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二
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「あれま、香寿。久しぶりだね~」
下女の朝は早い。大量の洗濯物を抱え、香寿は後宮の端にある洗い場に来ていた。下女として後宮に入ってすぐ知り合った宮女たちの監督係だという秦由稟とは、会うと仕事を教わったり、おやつを分けて貰ったり、後宮の噂話をしたりするうちに仲良くなった。由稟はそのどっしりとした豊満な体で風を切りながら香寿に駆け寄ってきた。
「由稟さん。お久しぶりです!」
「最近見かけないけど、どうしてたんだい?」
「あ、他の部署が人手不足で……手伝いに……」
「そうかい!そりゃご苦労さんだね」
ガハハと豪快に笑う由稟の横で背負っていた籠を降ろすと、大量の衣類を数回に分けて洗い出す。
「それより由稟さんこそ、どうされたんですか?」
本来なら監督係として宮女の働きを見て回っている時間のはずなのにと、こんな所にいるのが不思議で香寿は訊ねてみた。
「まあ……あれだ」と、由稟が気まずそうに指をさした先は、後宮の端の端にある下級妃とは名ばかりの喬の部屋だった。
高級な衣を身に纏い、鼻に突くきつい香を振り撒きながら媚びたような笑みを浮かべる美姫たちが今日も後宮をしゃなりしゃなりと闊歩する。
そんな光景とは裏腹に忘れられた存在のようにその部屋はあった。皇帝のお通りがないのは一目瞭然で、薄暗く澱んだ部屋の前には洗い物を届けに来た下女や回廊の補修をしている宦官が数人いるだけである。
中から漏れ漂う下品な香の臭いに宮女や宦官は顔をしかめるとさっさと用事を済ませて去って行く。
ついさっきも部屋の主は洗濯物を届けに来た下女に「もっと綺麗に洗ってきな!」と、洗ったばかりの洗濯物を投げ付けていた。
朝早くから下女たちが綺麗に洗った物を、なぜ無下にできるのだろうと腹立たしさでいっぱいになる。
いくら下級妃でも、やって良いことと悪いことの分別もつかないのかと、妃の質の悪さにも落胆を隠せない。
後宮を維持するにも金は掛かる。妃の品位を持たない者にただ飯を食わすのは無駄金のなにものでもない。もっと有意義なことにお金を回せないのだろうか……なんてことを思っても下女の自分にできることは何もないのだけれど。そんなやるせない思いだけが募っていく。
由稟の話によると、宮女たちが喬の給仕や洗濯、身の回りの世話を遣りたがらないというのだ。
当然だろうと、香寿は思う。
「で、今から駄目もとでお言葉を伝えに行くのさ」
そういうと由稟は大きな溜息を吐いた。
いくら妃に値しない人間でも相手は下級妃だ。
本来なら下女に毛が生えたような立場の由稟がでしゃばることではない。それなりの立場の者が対応すべきことなのだが、どうも皆あの妃とは関わりたくないようだ。なので適当に対処してくれと由稟にお鉢が回ってきたらしい。迷惑な話である。
事なかれ主義の女官や宦官からすれば、お荷物の妃などどうなろうと興味はなく、自分たちに迷惑が掛からなければいいという考えなのだろう。
あんな妃を野放しにして、いつも嫌な思いをするのは下っ端の宮女たちなのに。せめて給金分の仕事はしろ!と思うのは香寿や由稟だけではないはずだ。
「嫌なお役目ですね」
「仕方ないさ。お偉方には逆らえないからね~」
諦め口調の由稟だが、さすがに腰が重いようだ。
見るに見兼ねてではないが、いつも良くしてくれる由稟が困ってるならと「では、わたしが給仕や洗濯、身の回りの世話しましょうか?」と、香寿が申し出る。
ギョッと目をひん剥く由稟の横で“暇潰しできるかしら”とニヤリ顔の香寿の声は由稟には届いていなかった。
「わかってると思うが喬はめちゃくちゃなヤツだ。香寿の手には負えないよ。やめときな!」
止める由稟をよそに、香寿は次の日の朝餉から意気揚々と喬の元へと足を運んだ。
ーー後日 “喬が精神を病んで実家に返された” と、後宮の端ではちょっとした騒ぎになった。
下女の朝は早い。大量の洗濯物を抱え、香寿は後宮の端にある洗い場に来ていた。下女として後宮に入ってすぐ知り合った宮女たちの監督係だという秦由稟とは、会うと仕事を教わったり、おやつを分けて貰ったり、後宮の噂話をしたりするうちに仲良くなった。由稟はそのどっしりとした豊満な体で風を切りながら香寿に駆け寄ってきた。
「由稟さん。お久しぶりです!」
「最近見かけないけど、どうしてたんだい?」
「あ、他の部署が人手不足で……手伝いに……」
「そうかい!そりゃご苦労さんだね」
ガハハと豪快に笑う由稟の横で背負っていた籠を降ろすと、大量の衣類を数回に分けて洗い出す。
「それより由稟さんこそ、どうされたんですか?」
本来なら監督係として宮女の働きを見て回っている時間のはずなのにと、こんな所にいるのが不思議で香寿は訊ねてみた。
「まあ……あれだ」と、由稟が気まずそうに指をさした先は、後宮の端の端にある下級妃とは名ばかりの喬の部屋だった。
高級な衣を身に纏い、鼻に突くきつい香を振り撒きながら媚びたような笑みを浮かべる美姫たちが今日も後宮をしゃなりしゃなりと闊歩する。
そんな光景とは裏腹に忘れられた存在のようにその部屋はあった。皇帝のお通りがないのは一目瞭然で、薄暗く澱んだ部屋の前には洗い物を届けに来た下女や回廊の補修をしている宦官が数人いるだけである。
中から漏れ漂う下品な香の臭いに宮女や宦官は顔をしかめるとさっさと用事を済ませて去って行く。
ついさっきも部屋の主は洗濯物を届けに来た下女に「もっと綺麗に洗ってきな!」と、洗ったばかりの洗濯物を投げ付けていた。
朝早くから下女たちが綺麗に洗った物を、なぜ無下にできるのだろうと腹立たしさでいっぱいになる。
いくら下級妃でも、やって良いことと悪いことの分別もつかないのかと、妃の質の悪さにも落胆を隠せない。
後宮を維持するにも金は掛かる。妃の品位を持たない者にただ飯を食わすのは無駄金のなにものでもない。もっと有意義なことにお金を回せないのだろうか……なんてことを思っても下女の自分にできることは何もないのだけれど。そんなやるせない思いだけが募っていく。
由稟の話によると、宮女たちが喬の給仕や洗濯、身の回りの世話を遣りたがらないというのだ。
当然だろうと、香寿は思う。
「で、今から駄目もとでお言葉を伝えに行くのさ」
そういうと由稟は大きな溜息を吐いた。
いくら妃に値しない人間でも相手は下級妃だ。
本来なら下女に毛が生えたような立場の由稟がでしゃばることではない。それなりの立場の者が対応すべきことなのだが、どうも皆あの妃とは関わりたくないようだ。なので適当に対処してくれと由稟にお鉢が回ってきたらしい。迷惑な話である。
事なかれ主義の女官や宦官からすれば、お荷物の妃などどうなろうと興味はなく、自分たちに迷惑が掛からなければいいという考えなのだろう。
あんな妃を野放しにして、いつも嫌な思いをするのは下っ端の宮女たちなのに。せめて給金分の仕事はしろ!と思うのは香寿や由稟だけではないはずだ。
「嫌なお役目ですね」
「仕方ないさ。お偉方には逆らえないからね~」
諦め口調の由稟だが、さすがに腰が重いようだ。
見るに見兼ねてではないが、いつも良くしてくれる由稟が困ってるならと「では、わたしが給仕や洗濯、身の回りの世話しましょうか?」と、香寿が申し出る。
ギョッと目をひん剥く由稟の横で“暇潰しできるかしら”とニヤリ顔の香寿の声は由稟には届いていなかった。
「わかってると思うが喬はめちゃくちゃなヤツだ。香寿の手には負えないよ。やめときな!」
止める由稟をよそに、香寿は次の日の朝餉から意気揚々と喬の元へと足を運んだ。
ーー後日 “喬が精神を病んで実家に返された” と、後宮の端ではちょっとした騒ぎになった。
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