯を持って外に出た。
「あ、兄さん仕事中にごめん。そっちの店で子供がーーー」
兄と話終えて、僕が店内に戻ると女の子はいなくなっていた。
「あれ、女の子は?」とサチさんに訊くと『カエッタ』という。
(いつ帰ったんだろう?気づかなかったな……)
今日は子供連れの客は来てないと兄が言っていたこともあって、本当に近所の子が迷い込んだのだと僕はあまり気にも留めていなかった。
とりあえずジュースを飲んでくれたことにホッとした。

『……コナイ』
いつものように時間を持て余していた僕の隣でサチさんがポツリと呟いた。
「なにが来ないの?」と、サチさんの顔を覗き込むと少し不機嫌……というか寂しそうな表情を浮かべていた。
サチさんの“コナイ”は数日前に店に来た女の子のことだ。サチさんは女の子を気に入ったのか、あれからずっと女の子が来るのを待っている。
子供の時からサチさんを見てきたけど、僕以外の人間にこれだけ関心を示すのは本当にめずらしかった。僕が知る限り初めてじゃないかと思う。
サチさんには初めてできた友達……なのかもしれないが、僕としては急に親離れされたような心境だ。寂しく複雑な気持ちではあるけど、元気のないサチさんを見るのは忍びなく、ミルクをたっぷりと入れた珈琲(ほとんどミルク)を淹れてあげることしか出来なかった。
いつもまったりとして和やかな空気が流れる店内は、今日はどことなくしんみりと憂いを帯びた空気が流れている。
(こんなサチさん見たくないんだけどな……)
これといった気の利いた言葉も浮かばず、 僕はただただミルを回していた。店内には珈琲豆が磨り潰されていく音が空しく響いていた。

「こんにちは」

ドアベルが鳴ると同時に守山さんが入って来た。
彼女は兄の店のスタッフで、以前サチさんが拾ってきた子猫のクロとミケを引き取ってくれた優しい人である。正確には彼女の両親が引き取ってくれたのだけど。彼女も毎週末には実家に帰ってクロミケと遊んでるらしい。どうして僕がそんなことを知ってるのかというと、クロミケの写真を送ってくれたり、クロがあんなことしたミケがこんなことしたとLINEで教えてくれるからだ。
クロミケをきっかけにバイトの休憩時間には珈琲を飲みに来てくれるようになった数少ないお客様で、僕が初めてLINE交換した相手でもある。
サチさんは入って来たのが女の子でなかったことに、あからさまにショックを受けて姿を隠してしまった。

サチさんのことは心配ではあるけど、今はお客様に珈琲を淹れるのが先だ。
「いつものでいいですか?」
守山さんは「はい」と元気に頷いた。
好みは聞いて知ってはいても、いつも同じものを飲むとは限らない。一応確認を取ると僕は珈琲を淹れ始める。
「そうそうこの前、ミケが大ジャンプしたんですよ!タンスの上に登っちゃって、お父さんが脚立持ってきて助けようとしたら、ピョーンて」
LINE以外でも店に来ると守山さんはクロミケの話をしてくれる。それを聞く度に本当に良い家族に貰われたな~と、いつも胸を撫で下ろすのだ。
「ミケやるな~」
最近、人間関係が超苦手な僕が守山さんとは緊張することなく会話が出来るようになった。クロミケという共通の話題があるということもあるけど、守山さんが纏うふんわりした空気感が安心して話掛けていいと思わせてくれるのだ。

「あ、良い香り~」
守山さんは立ち上る湯気を形の良い鼻で吸い込んだら、カップを口に運ぶ。いつも美味しそうに飲んでくれるのが何より嬉しい。
「颯太さんの珈琲はいつ飲んでも美味しいですね!私、珈琲のことは詳しくないので上手く言えないですけど、優しい味といいますか、とてもホッとします」
飾らない正直な守山さんの言葉に僕は嬉しくて泣きそうになった(いやいや社交辞令かもしれない)。
でも僕の淹れた珈琲を優しいとかホッとすると言ってくれたことに喜びを隠せなかった。
「あ、珈琲を知らない私か余計なこと言っちゃって、ごめんなさい!」
あまりの嬉しさに固まってしまった僕を怒ったと勘違いした守山さんが慌てて謝ってきた。
「いえいえ、僕こそすみません!嬉しすぎて固まっちゃいました!」
僕と守山さんは顔を見合わせて笑う。

「あの……迷子の女の子は大丈夫でしたか?」
兄から聞いていたのか守山さんが心配そうに聞いてきた。
「それが……兄と電話してる間にいなくなってて……」
「そうですか、もしかしたら迷子じゃなかったのかもしれませんね。ちゃんとお家に帰ってますよ!」
「……うん」

大事な休憩時間を遣って珈琲を飲みに来てくれた守山さんを見送って店内に戻ると、サチさんが専用のイスに小さくなって座っていた(元々小さいけど)。
「きっと、また来るよ」
なんの根拠もない無責任な言葉かもしれないけど、元気のないサチさんを見るのは僕も辛い。絶対ではないけど、可能性はゼロじゃないという気持ちだった。

カラン………

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