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色は匂へど……
色は匂へど 3
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『重なる月』花が咲く音21とリンクしています。あちらは流視点。こちらは翠視点です。
****
薙がこの寺に来ることを了承してくれたのは嬉しい。
だが不安も尽きない。
果たして、僕はここで薙と上手くやっていけるのだろうか。
もう何年も会っていないんだ。成長するにつれ僕をまともに見てくれなくなったあの子と……
離婚してからも彼女の欲望のままに動かざるを得ない僕は、とても情けない父親として映っているのではないか。
キュッと唇を噛んで手紙を握りしめいると、遠くの床が軋む音がした。
一歩一歩踏みしめるように歩く、力強い足音は……
「兄さん、入ってもいいですか」
「ああ流か……いいよ」
僕は反射的に彩乃さんからの手紙を後ろ手にまわして隠した。
「もう仕度は出来ましたか」
「うん、どうかな?」
顔をあげて袈裟姿を見せると、流も男気溢れる笑みを浮かべ、僕を真っ直ぐに見つめてきた。
視線が絡み合うように交差すると、胸の鼓動が早まっていく。
「あれ……」
流が作務衣ではなくスーツを着ているのに、少し驚いた。
ストイックなスーツも、流にかかれば野性味溢れるものとなる。
流はなんて魅力的な男性に成長したのか。
我が弟ながら見惚れてしまいそうだよ。
流の方も、僕をうっとりと見つめているのは気のせいか。
「兄さんはやはり袈裟が一番似合いますね」
「そうかな? 流にそう言われると嬉しいよ。ところで流がスーツなんて珍しいね」
「ははっ、流石に今日はいつもの作務衣というわけにはいかないでしょう」
「……流だって袈裟を持っているのに」
「いや、こんな頭に似合いませんよ」
肩まで伸ばした漆黒の黒髪。
それを無造作に束ねながら、朗らかに笑っている。
「そんなことはない。どんな姿でも似合うよ」
「……そうですか」
なんとなく照れ臭くなって、話題を変えた。
「洋くんも丈も、もう仕度は整ったのかな?」
「ばっちりですよ」
「そうか、では時間だね」
廊下に出ようとすると呼び止められた。
「あの……もしかして……何かあったのですか」
「あっ、うん」
今日は晴れの日だ。
彩乃さんの手紙については一旦置いて過ごそうと思ったのに、流は僕の些細な心の変化に気付いてしまったようだ。
「なんです? それ」
「あっ……」
僕が後ろ手に隠したものを、ひょいと覗いて顎に手をあてた。
言い淀んでしまう。
この場で彩乃さんの話題を出すのは憚られる。
だが、そんな気持ちごと、流は持って行ってしまった。
「見せて下さい。兄さんを不安にさせるものは、知る権利があります」
僕からさっと手紙を奪い取ると、差出人を見て驚いていた。
「……彩乃さんから? 珍しいですね」
「実は昨日この手紙が届いて……」
「何か困ったことでも?」
「今日はいいよ。今度話す」
僕はぎこちない笑顔を浮かべるしかなかった。
「駄目です。今日は大事な晴れの日です。そんな風に悩みながらは良くないでしょう。どうか隠さないで下さい」
そう言われて、確かにその通りだと思った。
僕はもうすべてを流に委ねる覚悟だ。だから悩みも隠さずに伝えよう。
「実は彼女が来月、急にフランスに行くことになったそうだ」
「フランス? それはまた随分遠くですね」
「向こうの美術館に勤めるらしい。それは以前から彼女の夢であったから、ようやく採用されたと喜んで……」
「そうか、なら朗報なのか」
「そうだね。それで実はここに薙を引き取ろうと思っている」
「えぇっ‼」
流石に流も驚いたようだ。
無理もない話だ。ここ数年、話題から遠ざかっていた息子を急に引き取るだなんて。
「彩乃さん自ら、大事な息子を手放すと?」
「うん……彼女も薙も望んでいるそうだ」
「……なら賛成ですよ。俺も薙は好きです。もう十四歳なんて早いですね」
「流……本当にそうしてもいいのか」
「もちろん。兄さんの息子です。ここで一緒に育てましょう。俺も協力しますよ」
「ありがとう。ほっとしたよ。流がそう言ってくれるのが本当に嬉しいよ」
流が一緒に育ててくれる。
その言葉が心底嬉しかった。
しかし、流の目は遠かった。
瞳に諦めのようなものを感じた。
そうじゃない。流……諦めるのはまだ早い。
そう……声を大にして叫びたくなった。
今日という日は、この月影寺をも動かす大切な日なんだ。
僕はこの流れに乗ろうと思っている。
僕がずっと出来なかったことを越えてみたいんだ。
遥かなる時空を超えて、大切な想いが集まってくるような、厳かな気配が満ちていく。
「さぁ行こう。流は僕から……離れるな」
「……兄さん」
丈と洋くんが切り開いてくれる世界に、僕たちも足を踏み入れよう。
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薙がこの寺に来ることを了承してくれたのは嬉しい。
だが不安も尽きない。
果たして、僕はここで薙と上手くやっていけるのだろうか。
もう何年も会っていないんだ。成長するにつれ僕をまともに見てくれなくなったあの子と……
離婚してからも彼女の欲望のままに動かざるを得ない僕は、とても情けない父親として映っているのではないか。
キュッと唇を噛んで手紙を握りしめいると、遠くの床が軋む音がした。
一歩一歩踏みしめるように歩く、力強い足音は……
「兄さん、入ってもいいですか」
「ああ流か……いいよ」
僕は反射的に彩乃さんからの手紙を後ろ手にまわして隠した。
「もう仕度は出来ましたか」
「うん、どうかな?」
顔をあげて袈裟姿を見せると、流も男気溢れる笑みを浮かべ、僕を真っ直ぐに見つめてきた。
視線が絡み合うように交差すると、胸の鼓動が早まっていく。
「あれ……」
流が作務衣ではなくスーツを着ているのに、少し驚いた。
ストイックなスーツも、流にかかれば野性味溢れるものとなる。
流はなんて魅力的な男性に成長したのか。
我が弟ながら見惚れてしまいそうだよ。
流の方も、僕をうっとりと見つめているのは気のせいか。
「兄さんはやはり袈裟が一番似合いますね」
「そうかな? 流にそう言われると嬉しいよ。ところで流がスーツなんて珍しいね」
「ははっ、流石に今日はいつもの作務衣というわけにはいかないでしょう」
「……流だって袈裟を持っているのに」
「いや、こんな頭に似合いませんよ」
肩まで伸ばした漆黒の黒髪。
それを無造作に束ねながら、朗らかに笑っている。
「そんなことはない。どんな姿でも似合うよ」
「……そうですか」
なんとなく照れ臭くなって、話題を変えた。
「洋くんも丈も、もう仕度は整ったのかな?」
「ばっちりですよ」
「そうか、では時間だね」
廊下に出ようとすると呼び止められた。
「あの……もしかして……何かあったのですか」
「あっ、うん」
今日は晴れの日だ。
彩乃さんの手紙については一旦置いて過ごそうと思ったのに、流は僕の些細な心の変化に気付いてしまったようだ。
「なんです? それ」
「あっ……」
僕が後ろ手に隠したものを、ひょいと覗いて顎に手をあてた。
言い淀んでしまう。
この場で彩乃さんの話題を出すのは憚られる。
だが、そんな気持ちごと、流は持って行ってしまった。
「見せて下さい。兄さんを不安にさせるものは、知る権利があります」
僕からさっと手紙を奪い取ると、差出人を見て驚いていた。
「……彩乃さんから? 珍しいですね」
「実は昨日この手紙が届いて……」
「何か困ったことでも?」
「今日はいいよ。今度話す」
僕はぎこちない笑顔を浮かべるしかなかった。
「駄目です。今日は大事な晴れの日です。そんな風に悩みながらは良くないでしょう。どうか隠さないで下さい」
そう言われて、確かにその通りだと思った。
僕はもうすべてを流に委ねる覚悟だ。だから悩みも隠さずに伝えよう。
「実は彼女が来月、急にフランスに行くことになったそうだ」
「フランス? それはまた随分遠くですね」
「向こうの美術館に勤めるらしい。それは以前から彼女の夢であったから、ようやく採用されたと喜んで……」
「そうか、なら朗報なのか」
「そうだね。それで実はここに薙を引き取ろうと思っている」
「えぇっ‼」
流石に流も驚いたようだ。
無理もない話だ。ここ数年、話題から遠ざかっていた息子を急に引き取るだなんて。
「彩乃さん自ら、大事な息子を手放すと?」
「うん……彼女も薙も望んでいるそうだ」
「……なら賛成ですよ。俺も薙は好きです。もう十四歳なんて早いですね」
「流……本当にそうしてもいいのか」
「もちろん。兄さんの息子です。ここで一緒に育てましょう。俺も協力しますよ」
「ありがとう。ほっとしたよ。流がそう言ってくれるのが本当に嬉しいよ」
流が一緒に育ててくれる。
その言葉が心底嬉しかった。
しかし、流の目は遠かった。
瞳に諦めのようなものを感じた。
そうじゃない。流……諦めるのはまだ早い。
そう……声を大にして叫びたくなった。
今日という日は、この月影寺をも動かす大切な日なんだ。
僕はこの流れに乗ろうと思っている。
僕がずっと出来なかったことを越えてみたいんだ。
遥かなる時空を超えて、大切な想いが集まってくるような、厳かな気配が満ちていく。
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