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三
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「香寿、いったい何をしたんだい?」
休憩の合間をぬってわざわざやって来た由稟が興味津々に聞いてきたのは、先日、精神を病んで実家に強制送還された頭の痛い下級妃のことだった。
「何もしてないですよ!」と、香寿は由稟が持ってきた手土産の月餅をほくほく顔で頬張りながら答えた。
後宮の端の端に追いやられた名ばかりの下級妃は、性格も容姿も態度も最悪で嫌な目に合わされていた宮女も多く、もう世話はしたくないと宮女たちが言い出したことで、困っていた由稟を助けるためにと香寿が“ならわたしがやりましょうか”と、下級妃の給仕や洗濯諸々など買ってでた数日後の出来事だったこともあり、由稟は香寿が何かしたのではと疑っていたのだ。
(美味しい!)
香寿は紫の瞳を丸くした。いつも食べている何の変哲もない小豆餡の月餅がこんなにも美味しく感じるなんて!体を動かすと甘いものが欲しくなるというけれど、疲れた体に染み渡る月餅の甘さがなんとも言えず、香寿は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「いやいや!何もしてなくてあの喬が神経を病むなんて考えられないよ!」
「その神経を病むってなんですか?それに本当に特になにかしたわけではないですし……」
「じゃあ、何をしたのさ?」
教えてくれるまで離さないよ!というような由稟のつぶらな目が好奇心に満ち溢れていた。
そんな期待した眼差しを向けられても、本当に特別なことはしていない香寿は余計喋りずらくなってしまった。
「由稟さんが期待するようなことは何もないですからね!面白くもないですよ!」
うんうん!と由稟は丸太のような首を何度も縦に振った。
あとで期待外れなんて言われないように、香寿は念を押して話し始めた。
ーーー朝餉を持って喬の部屋に訪れた日、
案の定、香寿は膳を投げ付けられた。
「こんな貧相なもの食べられるか!妃に相応しい食事を持ってきな!」
わかってはいたけれど、こんなにも阿呆な妃……人間がいるのだと違う意味で感心してしまった。妃に値しない者にこれ以上の膳は出せるわけがなく、しかも自分で食べ物を粗末にしたのだ(後宮の台所も財政難なのに)。床に投げ捨てられた粥や小鉢をもう一度膳にのせ「今日のあなたの朝餉はこれだけです!代わりはありません!」と突き返したのだった。
当然、喬は顔を真っ赤にして憤慨していたが、香寿は気にも留めず部屋を後にした。
そして、次は洗濯物を持って行くと、やはり床に投げ捨てられた。
「下女風情が生意気なんだよ!土下座して謝んな!」
床に落ちた洗濯物を象のような足で踏みつけニタニタと下品な笑みを浮かべている。
“後宮は妃不足なのかしら”
「なにか言ったか?」
勝ち誇ったように踏ん反り返る喬に「仕方ないですね。今日と明日のおなたの着る衣はもうありません。ご自分でなんとかしてください」と、香寿は毅然と告げた。
またしても刃向かう下女に喬はキーッと奇声を発しながらドスドスと香寿に向かって来たが、如何せんその丸々と太った体では動くこともままならず、香寿がスッと避けるとそのまま壁に激突してしまった。
「うぎゃあ!お前などいらん!他の者を寄こせ!」などと喚いていたが、喬のような妃の言葉を聞く者はここにはいない。
「では、また夕刻に来ますね!」
にっこりと微笑むと香寿は足早に部屋を出て行った。
そんな、ちょっとした小競り合いが続いた四日目の朝、香寿が朝餉を持って部屋に行くと、部屋はもぬけの殻になっていた。
表向きは実家に強制送還されたことになっているが、本当のところは脱兎のごとく逃げ出したのだ。事実、今どこにいるのかは不明である。
「……てなわけで、わたしは何もしてませんよ!」
(もう暇潰しにもなりませんでしたわ!)
本当に何ごともなかったように、悠然とお茶を口にする香寿の横で由稟は弾力のある腹を抱えてひたすら笑っていた。
「ひっ……あひっ……喬のヤ……ツ、ふだんは偉そうに踏ん反り返ってたくせに……ちょっとやり返されたら……尻尾巻いて逃げるなんざ……肝っ玉の小さいヤツ……だ……ひっひ」
「由稟さん大丈夫ですか?」
「……意外な顛末……というか……なんというか……」
「だから言ったじゃないですか!面白くないですよって」
香寿は拗ねたように頬を膨らませた。
「いや、そうじゃなくて……喬のヤツ、本当にしょうもないヤツだったんだ……と思って……」
「まあ、後宮のどこかにいるのかもしれませんが、部屋を飛び出した以上もう戻れませんし、そもそもそんな下級妃がいたことすら誰も知らないんじゃないですかね」
「香寿……あんたって……」
「なにか言いましたか?」
「いいや、とにかく助かったよ!これは気持ちだ。思う存分食べとくれ」
「いいんですか?ありがとうございます!」
遠慮することなく一個二個と口に運び、甘くて美味しい月餅に香寿はすこぶる上機嫌だった。
*
王宮の奥、護衛もなく二つの影が揺れている。
「あれは元気でやっているかい?」
そう問われた者は片膝を付き頭を垂れている。
「はい。それはとても元気で、なんと言いますか、末恐ろしい姫様で……先日ちょっとした厄介ごとを解決して頂きました……」
男はふと笑みを溢す。
「そうみたいだね。あれはどうやらそなたを慕っているようだ」
男の言葉に頭を垂れたその者は慌てて「そ、そんな恐れ多い!!」と、口にしようとしたが、先に男が口を開いた。
「由稟、あの子がこの後宮で少しでも幸せでいられるように、守っておくれ!」
「……はっ!」
その者は……由稟はさらに深々と頭を垂れた。
『あの跳ねっ返り!由稟一人では手を焼くじゃろうて、困ったらいつでも言っとくれ。ふぉふぉ』
どこからともなく、そんな声が聞こえて来たが、それは生温かい風によって遮られてしまった。
そして風とともに声もどこかに消えていたーー
休憩の合間をぬってわざわざやって来た由稟が興味津々に聞いてきたのは、先日、精神を病んで実家に強制送還された頭の痛い下級妃のことだった。
「何もしてないですよ!」と、香寿は由稟が持ってきた手土産の月餅をほくほく顔で頬張りながら答えた。
後宮の端の端に追いやられた名ばかりの下級妃は、性格も容姿も態度も最悪で嫌な目に合わされていた宮女も多く、もう世話はしたくないと宮女たちが言い出したことで、困っていた由稟を助けるためにと香寿が“ならわたしがやりましょうか”と、下級妃の給仕や洗濯諸々など買ってでた数日後の出来事だったこともあり、由稟は香寿が何かしたのではと疑っていたのだ。
(美味しい!)
香寿は紫の瞳を丸くした。いつも食べている何の変哲もない小豆餡の月餅がこんなにも美味しく感じるなんて!体を動かすと甘いものが欲しくなるというけれど、疲れた体に染み渡る月餅の甘さがなんとも言えず、香寿は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。
「いやいや!何もしてなくてあの喬が神経を病むなんて考えられないよ!」
「その神経を病むってなんですか?それに本当に特になにかしたわけではないですし……」
「じゃあ、何をしたのさ?」
教えてくれるまで離さないよ!というような由稟のつぶらな目が好奇心に満ち溢れていた。
そんな期待した眼差しを向けられても、本当に特別なことはしていない香寿は余計喋りずらくなってしまった。
「由稟さんが期待するようなことは何もないですからね!面白くもないですよ!」
うんうん!と由稟は丸太のような首を何度も縦に振った。
あとで期待外れなんて言われないように、香寿は念を押して話し始めた。
ーーー朝餉を持って喬の部屋に訪れた日、
案の定、香寿は膳を投げ付けられた。
「こんな貧相なもの食べられるか!妃に相応しい食事を持ってきな!」
わかってはいたけれど、こんなにも阿呆な妃……人間がいるのだと違う意味で感心してしまった。妃に値しない者にこれ以上の膳は出せるわけがなく、しかも自分で食べ物を粗末にしたのだ(後宮の台所も財政難なのに)。床に投げ捨てられた粥や小鉢をもう一度膳にのせ「今日のあなたの朝餉はこれだけです!代わりはありません!」と突き返したのだった。
当然、喬は顔を真っ赤にして憤慨していたが、香寿は気にも留めず部屋を後にした。
そして、次は洗濯物を持って行くと、やはり床に投げ捨てられた。
「下女風情が生意気なんだよ!土下座して謝んな!」
床に落ちた洗濯物を象のような足で踏みつけニタニタと下品な笑みを浮かべている。
“後宮は妃不足なのかしら”
「なにか言ったか?」
勝ち誇ったように踏ん反り返る喬に「仕方ないですね。今日と明日のおなたの着る衣はもうありません。ご自分でなんとかしてください」と、香寿は毅然と告げた。
またしても刃向かう下女に喬はキーッと奇声を発しながらドスドスと香寿に向かって来たが、如何せんその丸々と太った体では動くこともままならず、香寿がスッと避けるとそのまま壁に激突してしまった。
「うぎゃあ!お前などいらん!他の者を寄こせ!」などと喚いていたが、喬のような妃の言葉を聞く者はここにはいない。
「では、また夕刻に来ますね!」
にっこりと微笑むと香寿は足早に部屋を出て行った。
そんな、ちょっとした小競り合いが続いた四日目の朝、香寿が朝餉を持って部屋に行くと、部屋はもぬけの殻になっていた。
表向きは実家に強制送還されたことになっているが、本当のところは脱兎のごとく逃げ出したのだ。事実、今どこにいるのかは不明である。
「……てなわけで、わたしは何もしてませんよ!」
(もう暇潰しにもなりませんでしたわ!)
本当に何ごともなかったように、悠然とお茶を口にする香寿の横で由稟は弾力のある腹を抱えてひたすら笑っていた。
「ひっ……あひっ……喬のヤ……ツ、ふだんは偉そうに踏ん反り返ってたくせに……ちょっとやり返されたら……尻尾巻いて逃げるなんざ……肝っ玉の小さいヤツ……だ……ひっひ」
「由稟さん大丈夫ですか?」
「……意外な顛末……というか……なんというか……」
「だから言ったじゃないですか!面白くないですよって」
香寿は拗ねたように頬を膨らませた。
「いや、そうじゃなくて……喬のヤツ、本当にしょうもないヤツだったんだ……と思って……」
「まあ、後宮のどこかにいるのかもしれませんが、部屋を飛び出した以上もう戻れませんし、そもそもそんな下級妃がいたことすら誰も知らないんじゃないですかね」
「香寿……あんたって……」
「なにか言いましたか?」
「いいや、とにかく助かったよ!これは気持ちだ。思う存分食べとくれ」
「いいんですか?ありがとうございます!」
遠慮することなく一個二個と口に運び、甘くて美味しい月餅に香寿はすこぶる上機嫌だった。
*
王宮の奥、護衛もなく二つの影が揺れている。
「あれは元気でやっているかい?」
そう問われた者は片膝を付き頭を垂れている。
「はい。それはとても元気で、なんと言いますか、末恐ろしい姫様で……先日ちょっとした厄介ごとを解決して頂きました……」
男はふと笑みを溢す。
「そうみたいだね。あれはどうやらそなたを慕っているようだ」
男の言葉に頭を垂れたその者は慌てて「そ、そんな恐れ多い!!」と、口にしようとしたが、先に男が口を開いた。
「由稟、あの子がこの後宮で少しでも幸せでいられるように、守っておくれ!」
「……はっ!」
その者は……由稟はさらに深々と頭を垂れた。
『あの跳ねっ返り!由稟一人では手を焼くじゃろうて、困ったらいつでも言っとくれ。ふぉふぉ』
どこからともなく、そんな声が聞こえて来たが、それは生温かい風によって遮られてしまった。
そして風とともに声もどこかに消えていたーー
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