夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第三章

三人の世界 1

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「夕凪……来たのか」

 まだ体力が完全に戻らないのか、午後になると体がだるくなって床に臥せってしまう。寺の離れに用意された客間の布団でうつらうつらしていると襖がすっと開き、夕凪が入って来た。

 夕凪のたおやかな立ち姿に、思わず見惚れてしまう。

 この寺で過ごす日々が落ち着いているようで顔の血色も良く、ほっそりとした首筋や着物から見えるすらりと伸びた手足の肌もしっとりと潤い輝いて見える。

 俺があの日大鷹屋で抱いた夕凪は、慣れない奉公で疲れ切っていたのに……

 そんなことを考えながら、ぼんやりとその美しく整った卵型の輪郭の顔を眺めていた。

 夕凪は私の横に座ると、薬と包帯をお盆の上に置いた。

「律矢さん、包帯を替えましょうか」
「あぁ」
「……あの」
「なんだ?」
「律矢さん……俺、決めました」

 一体、そんな思い詰めて……何を覚悟したのか。

「何をだ?」
「俺、律矢さんと信二郎の二人と一緒に京都へ帰ります」
「はっ? 何を言うんだ。お前は信二郎と生きろと言ったはずだろう」
「いいえ……俺がそれじゃ嫌なんです。我が儘だと思われてもいい」
「っつ……夕凪、それは無理だ」

 そんなことは無理に決まっている。

 一体夕凪は何故このような結論になってしまったのだ。信二郎の奴は一体何を考えているのだ。

「信二郎と話がしたい、今すぐ呼んでくれ」
「俺の気持ちは変わらないから、もう……信二郎には納得してもらったから」
「まさか!」


****

「信二郎、一体どういうことだ。お前は俺と夕凪の父親が同じで、血が繋がっていることを知っているだろう? なのに何故……夕凪の無謀な考えを許す? 」

 夕凪と入れ替わりで部屋に入ってきた信二郎は、不満そうに眉をひそめた。

「私だって最初は止めた。だが夕凪の決心は固かった。私が夕凪を全部失ってしまうのなら半分だけでもとどめておきたいと思うのは、勝手な言い分だろうか。それにお前と夕凪が血縁者だということは、こうなった以上、もうたいした問題ではないのかもしれないな。夕凪が俺………男二人と生きていくという決心をした時点で」

「だが……それは」

「世間一般では許されない道を夕凪は選び進みだした。一人でも味方は多い方がいい。そう思うから許したのだ」

「そんな……お前まで」

「なぁ信二郎、あの滝つぼに飛び込んで、自分の身を犠牲にしてでも夕凪を助けようとしたのはお前だ。もしもあれが私だったら、この話には乗れないで、夕凪を連れてとっとと京都に戻っていたかもしれない」

「あの滝が……俺達の運命を変えてしまったのか」

「そうかもしれないな。もし今後同じことが起きたら必ず私が夕凪を助けたい」

 なんてことだ。信二郎も了承済みなんて……

「はぁ……分かった。だが父親のことを話した上でだ。それで夕凪が俺から引いて行っても、俺は大丈夫だ。その時はお前だけの夕凪だ」

「夕凪はきっと……俺達二人を受け入れると思う」

****

 とはいうものの、やはりいざ言い出そうとするとなかなか難しい。俺は自分がこんなに意気地なしだとは思わなかった。夕凪の本当の父親が、俺の父親だと知った時の反応が怖い。

 もう今日が三日目だというのに。今日こそ言い出さねば……

「夕凪、どこだ?」

 一緒に庭を散歩していたはずなのに、俺が立ち止まって考え事をしているうちに姿が見えなくなっていた。寺庭の奥まで行って見回せば、あの滝つぼの下の岩場に夕凪は腰かけていた。見れば膝の上にスケッチブックを置いて、何かを写生しているようだった。

「夕凪、何を描いているのだ?」
「あっ律矢さん、あの白い花です。俺はあの花を取ろうとして滝つぼに落ちてしまって……でもあの花を今度の着物の柄にどうしてもしたい。だから…」
「なるほど……どれ」

 スケッチブックを覗き込むと、鉛筆の線がたどたどしかった。まだまだだな。

「そうだ、筆の方が良いかも」

 夕凪は今度は筆を取り、細い線で花の輪郭を描き出した。だが線は途中で震え、デッサンが狂ってしまうようだ。

 あぁ……夕凪には絵師として教えたいことが山ほどある。

「あっ上手くいかないな、くそっ」

 夕凪の可愛い口から珍しい言葉が漏れる。
 そんな小さな悪態すらも可愛く聴こえる。

「そうじゃない。どれ筆を貸してみろ」
「えっ律矢さん教えてくれるのですか」

 思わず見かねて夕凪の持っている細筆を奪い取ろうと手を伸ばしてしまった。

 だが……




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