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第1章 エスメラルダ

1話 異世界転移

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 痛てぇ。頭を打ったのか。
 何か光った後に、バスがトラックと衝突した所まで覚えているのだけど。……ヤバい、名前とか色々思い出せない。

 俺が乗っているバスは、木に追突して窓ガラスが全部割れている。

 トラックではなく木?
 そんなはずは無い。俺はそう思って、辺りを見まわしてみる。しかし、眼に入る風景はまるで森の中だ。このバスは、駅前の大通りを走っていたはずなのに。

(この臭いと音は――!?)

 窓から外を見てみると、二足歩行で立っているブタ鼻の生物が、女の子のはらわたを引きずり出して、口に頬張っていた。強烈な血の臭いと、汚い咀嚼《そしゃく》音は……こいつが原因だ。

 バスの中には誰もいない。満車に近い人が乗っていたはずなのに、俺は逃げ遅れたようだ。
 逃げ道は、……昇降口から出たら、あのブタ鼻に見つかってしまう。
 リアガラスが割れているので、あそこから逃げよう。
 音がしないように、俺はゆっくりと外へ出る。

(よし、うまいこと見つからずに――)
「ふご!?」
「げっ!! もう1匹居やがった!!」

 こいつ、もう棍棒を振り上げている。
 これは助からない。そう思って、思わず天を仰ぎ見ると――

「!?」

 ――突然視界が切り替わった。

(なんだこれ? 俺は空中にいるのか?)
 俺が今居る場所は、かなり上空のようで、耳が痛い。
 つまりこれは、……転移魔法とか、転移スキル?
(いやいや、有り得ない。それに悠長に考えてる場合じゃ無い。もう落下中だし、落ちたら死ぬ)

 俺はもう一度空を見て意識すると、あっさりと転移することに成功した。

「痛った!」

 頭痛とめまいがする。こんな上空だし、空気が薄く気圧も低いので、この痛みは高山病の初期症状かも知れない。
 まずいな、と思いつつ、何度か転移をすると村が見えてきた。あそこで休ませてもらおう。
 俺は、村の真ん中に転移する。

「ふごーっ!?」
「ブタの村かよ!!」

 さっきの奴らと同じ緑色の肌、ボロ布をまとった粗末な衣類、ブタ鼻に筋肉ダルマで、身長は約3メートルはある。
 これはもうあれだ、ファンタジーに出てくるオークだろう。

 すぐ近くには、人間の死体があり、数十人くらい雑に積み上げられていた。
 その横には、首のない人たちが、足をロープで結ばれ、吊されている。

「スーツに制服。……人間の血抜きやってんのか!!」

 焼いて喰うつもりなのか、近くには真っ赤に燃える焚き火がある。

 木の板を叩く音が聞こえてくると、掘っ建て小屋から、ゾロゾロとオークが出てきた。
 正確には分からないが、100や200ではきかない数だ。
(逃げなければ)
 しかし上空へ転移すると、頭痛が悪化しそうなので、横へ逃げよう。
(……これはちょっとオークが多すぎる。よだれを垂らしながら、俺を見るな!)

 近くに転がっていた棍棒を拾い、俺はオークの隙間を狙って転移してみる。しかし、転移に失敗し、俺の目の前には、ゾッとする笑みを浮かべたオークが立っていた。

「クソッ! 喰われてたまるか!! ……お?」

 棍棒をそいつに目がけて、野球スイングで振り抜く。すると、まったく手応えが無いうえに、オークの脇腹が棍棒の形でえぐれてしまった。

(転移……。もしかして運動エネルギーか?)

 それに耐えられなかったのか、棍棒はバラバラになっている。内臓と赤い血を噴き出しながら即死した仲間を見て、オークの村全体が殺気立った。

「……生き延びてやる! ぐぁあああああ!!」

 頭を指で押される感覚と共に、透明な何かが、俺の右手首を斬り飛ばした。

(ヤバい。痛みは感じないけど、とんでもない勢いで血が出てる!)

 あそこに居る妙な服装のオークが、魔法でも使ったのか? そいつは空気の屈折で、ゆらゆらと動いて見える。

 そんな観察をしている場合では無い。これはすぐ死ぬ量の出血だと思うので、先に血を止めなければ。

「あれだ、あの焚き火で焼いて止血しよう――うがああぁぁ!!」

 転移して焚き火に右手を突っ込むと、思った以上の熱さを感じた。
 しかし、それが功を奏し、俺の右腕があっという間に炭化したのだ。

「っしゃあ! 血が止まった!」

 すぐさま俺は、囲まれないように動きつつ、密集したオークの隙間が出来た瞬間、そこを狙って転移した。

「抜けた!」

 どうやら、見た場所を強く意識しないと転移が成功しないようだ。
 そうして俺は、命からがらオークの村から脱出することに成功した。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 積み上げられた人間の死体と、血抜きをされていた人たち。
 転移してオークを棍棒で殴ると、なんの手応えも無く、ダルマ落としのように肉がえぐれ、内臓をぶちまけて死んでいく様《さま》。
 あの光景を思い出し、俺はひとしきり吐いた。が、どうしても気になる事がある。

 運動エネルギーは、1/2×質量×早さの2乗。転移を早さに置き換えると、計算上、計り知れない運動エネルギーとなる。
 物理法則が働けば、俺が転移した瞬間、爆散するはずだが、そうではなかった。

 しかし手に持った棍棒は、物理法則が仕事をしたのだ。棍棒でダルマ落としのような現象が起きたのは、そのせいだと思う。

「……だから何だってんだ。イマイチ記憶がはっきりしないし、右腕が炭になるとか笑えねえ」

 おまけに服が焼け、右半身は大やけど。その痛みも堪え難いのだが、それ以上に大量出血で身体がだるい。止血は出来たが、このまま何しなければ野垂れ死にだ。

 空を見るとオレンジ色に染まっている。このまま暗くなるまで、森の中にいるのは危険かもしれない。
 オークの村から、ずいぶん離れたはずだが、ここは森というより山だ。
 道らしきものも見えないし、近くに見える尾根に登って、この辺りの位置関係を把握しよう。

「マジか~」

 高い位置から見れば、せめて川くらい見えるかと思っていたが、木が生い茂りすぎていて、ここから見渡す限り、山と森しか見えない。
 何か食べなければまずい。そう思い、何か食べ物が無いかと探してみる。

「これ食えるのかな」

 近くの斜面に、棘のある木の実がなっているので、それを食べてみようと思い近付くと、異臭がした。それは肉が腐ったような臭いで、これが食べられたとしても、俺は吐いてしまうだろう。

 しかし絶望するにはまだ早い。ここには野営の跡があり、誰かの食べカスと水たまりがある。

 水たまり? それを覗き込んで、俺の顔を映してみる。

「俺は、安西《あんざい》真一《しんいち》、私立中洲なかす学園高等部2年生」

 なんだ、あっさりと記憶が戻ってしまった。
 俺は通学中のバスの中で、SNSでバズっている、魔法陣のような画像を見ていた。どうしてこれが、658万のイイネが付いているのか、意味が分からない。
 そんな事を思っていると、バスの乗客も同じものを見ていたようで「なんでこれバズってるの?」「魔法陣?」などと、ザワつき始めていた。
 そうすると、バスが光る魔法陣のようなものに包まれ、トラックと衝突したのだ。
 俺はそれで気を失ったのだろう。目が覚めると、あの状況だった。

 それに……バスの近くでオークに喰われていたのは、俺と同じ学校の女子だ。
 他にも、俺と同じクラスの友達も、バスに乗っていたはず。

 オークの村に、転移する力ね。

「やはりここは異世界。――クソみてえな世界だな!」
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