夕凪の空 京の香り

志生帆 海

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第四章

残された日々 7

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「待て!……流水っ」

 そう呼べば、お前はいつだって立ち止まってくれたじゃないか。
 なのに今日は行ってしまうのは何故だ!

 言われた言葉を上手く呑み込めない。
 頭の中をそのまま通り過ぎていく。

 要らない!
 あんな言葉は聴きたくない!

 何かの間違いだよな?
 なぁ流水、お前が僕を置いて何処かへ行くなんて……そんなこと聞いていない。

 僕の頬を夕焼けが慰めてくれるが、涙は止まることを知らない。
 いつまでも滂沱の涙が、頬を伝い流れ続けていく。

 その晩から、流水は僕の前に現れなくなった。

 まさかこのまま消えるとか言わないよな。

 もうこの二日間、ほとんど何も食べていない。

 何も喉を通らないよ。わずかな水分しか口に入れていない。

 女中が作った料理では嫌だ。

 お前が……お前が作ってくれたものじゃないと駄目だ。

 僕はお前がいないと、生きていけない。

 夜になって自室で着替えもせずに茫然としていると、流水がやっと来てくれた。

「流水……待っていた」
 

****


「くそっ! 見ていられないよ、兄さんのあんな姿」

 俺は寺庭で、月を見上げていた。

 儚く白い光で俺を包み込んでくれる月光は、まるでたおやかな兄の手のようだった。

 いつも涼やかな笑みを湛えて穏かだった兄さんが、あんなに取り乱して泣くなんて。 胸が痛くて、もどかしくて、その涙をどうして俺がふいてやれないのかが悔しくて。

 あの晩から俺は、兄さんのために食事を作ることをやめた。

 俺がいなくなることに慣れてもらわないといけない。

 わずか三日しか残された時間はないのだから。

 あぁ……また胸の奥がズキズキと痛む。

 いつからだろう。この痛みに体が蝕まれるようになったのは。

 ずっと健康だった俺の身体に、このような忌々しい異変が起きたのは。

 突如心臓を締め付ける感じや抑えられる痛みに、ずっと一人耐え忍んだ。何度もそれは続き、増していく痛みに不安を覚えて、観念して医者にかかると不吉なことを告げられた。

 その後は緩やかな時間をかけてだが、確実に心臓が俺の躰の中で弱っていくのを感じていた。

 どうやらそろそろ限界のようだ。これ以上は、症状を発作を、平然と隠し通せない。

 兄さんを泣かしたくないんだ。分かってくれよ。

 はっ……俺はなにを奢ったことを、結果泣かしてしまったではないか。それでも俺がこの世から消え行く姿は見せたくない。いっそ憎んでくれてもいいと思った。

 もう時間が迫っているのが分かる。この世から果てる前に、寺を出るしかない。

 次の発作を何事もなく乗り切れる自信がないんだ。

 どうか……許してくれ。

 本当に残して逝きたくない人を捨てて行かねばならぬのは、苦渋の決断だ。

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