【完結】エルネスト・ルク・ヴァルトリエの責務

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第二章 【黒い指先の賢者】

5.

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 目を開けると、薄い青空と灰色の雲。そして、大樹の葉が見えた。
――ここは何処だ。
 一瞬、分からなくなった理人の耳に、声が届く。

「よぉ、おはよ」

 リアンの声だ。理人は上半身を起こそうとし、少し眉を寄せる。

「はは、筋肉痛か? まぁあれだけ歩きゃ痛むよな」
「情けない限りだ」
「別にいいだろ、筋肉痛くらい」
 
 昨晩、理人とリアンは小屋から少し離れた位置に拠点を作り、野宿をすることにした。モルカスの説得には時間がかかると判断したからだ。もちろん理人に諦めるという選択はない。
 簡易な布を敷き、リーフに似た屋根をリアンと共に作ったところまでは覚えている。
 が、そこから先の意識がない。強行軍をした疲労もあり、理人はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。残りの野営の準備のあたりは、リアンが昨晩の内にやっておいてくれたらしい。
 即席の拠点にしては、色々な炊事道具だったり、布団代わりの布などがセンス良く配置されていた。
 普段ならば、このような失態はしないのだが。

「すまない、手伝いもせずに眠り込んでしまった」
「気にするな。こういうのも含めてちゃんとやれって、お前の民に念を押されてるからな」

 理人は苦笑して身体を起こしきる。髪もいつの間にか、リアンが拭いてくれていたようだ。
 草が多い茂る地面は、布を敷いて横たわっているだけでも、それほど身体が痛くもない。夜中の二、三時くらいまでパソコンに向かい続け、椅子で寝落ちした時に比べれば、横になれるだけ幾分も健康的であった。
 睡眠時間も、あの頃よりは長い。高く昇りつつある太陽を確認すると、リアンがその意味を正確に汲み取った。あまり早朝では迷惑だから、モルカスの元へ訪れてよい時間帯かを確認している。
 
「本当にひとりで行くのか? 俺もついていくぜ」

 コーヒーを片手に言うリアンに、理人は立ち上がりながら、首を振る。

「私一人で良い。お前がいると、話が拗れる」

 リアンは分かりやすく不満を表情に浮かべた。

「あのじいさん、強引に行かなきゃ話が通じねぇんだよ。扉を叩いてるだけだったら、永遠に会えないぜ」
「そのようだな」

 リアンが激しく応対するのなら、それなりに意味はある。いきなり無作法ものになるわけではないくらい、理人も分かっている。先日のように捲くし立てなければ、話すら聞かない相手だというのは、理人も何となくは察した。
 だがそれは、理人のやり方ではない。強引に話を聞いてもらうのでは、意味がないのだ。

「どんな形でも助力は乞いたい。滞在できる間に、可能な限りの言葉を尽くす」



 こんこん、と、扉を叩いても、先日と同じく閉ざされたままだった。

「すみません」

 暫く繰り返したが、返事はない。
 モルカスとリアンのやり取りを学んだ理人は、少し間を取ってから扉を開く。やはり鍵はかけられておらず、すぐに押すことが出来た。ぎいと古い木が擦れ、中から異臭が立ち込める。
 
 改めて小屋の中を見渡してみると、園芸に使うよりは本格的なスコップや一輪車、大量の桶、何かも分からない草花、そしてその種などが大量に散らばっていた。机の下、フラスコのような器具の中、ありとあらゆるところに土と砂、そして腐った草などが詰め込まれている。
 また、壁に張り巡らされた棚には、古い茶表紙の本が大量に背を並べていた。触れば崩れしまいそうなほどに、染みが入り、汚れているようだ。背表紙に並ぶ文字は理人が読めないものもある。恐らく、日本でいう古文や漢文のように、この世界における古い言葉なのだろうと予想した。
 
 一つの棚の上に、ガラスケースが置かれている。ケース内には、周辺に散らばる物たちとは少し風貌が違う、青く深い三角の帽子が入れられていた。
 
「帽子……?」

 理人が呟いた途端、背後から声が聞こえた。
 巌を連想させる低いしわがれた声だ。

「ア? まだ生きてやがったのか」

 今日は本当に不在にしていたらしい。鍬を肩に掛け、全身を土塗れにした、モルカスの姿である。モルカスは片手で持っていた桶を置いた。ドン、と重たい音が響く。

「モルカス様、またお邪魔しております」
「生きて恥を晒すな、クソガキが! とっとと出て行きやがれ!」

 桶にスコップを突っ込んだモルカスが、桶の中の粘着質な土を掬い上げ、次々と理人に向かって飛ばし始める。ぐちゃ、ぐちゃ、と音を立てて、床と理人に土が叩きつけられる。
 理人は顔だけを庇い――汚れたくないのはなく、口が封じられて話せなくなるのが困るため、モルカスに向かって頭を下げた。

「モルカス様、話だけでも聞いてもらえないでしょうか」

 手や腕、脚に次々とへばりつく土が、異臭を放っている。
 理人はもう構わずに、言葉を続けた。

「戦争によって、死んだ大地なのです。そこに実りがないから、民は困窮しています。王からの支援もないという――ならば、私たちは、私たちでこの領を救わなければならない。強制は出来ません。お願いします。貴方の知恵を、貴方のご見解を、少しでもお聞かせいただきたい」
「黙れ、クソガキ。帰ってママにでも甘えてな!」
「直接的にお聞きできなくても、それならば、せめて貴方を手伝わせていただけないだろうか。何でもします」

 知恵を無料で分け与えて欲しいなど、あまりに厚かましい願いである自覚はある。ならば次に理人が出来るのは、モルカスの傍にいてモルカスから学ぶことだ。付きまとってでも、モルカスの持つ技術と知識を横から学ぶしかない。
 桶の中の土をひたすら浴び、どうやら在庫が切れたらしい。モルカスからの攻撃が終わったタイミングを見計らい、理人は床に両膝をついた。

「アァ?」

 不機嫌を前面に出して唾を吐いたモルカスに、両手を床について、理人は頭を下げた。
 額を落ちた土に擦り付け、必死に言葉を紡ぐ。
 
「お願いします。あなたの技術は希望です。死した大地に残された、最後の希望なのです」

 ひゅっと、風を切った音が鳴る。
 頭に強い衝撃を受けたのは、その時だった。重く鈍い音と共に、身体が左に倒れそうになる。視界が大きくぶれ、次いで、右側のこめかみから血が流れて、顎を伝った。
 脳が揺らいだまま顔を上げると、モルカスが手近にあった土器を握り締め、腕を振り上げている姿が目に入る。土器を掴んだモルカスが、それで理人を殴打したのだと理解した。

「テメェみたいな甘っちょろい理想家が、ここに来るんじゃねぇ! 土はな、希望じゃねえ! 吐いたら戻らねぇクソみてぇなもんだ!」

 見上げる理人に、モルカスは今にも飛び掛かってきそうな凄まじい剣幕の目で、吐き捨てる。

「テメェなぞ、地べた舐めて這いつくばってみろ、そしたら少しは土の気持ちがわかるかもな」

 理人の視界に映る床に、モルカスが投げつけた土がある。
 理人は膝を折ったまま、それに手を使わずに、舌で舐めた。
 
 苦い味がする。舌が痺れる感覚もあった。反射的に本能が異物を押し出そうとする反応を押し殺して、理人はただ、土を舐めた。
 

 
 理人がリアンの元へ戻ると、彼は理人の顔を見、驚愕した後に彼にしては珍しく血相を変えて立ち上がった。口の中にまだ違和感がある。早く濯ぎたい気もしたが、この苦さは理人が知らなければならないものの気もした。

「お前……あのじじい、何をしやがった?」
「ああ、いや、モルカス様の責ではない。私が何か気に障ることを言ってしまったようで、機嫌を損ねてしまったらしい。土器のようなもので……避け切れずにな」

 土器が振られる音は聞こえたが、単純に状況を見極める判断が甘く、反射神経が悪かった。恥の思いで告げると、リアンが清潔な布を持ってすぐに理人のこめかみに当てる。
 乾きかけていた血液を拭い、ぐっと傷口に布を押した。

「あのじじいにも、お前にも困ったもんだな。話し合いは穏便にやれ。フロリア嬢がいないんだから、怪我はすんなって」
「フロリアが居ても、この程度では頼まん」

 そういう問題じゃない、と、リアンが呆れたように言う。



「モルカス様」
「……まだ生きてんのか、クソガキ。恥晒してんじゃねぇよ」
 途端に室内に土嚢の袋がぶちまけられた。砂煙が舞い上がり、視界を奪われたときには、理人はすぐに小屋を追い出されてしまっていた。



「モルカス様、土をお運びします」
「土はキレイな奴を嫌うんだ、そんな手で土に触るんじゃねぇ!」
 横に付きまとっていると、腕を叩かれ、足元の地面の泥濘に足を取られた。山の斜面を転がってしまい、気がついた時にはモルカスはその場を離れていた。


 
「止めだ、エルネスト。これ以上は意味がない」

 幾度目かの日が過ぎ、拠点に戻った理人を見たとき、リアンが真剣な表情で告げた。夕暮れの山から差す黄昏の光が、リアンの金色に炎のような色合いを灯している。

「そんなことはない。私は諦めない」

 リアンは理人の腕を掴んだ。理人の腕には小さな裂傷の跡があり、指や爪は泥にまみれている。リアンは話題を打ち切らせない強い意志を持って、理人に言い聞かせた。

「お前、分かってんのか。毎回ぼろぼろになって帰ってきてるだろ。これ以上は黙認できねぇ」
「いや……」

 最初こそ、モルカスの傍にいれば、突発的な力に晒されることもあったが、今はモルカスの方も大分譲歩はしてくれている。避け切れなかった理人が体勢を崩して床に倒れたりするくらいだ。じゃれあいというには過激だが、本気で殺そうともしていない。
 
「少しずつだが、モルカス様も態度が緩和されている。まだ諦められないし、私は諦めるつもりはない」
「しかし、時間制限はあるぞ、エルネスト。もうそろそろ限界だ。あの執事のじいさんだって、領主の代行にも限界はある」
「そうだな。しかし、まだその時ではない。最後までやり続けるのみだ」
「お前、本当にじじいに何もされてないか? 土の術を使った、あんな攻撃を毎回喰らってるんじゃないだろうな。お前だったら、避けきれないだろう」
「あんな……? ああ、お前がいたときに遭った、土壁のようなものか」

 リアンに言葉を返しながら、理人は目を見開き、考え込む。

 思い返せば、モルカスはリアンが居た時に仕掛けた攻撃を、理人が一人の時には行わない。怒り狂って理人を追い返そうとしても、その場にある道具を使って邪魔をするだけだった。

 ならば、彼は相手の能力をきちんと見極めて対応しているのかもしれない。逆を返せば、最初の邂逅は「リアンなら避けられる」と分かっているから、土壁を次々と生成して追い返したのではないか。理人だけならば避けられず、おそらく致命傷を負う。

 攻撃を当てることができるのなら、敢えて、当てないことも出来る。後者の方がより難しいだけだ。わざとらしく見せず、ぎりぎりの状態で避けられるように、攻撃を繰り出すのは。
 一度だけ、モルカスは理人に攻撃を当てた。それこそが特例としたら。
――ならば、あの時の何が、モルカスを激昂させた?
 青い目を思考に沈ませた理人に、リアンは溜息をついた。

「エルネスト。明日は俺も行く。お前が来るなっつっても、俺が俺の意思で勝手に動く」
「リアン」
「安心しろ。俺はお前よりちょっと交渉が上手い――二人がかりで、終わらせるぞ」

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