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一
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小さな囀ずりとともにスズメたちが集まってくる……。
木漏れ日が降り注ぐそこは静穏と優しさが溢れた場所ーー
紫月宮(しげつきゅう)ではーーまったりとした時間が流れていた。
のんびり屋の主人のせいか、口煩く言う者がいないせいか、仕える侍女たちもどこかのほほんとしている。真面目で丁寧な仕事ぶりではあるが、どうも気の抜けた空気感は拭えない。緊張感とは程遠い宮殿である。
他の宮殿では主人の怒号と甲高い声が響く中、侍女たちが忙しく動き回っているというのに。同じ高貴な方が住まう宮殿でこれほどの違いがあるのかと、侍女たちは嘆く。
あわよくば楽で口煩くない主人がいる紫月宮で働きたいと思っている侍女は少なくなく、主人への忠誠心はどこへやらである。
ただ間違えてはいけないのは、侍女の仕事はどこの宮殿でも同じということ。紫月宮の主人が何も言わないのは、仕える侍女たちがきちんと自分たちの仕事をしているからである。そしてどの宮殿にも主人以上に侍女の働きぶりに目を光らせ、口煩くする侍女頭という目の上のたんこぶは存在する……ということを。
どちらにしろ紫月宮に仕える侍女たちの主人への敬愛は意外にも強く、残念ながら空きが出ることはない。
*
(なんて退屈なのかしら……)
中庭に面した廊下の縁で、少女がひとり微睡(まどろ)んでいる。微睡むというより寝転がりながらスズメたちと戯れている。といったほうが正しいだろうか。
退屈と溜息を吐く少女の名は藩明琳(はんめいりん)ーーこの紫月宮の主人である。
癖のある髪を無造作に伸ばし絹の衣を着崩して、スズメと戯れる姿はとても後宮の高貴なお方とは思えない。
そんな明琳は後宮でも浮いた存在だった。
一部の妃嬪からは“後宮に間違って紛れ込んだ野良猫”と揶揄されており、暇な妃嬪たちの噂話のネタにされていた。
まあ、噂の当人はどこ吹く風ではあるが……。
「ふふ、お前たちお腹が空いているの?」
朝餉の残りを廊下に撒くと、どこからともなくスズメたちが群がって啄んでいく。その小さな命の輝きに明琳はいつも癒される。
この国では珍しい紫の瞳を爛々と輝かせ、鈴を転がしたような可愛らしい声はスズメの鳴き声とともに宮殿を明るくする。
そんな明琳とスズメたちのほっこりしたひと時を無粋な……いや仕事熱心な侍女が邪魔をする。
「ひ、姫様!なんてはしたない格好を!!公主ともあろう方がっ!!」
侍女の雄叫びで明琳の周りにいたスズメたちが一斉に飛んでいってしまった。
宮殿中を探し回っていたのか、侍女の息は荒く髪は乱れていた。
「ああっ!もう瑠可のせいで逃げちゃったじゃない」と、明琳は恨めしげに侍女を睨み付け頬を膨らませた。
「逃げちゃったじゃない、じゃありません!」
明琳の可愛らしい容姿を最大限発揮したそれは、もはや神が与えたもうた宝石のような可憐さだった。
もし相手が男なら一瞬で虜にしてしまえるほどの破壊力がある。男なら……。
だが残念なことに明琳を諌めるのは、のんびりした侍女が多い紫月宮の中でも一番堅物で仕事に忠実な侍女頭の瑠可だった。
いくら頬を膨らませようと、紫の瞳で見つめようとスパーンと跳ね返されて終わりである。
「姫様!瑠可は情けのうございます。わたくしたちが誠心誠意お仕えする姫様がそのような……」と、瑠可は衣の先でおよよっと涙を拭って見せる。
そんな瑠可に「ごめんね。これからは気をつけるから」と、明琳はしゅんと項垂れると高貴なお方らしからぬ素振りで謝った。本来なら考えられないことであるが、こんな事ができるのも主従の信頼関係があってこそである。
が、その後には「姫様はーー」と、瑠可のお説教が待っているのもいつものことである。
「もうっ、瑠可の説教は長いったら」と、明琳は艶やかな唇を尖らせた。
痺れた足を擦りながら言葉とは裏腹に口元は緩んでいる。
明琳が公主らしからぬ行いをすると瑠可たち侍女は怒ってくれる。それが明琳には嬉しかった。
侍女たちが自分を大切に思ってくれているのがわかるから。だからとわざとしているわけではないのだが、元々の性格ゆえか、堅苦しいことが苦手なせいか。ついつい羽目を外してしまうのだ。
しかしながら明琳の公主としての矜持や教養はすでに備わっており、敢えて足りないものをあげるとしたら、後宮という狭い世界しか知らない“世間知らず”なところだろうか。
しかも厄介なことに明琳は跳ねっ返りな上、退屈が大嫌いだった。
仕えてくれる者を大切にし守ることーーそれが明琳の紫月宮の主としての矜持と覚悟である。
その為には、まず“後宮で働く者たち”を知る必要があるのだーー
木漏れ日が降り注ぐそこは静穏と優しさが溢れた場所ーー
紫月宮(しげつきゅう)ではーーまったりとした時間が流れていた。
のんびり屋の主人のせいか、口煩く言う者がいないせいか、仕える侍女たちもどこかのほほんとしている。真面目で丁寧な仕事ぶりではあるが、どうも気の抜けた空気感は拭えない。緊張感とは程遠い宮殿である。
他の宮殿では主人の怒号と甲高い声が響く中、侍女たちが忙しく動き回っているというのに。同じ高貴な方が住まう宮殿でこれほどの違いがあるのかと、侍女たちは嘆く。
あわよくば楽で口煩くない主人がいる紫月宮で働きたいと思っている侍女は少なくなく、主人への忠誠心はどこへやらである。
ただ間違えてはいけないのは、侍女の仕事はどこの宮殿でも同じということ。紫月宮の主人が何も言わないのは、仕える侍女たちがきちんと自分たちの仕事をしているからである。そしてどの宮殿にも主人以上に侍女の働きぶりに目を光らせ、口煩くする侍女頭という目の上のたんこぶは存在する……ということを。
どちらにしろ紫月宮に仕える侍女たちの主人への敬愛は意外にも強く、残念ながら空きが出ることはない。
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(なんて退屈なのかしら……)
中庭に面した廊下の縁で、少女がひとり微睡(まどろ)んでいる。微睡むというより寝転がりながらスズメたちと戯れている。といったほうが正しいだろうか。
退屈と溜息を吐く少女の名は藩明琳(はんめいりん)ーーこの紫月宮の主人である。
癖のある髪を無造作に伸ばし絹の衣を着崩して、スズメと戯れる姿はとても後宮の高貴なお方とは思えない。
そんな明琳は後宮でも浮いた存在だった。
一部の妃嬪からは“後宮に間違って紛れ込んだ野良猫”と揶揄されており、暇な妃嬪たちの噂話のネタにされていた。
まあ、噂の当人はどこ吹く風ではあるが……。
「ふふ、お前たちお腹が空いているの?」
朝餉の残りを廊下に撒くと、どこからともなくスズメたちが群がって啄んでいく。その小さな命の輝きに明琳はいつも癒される。
この国では珍しい紫の瞳を爛々と輝かせ、鈴を転がしたような可愛らしい声はスズメの鳴き声とともに宮殿を明るくする。
そんな明琳とスズメたちのほっこりしたひと時を無粋な……いや仕事熱心な侍女が邪魔をする。
「ひ、姫様!なんてはしたない格好を!!公主ともあろう方がっ!!」
侍女の雄叫びで明琳の周りにいたスズメたちが一斉に飛んでいってしまった。
宮殿中を探し回っていたのか、侍女の息は荒く髪は乱れていた。
「ああっ!もう瑠可のせいで逃げちゃったじゃない」と、明琳は恨めしげに侍女を睨み付け頬を膨らませた。
「逃げちゃったじゃない、じゃありません!」
明琳の可愛らしい容姿を最大限発揮したそれは、もはや神が与えたもうた宝石のような可憐さだった。
もし相手が男なら一瞬で虜にしてしまえるほどの破壊力がある。男なら……。
だが残念なことに明琳を諌めるのは、のんびりした侍女が多い紫月宮の中でも一番堅物で仕事に忠実な侍女頭の瑠可だった。
いくら頬を膨らませようと、紫の瞳で見つめようとスパーンと跳ね返されて終わりである。
「姫様!瑠可は情けのうございます。わたくしたちが誠心誠意お仕えする姫様がそのような……」と、瑠可は衣の先でおよよっと涙を拭って見せる。
そんな瑠可に「ごめんね。これからは気をつけるから」と、明琳はしゅんと項垂れると高貴なお方らしからぬ素振りで謝った。本来なら考えられないことであるが、こんな事ができるのも主従の信頼関係があってこそである。
が、その後には「姫様はーー」と、瑠可のお説教が待っているのもいつものことである。
「もうっ、瑠可の説教は長いったら」と、明琳は艶やかな唇を尖らせた。
痺れた足を擦りながら言葉とは裏腹に口元は緩んでいる。
明琳が公主らしからぬ行いをすると瑠可たち侍女は怒ってくれる。それが明琳には嬉しかった。
侍女たちが自分を大切に思ってくれているのがわかるから。だからとわざとしているわけではないのだが、元々の性格ゆえか、堅苦しいことが苦手なせいか。ついつい羽目を外してしまうのだ。
しかしながら明琳の公主としての矜持や教養はすでに備わっており、敢えて足りないものをあげるとしたら、後宮という狭い世界しか知らない“世間知らず”なところだろうか。
しかも厄介なことに明琳は跳ねっ返りな上、退屈が大嫌いだった。
仕えてくれる者を大切にし守ることーーそれが明琳の紫月宮の主としての矜持と覚悟である。
その為には、まず“後宮で働く者たち”を知る必要があるのだーー
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