198 / 236
色は匂へど……
春隣 14
しおりを挟む
丈が戻ってきた。
同性の麗人を連れて――
あの日から、彼らは月影寺に留まっている。
流れるように自然に、彼らの生活が、ここで始まった。
洋くんは、人に慣れていなかった。
この寺に辿り着くまで、世間から隠れ、ひっそりと生きてきたのだろうか。
あまりに神々しい美貌は、いつも緊張で張り詰めて苦しそうだった。
流が根気よく明るく接し続けると、たまに、ふっと緩んだ顔も見せてくれるようになった。
洋くんが微笑むと月光が差すようだ。
彼は独特の魅力に溢れた人だ。
最近は、早起きをして朝食の準備を手伝ってくれている。流は助手が出来たと喜んでいたが、朝から焦げ臭い匂いが漂い、食器の割れる音が連日のようしているので苦笑してしまった。
洋くんは僕と似ているのかな?
とても、とても不器用なようだ。
流は気にすることもなく、朝から豪快に笑い、楽しそうだ。
不器用でも手伝ってくれる気持ちが嬉しいんだね。
分かるよ。
流も僕も、新しく出来た末の弟の健気な姿に癒やされている。
役に立ちたいのに立てないもどかしさを抱える洋くんに、声をかけてみた。
「洋くんも写経をしてみないか。心身が整うよ」
「是非! 興味がありました」
僕の誘いに、二つ返事でやりたいと言ってもらえて嬉しかった。
さぁ、今日も、そろそろやってくる頃だ。
すると襖越しに綺麗な声がする。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おはよう! 早速始めようか」
「はい」
洋くんはすっと姿勢を正して呼吸を整え、浄水を硯に少量ひたし、静かに墨を磨った。墨が飛び散るのはご愛敬ということで。
僕も合掌し『四弘誓願《しぐせいがん》』、『般若心経』を唱えて静かに筆を取った。表題から書き始めると心は無になり、煩悩から解放され静かに落ち着いていく。
こうやって僕は夜中に溜まった禁断の欲情と別れを告げる。
だが、この別れは一時的なもので、また夜になると溜まっている。
その繰り返しだ。
その後は、洋くんの予定を確認するのが日課になっている。
実は彼はこの寺に来てから、まだ一歩も外に出ていない。写経の後は、書斎で翻訳の通信教育の勉強をしているようだ。
今日もきっとそうするのだろうと思いつつ、訊ねてみた。
「ところで洋くんの今日の予定は?」
「あの……今日は外出します」
えっ? 珍しいな。
急に心配になってしまう。
過保護すぎるかもしれぬが、妙な胸騒ぎがするよ。
「一人で大丈夫? 心配だな」
「翠さん、俺はもういい歳の大人ですよ。迷子になるとでも?」
「いや……そういう意味ではなく……それで、どこまで行くの?」
「横浜駅です。語学学校の課題を提出し、講義を受けてきます」
「そうか、頑張っているんだな」
「ありがとうございます。夕方には戻りますので」
退出する洋くんの背中を見て、ますます不安になった。
洋くんは危ういほど美しく艶めいているので……横浜の繁華街で妙な輩の目に止まったら大変なことになるのでは? 彼の骨格は男性にしては華奢で、嗜虐的な嗜好を持っている人の標的になってしまいそうだ。
「洋くん、待って。やはり心配だ。流を呼ぶので一緒に行きなさい」
「そんな、一人で大丈夫ですよ」
「僕達がそうしたいから従いなさい。どうも洋くんを一人で行かせるのは不安を覚える」
まるで箱入り娘のように扱われて、洋くんは一瞬困惑したようだが、すぐに納得した笑顔を浮かべてくれた。
僕たちの愛情が届いたのだろうか。
穏やかな表情を浮かべてくれて安堵した。
「じゃあ流の支度ができ次第、出発するといい」
「分かりました」
流を呼ぶと、すぐに了解してくれた。
「俺もそうした方がいいと思いますよ。兄さんの判断は間違っていません」
「そうか」
少しの間の後、流が苦しげに呟いた。
「……間違ったのは俺です……あの雪の日、兄さんを一人で行かせなければ……俺が本を取ってくれば……」
「馬鹿だな、そんな昔のこと掘り返してどうする? 僕はもう忘れたよ。今こうして僕らは寄り添って生きている。それが幸せだ」
流は泣きそうな嬉しそうな顔で、僕を見つめた。
その胸に飛び込んでしまいそうな衝動に駆られ……また僕の心に欲情という厄介なものが溜まってしまった。
この欲は厄介だ。
写経や読経で静めても、すぐに顔を出す。
同性の麗人を連れて――
あの日から、彼らは月影寺に留まっている。
流れるように自然に、彼らの生活が、ここで始まった。
洋くんは、人に慣れていなかった。
この寺に辿り着くまで、世間から隠れ、ひっそりと生きてきたのだろうか。
あまりに神々しい美貌は、いつも緊張で張り詰めて苦しそうだった。
流が根気よく明るく接し続けると、たまに、ふっと緩んだ顔も見せてくれるようになった。
洋くんが微笑むと月光が差すようだ。
彼は独特の魅力に溢れた人だ。
最近は、早起きをして朝食の準備を手伝ってくれている。流は助手が出来たと喜んでいたが、朝から焦げ臭い匂いが漂い、食器の割れる音が連日のようしているので苦笑してしまった。
洋くんは僕と似ているのかな?
とても、とても不器用なようだ。
流は気にすることもなく、朝から豪快に笑い、楽しそうだ。
不器用でも手伝ってくれる気持ちが嬉しいんだね。
分かるよ。
流も僕も、新しく出来た末の弟の健気な姿に癒やされている。
役に立ちたいのに立てないもどかしさを抱える洋くんに、声をかけてみた。
「洋くんも写経をしてみないか。心身が整うよ」
「是非! 興味がありました」
僕の誘いに、二つ返事でやりたいと言ってもらえて嬉しかった。
さぁ、今日も、そろそろやってくる頃だ。
すると襖越しに綺麗な声がする。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「おはよう! 早速始めようか」
「はい」
洋くんはすっと姿勢を正して呼吸を整え、浄水を硯に少量ひたし、静かに墨を磨った。墨が飛び散るのはご愛敬ということで。
僕も合掌し『四弘誓願《しぐせいがん》』、『般若心経』を唱えて静かに筆を取った。表題から書き始めると心は無になり、煩悩から解放され静かに落ち着いていく。
こうやって僕は夜中に溜まった禁断の欲情と別れを告げる。
だが、この別れは一時的なもので、また夜になると溜まっている。
その繰り返しだ。
その後は、洋くんの予定を確認するのが日課になっている。
実は彼はこの寺に来てから、まだ一歩も外に出ていない。写経の後は、書斎で翻訳の通信教育の勉強をしているようだ。
今日もきっとそうするのだろうと思いつつ、訊ねてみた。
「ところで洋くんの今日の予定は?」
「あの……今日は外出します」
えっ? 珍しいな。
急に心配になってしまう。
過保護すぎるかもしれぬが、妙な胸騒ぎがするよ。
「一人で大丈夫? 心配だな」
「翠さん、俺はもういい歳の大人ですよ。迷子になるとでも?」
「いや……そういう意味ではなく……それで、どこまで行くの?」
「横浜駅です。語学学校の課題を提出し、講義を受けてきます」
「そうか、頑張っているんだな」
「ありがとうございます。夕方には戻りますので」
退出する洋くんの背中を見て、ますます不安になった。
洋くんは危ういほど美しく艶めいているので……横浜の繁華街で妙な輩の目に止まったら大変なことになるのでは? 彼の骨格は男性にしては華奢で、嗜虐的な嗜好を持っている人の標的になってしまいそうだ。
「洋くん、待って。やはり心配だ。流を呼ぶので一緒に行きなさい」
「そんな、一人で大丈夫ですよ」
「僕達がそうしたいから従いなさい。どうも洋くんを一人で行かせるのは不安を覚える」
まるで箱入り娘のように扱われて、洋くんは一瞬困惑したようだが、すぐに納得した笑顔を浮かべてくれた。
僕たちの愛情が届いたのだろうか。
穏やかな表情を浮かべてくれて安堵した。
「じゃあ流の支度ができ次第、出発するといい」
「分かりました」
流を呼ぶと、すぐに了解してくれた。
「俺もそうした方がいいと思いますよ。兄さんの判断は間違っていません」
「そうか」
少しの間の後、流が苦しげに呟いた。
「……間違ったのは俺です……あの雪の日、兄さんを一人で行かせなければ……俺が本を取ってくれば……」
「馬鹿だな、そんな昔のこと掘り返してどうする? 僕はもう忘れたよ。今こうして僕らは寄り添って生きている。それが幸せだ」
流は泣きそうな嬉しそうな顔で、僕を見つめた。
その胸に飛び込んでしまいそうな衝動に駆られ……また僕の心に欲情という厄介なものが溜まってしまった。
この欲は厄介だ。
写経や読経で静めても、すぐに顔を出す。
10
あなたにおすすめの小説
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
転生したら魔王の息子だった。しかも出来損ないの方の…
月乃
BL
あぁ、やっとあの地獄から抜け出せた…
転生したと気づいてそう思った。
今世は周りの人も優しく友達もできた。
それもこれも弟があの日動いてくれたからだ。
前世と違ってとても優しく、俺のことを大切にしてくれる弟。
前世と違って…?いいや、前世はひとりぼっちだった。仲良くなれたと思ったらいつの間にかいなくなってしまった。俺に近づいたら消える、そんな噂がたって近づいてくる人は誰もいなかった。
しかも、両親は高校生の頃に亡くなっていた。
俺はこの幸せをなくならせたくない。
そう思っていた…
平凡ハイスペックのマイペース少年!〜王道学園風〜
ミクリ21
BL
竜城 梓という平凡な見た目のハイスペック高校生の話です。
王道学園物が元ネタで、とにかくコメディに走る物語を心掛けています!
※作者の遊び心を詰め込んだ作品になります。
※現在連載中止中で、途中までしかないです。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる
cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。
「付き合おうって言ったのは凪だよね」
あの流れで本気だとは思わないだろおおお。
凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる