巫女様と私

藤ノ千里

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5章 アズー君

32話 伝わらない事

 そう、その後、彼がムワキをしている理由も、教えてくれた。
 最初彼は「Tani Noa Yu-Noa Yuma.(お金のため)」だと言った。
 「Tani Noa Yu-Nai-tara Raama shiu-de ra.(お金がないとたくさん死ぬ)」とも言った。
 仮にも先住民考古学を専攻している私には、それだけで彼が言いたい事は分かった。
 先住民族の医療水準は当たり前だけど低くて、街の医療を1度でも経験すれば、その格差に驚くのは当たり前なのだ。
 街の医療で治療できるのならば、治療したいと思うのは必然で。
 でも、その為には通貨を使用する必要がある。
 ワクチン接種はNPOが無償提供してくれる事もあるけど、怪我や病気を毎回治してくれるなんて事はない。
 医療を受けるにはお金が必要なのだ。そして、病気にならないように快適な暮らしをするのにも、お金が必要なのだ。
 そして、先住民族である彼らが収入源に出来るものとして、ムワキという観光資源が最適だったと、彼の両親が判断したのだそうだ。
「大変なんだね」
 街で暮らす事も出来ただろうに、他の女の人に託す事も出来ただろうに、それなのにアズー君はムワキという役目を引き受けたんだ。
 重たい、重た過ぎる役目を。
「Wa-ri Tani Lun Yuma-de Warina.(私の役割です)」
「私に何かできることない?」
「Ni-ri Noa-de Sia Baraku Tani Noa Yu-ni Nia Nai-de Warina. Sia Tani Rakia-a shi-luan.(貴女の恵みで長くお金に困らない。感謝しています)」
 アズー君はニッコリ笑った。ムワキの顔でニッコリ笑った。
 そんな風に距離を取られるのが悲しくて、何か言おうと思ったのに言えなくて。
 見つめ合ったまま時間が過ぎていった。
 最後の日なのに、それ以上の事は何も言えないままで。


 暗くなって、夜になって、月明かりがないせいで今日は一段と暗くて。
 ベッドで、スマホで航空券の再確認をしていると、静かな音と共にアズー君がやって来た。
 化粧を落として、下着姿なのが薄らと分かって、翻訳アプリを起動する。
 ぎしっとベッドがたわむ音。
 そちらに目を向けると、もうすぐそこにアズー君がいた。
 困ったような顔だった。
「どうしたの?」
 スマホを向けると、彼は画面を見て、そして無言のままスマホをひったくった。
 画面をロックしてから、ベッドの端に放って、それから口を開いた。
「Muru Yuma Rakia.」
 泣きそうな顔だった。それに縋るように私に抱きついてきたの。
「リナ, A-ri リナ...!」
「アズー君?」
「Azuu Luan Nai-リナ. Wa-a Muru Yuma Rakia-de ra.」
 アズー君の声は震えていた。顔は見えないけど泣いてるって分かった。
 そして、言葉が伝わらない私にだからこそ、こんな姿を見せてくれるんだって、分かった。
 誰にも言えない言葉を、どうしても口にしたくて、その相手に私を選んだんだ。
 お母さんと同じ日本人の私を。
 アズー君からすると、誰でも良かったのかもしれない。
 ただ縋る相手が欲しかっただけで、日本人の女性なら、私じゃなくても良かったのかもしれない。
 母親への思慕を私で満たしているだけかもしれない。
 でもそんな身勝手も可愛いと思えてしまう。愛しいと思えてしまうの。
 我ながら馬鹿だなぁって思うけど。
「アズー君」
 抱きしめて頭と背中を撫でてあげると、落ち着いたらしい彼は顔を上げた。
 濡れた瞳が切なくて愛しくて、その頬を包むように両手を添えた。
「今日も儀式してくれる?」
 笑って見せたけど、やっぱり伝わらなかったみたいで。
 だから彼にキスをした。
 ゆっくり顔を近づけると、彼はちゃんと目を閉じて受け入れてくれた。


 翌朝、朝食の前に村を出て、迎えに来てくれたタナイさんと合流する。
 予定だった。
 でも村の入り口が見えてきた辺りで、小さく「Azuu Luan Nai.」と、アズー君の声が聞こえた。
 立ち止まり振り返ると、彼は何でもないような顔でそこにいて。
 でも、目が合うと逸らしたから。
 だから翻訳アプリを起動した。彼と会話をしたかったから。
「なんて言ったの?」
「Nia Wali Nai-de Warina.(何もないです)」
「今何か言ったでしょ?もう一回言って?」
「Nia Wali Nai-de Warina. Yuma Nia Nai-de Warina.(何もないです。何も問題はない)」
「嘘」
 彼が何も言わなければ、私も何も言わないつもりだった。
 けどさっきの、彼の口から漏れた「Azuu Luan Nai.」は、聴き逃しちゃいけない言葉な気がした。
「アズー君、私知ってるよ」
 1度スマホを下ろして彼の目を見る。
 くりくりの焦げ茶色の目。
 落ち着いて大人っぽいのに、目だけはまだ幼い子どもみたいで、凄く可愛いの。
「Muru Yuma Rakia.(愛してる)」
 発音には自信があった。
「A-ri リナ.(僕のリナ)」
 だって彼が、昨夜も何度も言ってくれたから。
「さっきの言葉、教えてくれるまでここから動かないから」
 スマホを掲げると、驚き顔のアズー君は目に見えて狼狽えていた。
 怒られた後のように俯いたり、村の方を振り返ろうとしたり、私の顔を見たり。
「リナ・・・」
 辛うじてそれだけ言って、そしてまた視線をさ迷わせる。
 俯いて、私を見て、口を開いて、また閉じて。
 そして覚悟を決めたように私に近づいて。
「Azuu Luan Nai.」
 耳元でそう言ってから、彼は背を向け、歩き出してしまう。
 まるで逃げるみたいに。
 慌ててスマホの画面を見ると「行かないで」って、書いてて。
 驚いた。嬉しかった。
 もしかしてって、思った。
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