139 / 171
第四章
心根 こころね 5
しおりを挟む
「俺の荷物は、どこですか」
「ん?ここじゃよ」
黄泉の国へすぐに行くつもりで、必要最低限の荷物しか持って来なかった。僧侶が手渡してくれた俺の手提げ袋の中から、折りたたんだ風呂敷を取り出した。
この風呂敷は京都に帰った夕凪が染め上げて送ってくれたもの。
湖翠は翡翠のような深い森のような色合いで、俺は蒼い海のような色だった。月影寺の庭先で、湖翠とこの風呂敷を重ねて心を通じあった時が懐かしい。
風呂敷を震える手で開くと、中に一枚の荷札が入っていた。
記載された夕凪が住む宇治の住所は、俺達を信じてくれた証。
行こう!
この心臓が持つ限り!
あの松林で俺の寿命が尽きなかったのには、理由があるのかもしれない。
夕凪に……せめて夕凪に会ってから、逝けというのだろうか。
「会いに行きます」
「うん、辛いだろが。そうしなさい。そなたはあんなところで朽ちていい人間ではない」
そう諭され、翌日寺を後にした。
覚悟を決めたせいか、俺の心臓は幾分持ち直していた。
といっても電車で揺られるだけでも堪える身に成り果てていたが……健康だけが自慢の強靭だった身体が、まさかこんな風になるなんて。
心を感じる肝心な部分から苛まれるなんて、夢にも思わなかった。
人生は本当に分からない。
儚い……ものだ。
後悔ばかりが残る。
せめて一つだけでもその後悔を減らしたい。
夕凪、俺達が愛した弟のような君に会うことで……
****
「桜香またね~楽しかったわ。次はあなたの結婚式ね」
「ええ!ぜひいらしてね」
その日は京都駅まで珍しく来ていたの。
女学生時代の友人を見送って帰ろうとした時に、駅の改札で、長身の男の人が心臓を押さえ苦悶の表情を浮かべ、突然ドサッと倒れた。
「きゃー誰か!人が倒れたわ!」
私も近くにいたからすぐに駆けつけたわ。
「大丈夫ですか!」
男性は胸ポケットから薬を取り出して、喘ぐように苦しげに悶えていた。手が震え上手く瓶が開けられないようだった。
「こっこのお薬なのね!」
私は女学校時代に保健の授業で学んだ応急処置を思い出し、急いで瓶から薬を取り出して彼に飲ましてあげた。すると彼はなんとか嚥下してくれ、呼吸も幾分落ち着いてきたようだ。
「はぁ……はぁ…」
集まって来た人は彼の息が整ってきたのを確認して、散っていったけれども、私は放っておけなくて、離れられなかった。だって……こんなに弱っているのに。
「あの……大丈夫ですか」
駅の大きな柱にもたれている男性に、もう一度声を掛けた。
「あぁ、すまない。助かった」
「いえ……びっくりしました。心臓がかなりお悪いみたいですが」
彼は力なく笑った。やつれて憔悴しているが、大らかな魅力的な笑みを浮かる丹精な面持ちの青年だった。きっともっと元気な頃はかなりの美丈夫だったのだろう。大柄な体躯で見栄えがよいわ。夕凪さんとは真逆のタイプね。
「不甲斐ないな、こんな姿。やっと京都に着いたというのに」
「あの……どこかに行かれるのですか。誰か呼びますか」
「あぁ、人に会いに。あの……宇治へはどうやっていくのか教えてくれますか」
突然『宇治』と言われて驚いてしまった。
だって……ついこの前夕凪さんにそっくりな女性を見かけたばかりで、私にとって宇治は気になる土地となっていたから。
「宇治のどちらへ?連絡して迎えに来てもらいますか。その躰じゃ」
「あぁすいません。参ったな……こんなはずじゃ……もう心臓がもたないかもしれない。一刻も早く行きたいのに、くそっ、うっまた胸が!あぁ……くっ」
彼の意識はそこで途絶えてしまった。顔は蒼白で冷や汗が浮かんでいる。バタンと大きな体が冷たい駅の床に投げ出されてしまった。
「なんてこと!誰かっ救急車を!お医者様を!」
私はありったけの声で叫んでいた。
巻き込まれていく、何かに……そう感じながら、大声で泣きながら叫んでいた。
死んでしまう。
早くしないとこの人が死んでしまう!!!
****
志生帆 海です。いつも読んでくださってありがとうございます。
流水さんの心臓病の症状の描写は、勝手なフィクションです。
医療知識がないため違和感を感じるかもしれませんが、どうかご了承くださいませ。
蜜月旅行中の『重なる月』と、こちらの話も急展開し揃っていきます。
「ん?ここじゃよ」
黄泉の国へすぐに行くつもりで、必要最低限の荷物しか持って来なかった。僧侶が手渡してくれた俺の手提げ袋の中から、折りたたんだ風呂敷を取り出した。
この風呂敷は京都に帰った夕凪が染め上げて送ってくれたもの。
湖翠は翡翠のような深い森のような色合いで、俺は蒼い海のような色だった。月影寺の庭先で、湖翠とこの風呂敷を重ねて心を通じあった時が懐かしい。
風呂敷を震える手で開くと、中に一枚の荷札が入っていた。
記載された夕凪が住む宇治の住所は、俺達を信じてくれた証。
行こう!
この心臓が持つ限り!
あの松林で俺の寿命が尽きなかったのには、理由があるのかもしれない。
夕凪に……せめて夕凪に会ってから、逝けというのだろうか。
「会いに行きます」
「うん、辛いだろが。そうしなさい。そなたはあんなところで朽ちていい人間ではない」
そう諭され、翌日寺を後にした。
覚悟を決めたせいか、俺の心臓は幾分持ち直していた。
といっても電車で揺られるだけでも堪える身に成り果てていたが……健康だけが自慢の強靭だった身体が、まさかこんな風になるなんて。
心を感じる肝心な部分から苛まれるなんて、夢にも思わなかった。
人生は本当に分からない。
儚い……ものだ。
後悔ばかりが残る。
せめて一つだけでもその後悔を減らしたい。
夕凪、俺達が愛した弟のような君に会うことで……
****
「桜香またね~楽しかったわ。次はあなたの結婚式ね」
「ええ!ぜひいらしてね」
その日は京都駅まで珍しく来ていたの。
女学生時代の友人を見送って帰ろうとした時に、駅の改札で、長身の男の人が心臓を押さえ苦悶の表情を浮かべ、突然ドサッと倒れた。
「きゃー誰か!人が倒れたわ!」
私も近くにいたからすぐに駆けつけたわ。
「大丈夫ですか!」
男性は胸ポケットから薬を取り出して、喘ぐように苦しげに悶えていた。手が震え上手く瓶が開けられないようだった。
「こっこのお薬なのね!」
私は女学校時代に保健の授業で学んだ応急処置を思い出し、急いで瓶から薬を取り出して彼に飲ましてあげた。すると彼はなんとか嚥下してくれ、呼吸も幾分落ち着いてきたようだ。
「はぁ……はぁ…」
集まって来た人は彼の息が整ってきたのを確認して、散っていったけれども、私は放っておけなくて、離れられなかった。だって……こんなに弱っているのに。
「あの……大丈夫ですか」
駅の大きな柱にもたれている男性に、もう一度声を掛けた。
「あぁ、すまない。助かった」
「いえ……びっくりしました。心臓がかなりお悪いみたいですが」
彼は力なく笑った。やつれて憔悴しているが、大らかな魅力的な笑みを浮かる丹精な面持ちの青年だった。きっともっと元気な頃はかなりの美丈夫だったのだろう。大柄な体躯で見栄えがよいわ。夕凪さんとは真逆のタイプね。
「不甲斐ないな、こんな姿。やっと京都に着いたというのに」
「あの……どこかに行かれるのですか。誰か呼びますか」
「あぁ、人に会いに。あの……宇治へはどうやっていくのか教えてくれますか」
突然『宇治』と言われて驚いてしまった。
だって……ついこの前夕凪さんにそっくりな女性を見かけたばかりで、私にとって宇治は気になる土地となっていたから。
「宇治のどちらへ?連絡して迎えに来てもらいますか。その躰じゃ」
「あぁすいません。参ったな……こんなはずじゃ……もう心臓がもたないかもしれない。一刻も早く行きたいのに、くそっ、うっまた胸が!あぁ……くっ」
彼の意識はそこで途絶えてしまった。顔は蒼白で冷や汗が浮かんでいる。バタンと大きな体が冷たい駅の床に投げ出されてしまった。
「なんてこと!誰かっ救急車を!お医者様を!」
私はありったけの声で叫んでいた。
巻き込まれていく、何かに……そう感じながら、大声で泣きながら叫んでいた。
死んでしまう。
早くしないとこの人が死んでしまう!!!
****
志生帆 海です。いつも読んでくださってありがとうございます。
流水さんの心臓病の症状の描写は、勝手なフィクションです。
医療知識がないため違和感を感じるかもしれませんが、どうかご了承くださいませ。
蜜月旅行中の『重なる月』と、こちらの話も急展開し揃っていきます。
10
あなたにおすすめの小説
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
《完結》僕が天使になるまで
MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。
それは翔太の未来を守るため――。
料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。
遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。
涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。
あなたの家族にしてください
秋月真鳥
BL
ヒート事故で番ってしまったサイモンとティエリー。
情報部所属のサイモン・ジュネはアルファで、優秀な警察官だ。
闇オークションでオメガが売りに出されるという情報を得たサイモンは、チームの一員としてオークション会場に潜入捜査に行く。
そこで出会った長身で逞しくも美しいオメガ、ティエリー・クルーゾーのヒートにあてられて、サイモンはティエリーと番ってしまう。
サイモンはオメガのフェロモンに強い体質で、強い抑制剤も服用していたし、緊急用の抑制剤も打っていた。
対するティエリーはフェロモンがほとんど感じられないくらいフェロモンの薄いオメガだった。
それなのに、なぜ。
番にしてしまった責任を取ってサイモンはティエリーと結婚する。
一緒に過ごすうちにサイモンはティエリーの物静かで寂しげな様子に惹かれて愛してしまう。
ティエリーの方も誠実で優しいサイモンを愛してしまう。しかし、サイモンは責任感だけで自分と結婚したとティエリーは思い込んで苦悩する。
すれ違う運命の番が家族になるまでの海外ドラマ風オメガバースBLストーリー。
※奇数話が攻め視点で、偶数話が受け視点です。
※エブリスタ、ムーンライトノベルズ、ネオページにも掲載しています。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる