忍ぶれど… 兄は俺の光――息が届くほど近くにいるのに、けっして触れてはならぬ想い人

志生帆 海

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忍ぶれど……

届かない距離 7 

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「兄さん、どうしたんだ? 大丈夫か!」
「ん……ごめん、熱があるみたいで……流……悪いけど……氷枕を……作ってきてくれないか」

  兄さんの肩を支えてこちらを向かせると、熱が高いらしく潤んだ目で熱い吐息だった。

 それだけ言うので精一杯だったようで、再びガクッと俯いてしまった。

「兄さん! しっかりしろよ」

 俺は慌てて母屋に行き、氷枕と水と体温計を持って来た。

「兄さん、ほらっ、熱を測れよ」
「ん……」

 熱のせいでとろんとした表情で俺にもたれかかる兄さん。

 熱は余裕で39℃を超えていた。

「うわっ! ヤバいな。すごい熱じゃないか。母さんを呼んでくるよ」

 立とうとした俺の手を、兄さんが掴んだ。どこにこんな力がと思うほど、しっかりとした熱い手だった。

「大丈夫だ。寝てれば治るから……母さんは……朝まで起こさないで……」
「だが!」
「お願いだ、流」

 今度ははっきりとした口調でぴしゃりと言われ、俺も閉口してしまった。

 参ったな。こんな時にも長男気質っていうか……本当に兄さんって人は、生真面目すぎる。

「……分かったよ。その代わり俺が朝まで看病するから、安心して寝てろよ」
「ん……それがいい」

 そう言った後は、意識を失うように眠ってしまった。いや正確には眠っていない。高熱にうなされ、吐く息も熱く、その薄い胸板を何度も上下させていた。

 兄さんの頭をそっと持ち上げ氷枕を差し込んでやり、額に絞った手ぬぐいをのせてやった。すぐに兄さんの熱で温くなってしまうので、何度も何度も取り替えた。

 やがて徐々に東の空が白んで来た。

「うっ……寒っ…」

 ブルブルと震える兄さんのか弱い声に、うつらうつらしていた俺ははっとした。額に手をやると熱がまたぐっと上がっていた。

 いたたまれない。気の毒過ぎるよ。

 昨日のショックが引き金になったのか。

 なにも京都へ受験に行く日に、こんな高熱を出さなくてもいいのに。

 俺の部屋から毛布を持って来て、かけてやった。

 本やドラマで見たが、こういう時は裸で抱いてやるといいそうだが……そんな不埒な考えを、熱でうなされる兄さんを前にしてしまった自分にがっかりした。

 結局朝になっても熱は上がる一方で、体温計が39.6℃を計測した時は流石に慌てて母さんを呼びに行った。

「大変! 酷い熱じゃない。どうして夜中に起こしてくれなかったの?」
「……兄さんがそうしろって」
「……とにかくお医者様を急いで呼んで来て頂戴」
「分かった。行ってくる」

 俺達のかかりつけ内科の医者は、往診もしてくれる。とにかく兄さんは今自分で立てる状態ではないのだから助かる。

 慌ててコートを着て外に出ると、昨夜からの雪が降り積もり、寺の庭は見事に雪化粧をしていた。そのまま山門の方へ向かうと、見慣れた人がぽつんと立っていた。

「達哉さん?」
「あ……流くんか……おはよう」
「一体、今更、何しに来たんですか」
「……昨日はすまなかった。これ……翠の忘れ物」

 達哉さんが手に持っていたのは、兄さんの辞書とマフラーだった。

 こんなのっ! 今更遅いんだよ。

 この辞書のせいで兄さんはあんな目に遭ったというのに!

「翠は今日は京都に受験に行く日だろう。頑張れって伝えてくれ。それからこれ、うちの寺のお守り」
「……」
「悪いが、少し翠に会えるか」

 達哉さんも昨日翠兄さんと克哉の間に何が起きたのか、薄々気が付いているのか。こうやって届けてくれたり気遣ってくれるのだから、決して悪い人じゃない。

 克哉とは別人格だ。

 それは分かっているが、今はどうしても許す気にはなれない。

「悪いけど……今日は帰ってもらえますか。これは俺から渡しておきます」
「そっか……じゃあ……せめて翠に本当に悪かったって伝えてくれ」
「……もう帰ってもらえますか」
「分かった」

 達哉さんは頭を下げて真摯に謝ってきた。

 だが大人げない無下な一言で、彼を退けてしまった。

 やっぱり許せない。

 辞書とお守りだって……こんなもん渡すもんか! 忌々しい!

 ただ兄さんがしていたマフラーだけは自分の首に巻いてみた。

 すんと深く息を吸い込むと、兄さんの爽やかな匂いが立ち込めた。

「兄さん……」

 達哉さんが見えなくなったのを確認してから、俺は雪道を一目散に走った。足が雪に埋もれ転びそうになったが、とにかく一刻も早く医者を呼んであげたかった。

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