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17章
月光の岬、光の矢 80
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秋風が、庭の紅葉を静かに揺らしていた。
僕は1日の勤めを終えた途端、なんとなくそわそわした心地になっていた。
先ほどから感じる胸のざわめきは、一体なんだろう?
心を研ぎ澄ませば見えてくる。
今日の僕にはすべきことがある。
いや、したいことがある。
庭先で誰かにぶつかりそうになり慌てて顔をあげると、作務衣姿の流が立っていた。流は僕を見るなり、母屋とは逆方向に手を引っ張った。
「翠、ほら行くぞ」
「えっ……」
「丈を迎えに行くんだろう?」
「どうして、それを……」
「兄さんの考えなら分かるさ。俺が大船の病院まで送るから、車に乗れよ」
「……ありがとう、流石……流だ」
「ん? よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
流に顔を覗かれて、額をコツンと合わされた。
「その……流石……僕の……流だ」
「正解!」
そのまま額に口づけを受け、頬が火照った。
弟の丈は由比ヶ浜の診療所の開院のために、長年勤めた大船の総合病院を辞めることになった。それが今日なのだ。
丈にとっての新しい始まりが、すぐ傍まで来ている。だからこそ、迎えに行ってやりたいんだ。
誰に頼まれたわけでもない。洋くんが夕方用事があると出掛けてしまったこともあり、丈の人生に区切りが訪れる夕暮れを、ひとりで過ごさせたくなくて。
ふっ、僕は……弟がこんなにも可愛いんだと自覚する。
甘やかしてあげたくなる。
いつまで経っても、大人になっても、丈は僕の弟だから。
「俺だって、翠と同じ気持ちだ。いつも、いつだってさ!」
「流には全部伝わるんだな、僕の気持ち」
「俺たちは深い部分で繋がっているからな」
「うん、心が重なっているとも言うね」
袈裟姿のまま、流の運転で丈の勤める大船の総合病院へ向かった。
「兄さん、俺は夕食の支度があるから寺に戻るぞ、帰りは丈の車でいいよな」
「ありがとう、助かったよ」
車から下り、袈裟の裾を整えて、駐車場の入り口へ足を踏み出した。ここから出てくることは洋くんから聞いて、知っている。
まだ丈の車は停車したままだ。きっと、もうそろそろ現れる。
「えっ……どうして翠兄さんが」
「迎えに来たよ、丈、お疲れ様」
抱えきれない程の花束を抱いた寡黙な弟の姿に、笑みがこぼれた。
丈も、僕を見て驚くと同時に、擽ったそうに微笑んだ。その僅かな表情を、僕は見逃さなかった。
やはり迎えに来てよかった。
「……兄さん、少しだけ遠回りしてもいいですか」
車の中で助手席の丈がそう呟いた時、僕はすぐにハンドルを切った。
「由比ヶ浜だろう? 診療所に行きたいんだね」
丈は少し驚いたように、僕を見上げた。
「あの、どうして分かるのですか」
「ふっ、僕は丈のことをずっと昔から見ているからね」
「参ったな……翠兄さんはいつまで経っても翠兄さんなんですね」
「あぁ、僕は変わらない。昔から今もずっと丈の兄だよ」
丈と診療所の門を潜ると、白い洋館の外壁に長い影を落とすようにして、ひとりの男が佇んでいるのが見えた。
艶のある黒髪が風に揺れ、細身のシルエットに深い色のコートがよく映えている。まるで、ここが彼の居場所だとでも言うように、静かに穏やかに、そこに立っていた。
丈の足が止まると、黒髪の男がふわりと微笑んだ。
月のように美しい男だ。
「丈、お疲れ様」
「……洋っ、どうしてここに?」
「それは、丈がきっとここに来ると思っていたからさ」
その声に、丈の肩からふっと力が抜けたように見えた。
「お疲れ様」か、いい響きだよ。
ただ、そのひとことだけで、どれほどの思いを丈が受け取ったのか、僕には伝わった。
二人の心が見事に重なっていくのを、僕は目を細めて見つめた。
僕は1日の勤めを終えた途端、なんとなくそわそわした心地になっていた。
先ほどから感じる胸のざわめきは、一体なんだろう?
心を研ぎ澄ませば見えてくる。
今日の僕にはすべきことがある。
いや、したいことがある。
庭先で誰かにぶつかりそうになり慌てて顔をあげると、作務衣姿の流が立っていた。流は僕を見るなり、母屋とは逆方向に手を引っ張った。
「翠、ほら行くぞ」
「えっ……」
「丈を迎えに行くんだろう?」
「どうして、それを……」
「兄さんの考えなら分かるさ。俺が大船の病院まで送るから、車に乗れよ」
「……ありがとう、流石……流だ」
「ん? よく聞こえなかった。もう一度言ってくれ」
流に顔を覗かれて、額をコツンと合わされた。
「その……流石……僕の……流だ」
「正解!」
そのまま額に口づけを受け、頬が火照った。
弟の丈は由比ヶ浜の診療所の開院のために、長年勤めた大船の総合病院を辞めることになった。それが今日なのだ。
丈にとっての新しい始まりが、すぐ傍まで来ている。だからこそ、迎えに行ってやりたいんだ。
誰に頼まれたわけでもない。洋くんが夕方用事があると出掛けてしまったこともあり、丈の人生に区切りが訪れる夕暮れを、ひとりで過ごさせたくなくて。
ふっ、僕は……弟がこんなにも可愛いんだと自覚する。
甘やかしてあげたくなる。
いつまで経っても、大人になっても、丈は僕の弟だから。
「俺だって、翠と同じ気持ちだ。いつも、いつだってさ!」
「流には全部伝わるんだな、僕の気持ち」
「俺たちは深い部分で繋がっているからな」
「うん、心が重なっているとも言うね」
袈裟姿のまま、流の運転で丈の勤める大船の総合病院へ向かった。
「兄さん、俺は夕食の支度があるから寺に戻るぞ、帰りは丈の車でいいよな」
「ありがとう、助かったよ」
車から下り、袈裟の裾を整えて、駐車場の入り口へ足を踏み出した。ここから出てくることは洋くんから聞いて、知っている。
まだ丈の車は停車したままだ。きっと、もうそろそろ現れる。
「えっ……どうして翠兄さんが」
「迎えに来たよ、丈、お疲れ様」
抱えきれない程の花束を抱いた寡黙な弟の姿に、笑みがこぼれた。
丈も、僕を見て驚くと同時に、擽ったそうに微笑んだ。その僅かな表情を、僕は見逃さなかった。
やはり迎えに来てよかった。
「……兄さん、少しだけ遠回りしてもいいですか」
車の中で助手席の丈がそう呟いた時、僕はすぐにハンドルを切った。
「由比ヶ浜だろう? 診療所に行きたいんだね」
丈は少し驚いたように、僕を見上げた。
「あの、どうして分かるのですか」
「ふっ、僕は丈のことをずっと昔から見ているからね」
「参ったな……翠兄さんはいつまで経っても翠兄さんなんですね」
「あぁ、僕は変わらない。昔から今もずっと丈の兄だよ」
丈と診療所の門を潜ると、白い洋館の外壁に長い影を落とすようにして、ひとりの男が佇んでいるのが見えた。
艶のある黒髪が風に揺れ、細身のシルエットに深い色のコートがよく映えている。まるで、ここが彼の居場所だとでも言うように、静かに穏やかに、そこに立っていた。
丈の足が止まると、黒髪の男がふわりと微笑んだ。
月のように美しい男だ。
「丈、お疲れ様」
「……洋っ、どうしてここに?」
「それは、丈がきっとここに来ると思っていたからさ」
その声に、丈の肩からふっと力が抜けたように見えた。
「お疲れ様」か、いい響きだよ。
ただ、そのひとことだけで、どれほどの思いを丈が受け取ったのか、僕には伝わった。
二人の心が見事に重なっていくのを、僕は目を細めて見つめた。
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