【完結】エルネスト・ルク・ヴァルトリエの責務

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第二章 【黒い指先の賢者】

9.

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 目の前の景色が霞む。今の時刻はすっかり分からなくなっていて、空を見上げる余裕もない理人は、自らの足元が生む影を見ながらただひたすらに道なき道を歩いた。影が生まれてきたということは、月のない夜は夜が少しずつ明けているはずだ。
 行きは進めた道も、戻るとなればまた景色は変わる。進路が合っているのか判断も出来ないままに、足を動かし続ける。
 幽鬼のようにふらふらと身体を揺らして歩く理人を、森の住民たちが樹の上から遠巻きに眺めた。
 
 その瞬間に足を滑らせ、理人は構えを取る間もなく、針葉樹の葉の上に身体を打ち据える。
 そのまま呻くことも出来ずに息を荒く繰り返した。行きは耐えられた転倒も、今の身体では傷口が痛む。
 
 左手に力を籠め、身体を上向きに持ち上げる。小動物が心配そうに理人を見ていた。
 すると、突然に彼らが目を見開き、きゅいきゅいっと声を上げて理人の背後を見つめる。

 理人も振り返ると、薄闇の中で赤く光る双眸があった。
 
「またか……」

 次に、繰り出された触腕が理人の横の地面を抉る。土と葉が辺りに巻き上がった。
 木の傍に寄り添い、屈んで動くな。
 リアンの言葉は覚えているが、これはあくまで接敵する前に気付いた場合の助言のように思える。一度相手が理人を完全に捉えると、隠れたところで見逃してもらえるようには思えなかった。
 
 頭を抱え再び地面に身体を伏せた理人の元へ、再び複数の触腕が迫る。
 次の瞬間には、理人の頭の上で斬撃音が響いた。ぼたっ、ぼたっ、ぼたっと何かが落ちる音が、次いで聞こえてくる。

「無事……ではないな、エルネスト」

 理人の目に燃えるような赤い髪が映る。優美な背が、魔物を切り伏せ、血糊を払ってから剣を収めた。



 リアンの肩を借り、森を出る。出口はすぐそこまでに迫っていたようで、然程時間はかからなかった。
 眩しい日の元に出ると、静かな風が頬を打つ。
 
 小屋の畑の前で、モルカスが立っていた。巌を彷彿させる立ち姿で、森から戻った理人とリアンを認めて、腰をすがえている。

「……相変わらず、生きてるだけで恥を晒してやがる。花を持ち帰ったか、クソガキ」

 理人にはリアンの身体が震えたように感じたが、それは気のせいなのかもしれなかった。出血で悪寒が走って震えているのは、理人の身体の方かもしれなかったから。
 
「――いいえ、モルカス様」

 理人は笑った。それは面白くて浮かべた笑みでもなく、楽しくて浮かんだ笑みでもない。
 どうしようもないと理人自身も思った。

「持ち帰れませんでした」
「どういうことか、説明しやがれ。場所に辿り着けなかったっつってんのか」

 答えようとして、喉が痛みを訴えて咳き込む。そういえば動き回ったにも関わらず、水分を取ることも忘れていた。満身創痍な理人の様子を見たリアンが、モルカスを制止する。

「怪我の手当てが先だ。会話は後でもいいだろ」
「いや、いい。先にお答えしたい」

 モルカスもリアンも夜通し理人を待っていたのだと、分かっている。結果を待つだけではなく、安否も気にしていたのだと分かるが故に先に休むつもりはなかった。
 ごほごほと喉を整え、理人は再び重たい面を上げる。

「あの花を持ち出しては、この森は枯れる。そうではありませんか、モルカス様。手を伸ばし触れようとすると、周りの草が枯れました――それに、動物たちが止めたのです。花を抜くなと、私には彼らがそう訴えているように思えました」

 死した大地を甦らせるための肥料になる。それならば強大な力を持っているとも考えられた。
 抜くことは容易だった。けれど、抜けば一体何が起こるのか。理人がどれほど考えようと分かるはずもなく、試しで抜ける程、浅慮にはなれない。
 森の住民たちの声なき訴えを、理人は無視することが出来なかった。
 あれだけ土地を再生させると語っておきながら、出来なかった。
 
「私はそう仮説したとき、深い絶望を感じました。私が、ではありません」

 土に塗れたモルカスを見る。理人を何度も追い返そうとした土の賢者を。
 理人はまた、誤るところであった。

「貴方の絶望です。奪われることに対して、貴方が深く傷つき、絶望しているのだと感じました」

 森を支える無垢な花、花を護る無垢な動物たち。彼らの平和を奪わせる行為を指示したモルカスは、理人を傷つけたいだけの意図ではなかった。少なくとも理人はそう思う。理人はモルカスの為人しか知らない。それでも、悪戯に他人を傷つけて楽しむような人間ではないと理人は自分で見て知っていた。
 誰しもが分かって欲しい心の奥の思いがある。モルカス自身が抱えきれない思いが、きっとある。人の言葉や行動の裏には、それが見え隠れしている。
 本当に理人を殺すつもりではなかったモルカスがいた。決して、来るなと追い返しても、山を降りろとは言わなかった。長い長い年月を一人でここで暮らしてきた彼に何があったのか。理人には想像も出来ない何かがあるのかもしれない。

 新月の夜を仰いで、理人はこれを命じたモルカスの絶望を想った。
 
「私は外道な人間です。貴方から貴方の平穏な生活を奪おうとし、森に生きる彼らから花を奪おうとした――やはり、それは駄目なのです。お前は間違えていると己の傲慢さを眼前に突きつけられ、私はただ、私の目的を押し付けようとした私を恥に思いました。どんな理由があろうとも、例えそれが誰かを救うためだとしても、その代わりに何かを奪っていい理由にはならない。決して、そんなことを理由にしてはならない」

 諦めてはいない。今も。
 花を持ち帰れなかったことで、モルカスの協力が仰げなくなっても、理人は別の道を模索することを諦めない。
 
 それで取り返しがつかない結果となってしまっても、やはり、ここで花を奪うことは許してはならない。助けるためだから、再生させるためだから、それもすべて、都合のいい言い訳だ。
 理人は甘いのかもしれない。理想論だと片付けられても仕方がない。簒奪者と口にしておきながら、最後にそうでありたくないとほざくなど。
 
 笑みに似た表情の中で、青い瞳が賢者を労わるような色を浮かべる。
 
「モルカス様。私は貴方から、何も奪えない。少なくとも、せめて、私が選ぶ行為の中において、貴方から奪いたくありません――ご迷惑を、お掛けしました」

 頭を下げようとすると、支えられているのに身体が崩れた。リアンが驚いた声を上げ、肩を支えてくれていた力が更に増したのを感じる。
 
 他の手段を、考えます。
 
 言おうとしていた言葉が、喉から零れたかは、ついぞ分からなかった。




 ぐらぐらと揺れる身体を自分で支え、どうにかリーヴのところまで辿り着く。愛馬は心配そうに理人の顔に顔を擦り付け、理人が凭れ掛かりやすいように態勢を変えた。
 理人は愛馬に甘え、そっと体重を寄りかからせる。
 
「行けるか、エルネスト」

 リアンの声は静かで、彼が怒りとも心配ともつかない声音をしていることに理人は気が付いている。最近、リアンはずっとこうだった。

「平気だ。リーヴは賢い。今の私でも何とか乗せて、走ってくれるだろう」

 リーヴは言葉に、短く鳴いて答える。
 
 花を取れなかったあの日から、数日、理人は寝込んだ。その間にモルカスの姿は一度も見かけることなく、熱に浮かされたまま理人は次の行動を考えていた。
 とにかく、一度、領に帰らなければならない。領民たちに失望した顔を浮かべられてしまうかもしれないが、協力を仰げなかった事実を共有しなければならないのだから。
 怪我の介抱をしてくれていたリアンは、その数日間、やけに静かだった。理人にいつもの小言を言うことこそやめはしなかったが。虚ろに目を開けたとき、何度か静かに考え込んで理人を見下ろしているリアンの双眸に出会った記憶がある。

「最後に、モルカス様に挨拶をしていきたい。私の顔など、もう見たくもないかもしれないが」

 せめて、ヴァルトリエ領の中では好きに過ごして欲しいと、そう伝えられたら。賢者の静謐な生活を邪魔しないために、領を預かる者として配慮は出来る。
 リアンは理人にけろっとして答えた。

「挨拶? 多分、要らないぜ」
「そんな無礼なことは出来ん」
「無礼じゃねぇって――ほら、あっち見てみろよ」

 リアンの指さす先に、理人はゆっくりと視線を動かす。眩暈によって揺れた焦点が落ち着いた時、それは見えた。
 ロバのような動物が四頭、荷車を引いている。荷車には数え切れないほどのたくさんの荷物を載せ、そして黒い指先で手綱を握るモルカスの姿があった。
 
「モルカス様?」

 理人が思わず名を漏らすと、荷車の上のモルカスが理人とリアンにじろりと視線を投げる。

「熱で走れねぇだとか、クソ寒いことを抜かすなよ、クソガキ。さっさと案内しやがれ」

 理人は目を瞬かせる。
 どう見てもそれは、モルカスが居を移す準備をしているようにしか見えなかった。

「何故……」

 呟きには返答があった。

「あの花がどれほどの価値があるかも知らねぇクソガキが。見つけたら誰でも持って帰る代物だ。あの花を見ておいて、持ち帰ってもこれねぇ馬鹿を見物するだけだ。テメェは間抜けでも世界選手権一位を取れるに違いねぇ」
「……ご協力、頂けるのですか?」
「オレの時間は高い。ぐずぐずしてる暇があったら、さっさと馬に乗れ、クソガキ」

 モルカスが言い捨てるのに、理人は呆然と言葉を零した。

「モルカス様」
「《古の大地の賢者オールド・モルカス》だ」

 理人にはモルカスの言葉が瞬時に理解できず、言葉は変換されて口から落ちた。

「モルカス翁?」

 日本語ではない言語の、何かの変換がうまくいかなかった感覚がある。理人も口に出して誰かに説明は出来ない違和感だった。
 しかし、名を呼んだ理人に、初めて賢者が少し口の端を持ち上げて笑んだように見えた。

「私は……夢でも見ているのだろうか」

 そもそもこの世界にいること自体が、何かの夢なのか。
 夢と現実の境でふわりと浮いた理人に、リアンが彼の頭をほんの僅かな力を込めて、指の関節で叩いた。金色の目には苦笑が浮かんでいる。

「まだ腑抜けてんな。帰ったらちゃんと休め――クソジジイが勝手に、肥料づくりでも始めるだろうからな」

 理人やリアンを待つことなく、モルカスはロバの手綱を引いて、走り始める。リアンがそれを見て、「じいさんが年甲斐もなく張り切ってやがる」と軽口を叩いた後、理人に笑いかけた。

「さぁ、帰ろうぜ。あいつらが首を長くして、お前を待ってるだろうからな」











【第二章 黒い指先の賢者 完】

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