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第四章 【登壇せし王者】
6.
しおりを挟む「……まさか本当に、貴様が現れるとはな。レアンドリス」
「あの鳥を飛ばしてまで嘘はつかない。あんたも此処に来たってことは、俺の取引を飲んでもいいと思えたんだろ?」
二人の男の会話が、理人の頭上で繰り広げられる。
頭を蹴飛ばされた痛みと衝撃で、霞む視界を上げる。手の端が痺れ、上手く動かなかった。視界が白と黒の二色で染められ、色彩を失う。
風一つ吹かない森の中に、理人はひとり取り残された。
「リアン……?」
掠れる声で名を呼ぶと、リアンが思い出したように理人を見下ろす。愉快そうに唇の端を持ち上げて、彼は笑った。
「ははっ。まだ分かんないのか。俺は、兄上と取引したんだよ。お前を引き渡す代わりに、俺に自由をくれってな」
リアンの声は煌々と続く。静寂の森の中で、リアンの声だけが上機嫌であった。
「文に書いた通りだ、兄上。こいつを兄上と父上に引き渡す。こいつの処刑を見届けたら、俺は父上に陳情して王位継承権を捨てる。そして、二度とこの国には戻らない。それであんたの懸念も晴れるだろ? 王座には兄上が座ればいい。俺がいなくなれば、後継争いは起こらない」
「随分調子がいいな、レアンドリス」
対するネリウスは冷淡な瞳に深い疑惑を載せて、腹違いの弟を見やった。
しかし、以前、理人の目の前で行われた殺意の交錯よりは幾分も穏やかなやり取りに見える。
ネリウスはリアンの取引を飲んだのか。それはネリウスが感情よりは合意性を取る性質であるからか。それとも――そんな弟の取引すら、覆す何かの策を練っているからか。
「父と私を殺め、母君の仇を討つのではなかったのか」
「んー……まぁ、正直その気持ちはあったけどさ」
リアンは軽薄に笑った。
「ま、こいつも期待外れだし……兄上と父上を敵に回して生きてるのも、そろそろ限界かなぁって。俺は元々、王座は要らなかった。この国の人間がどうなろうと、俺には関係がない」
弟の言葉に、兄は秀麗な眉を顰める。本心の軽蔑がそこには浮かんでいた。
「見下げ果てた男だ。貴様がそこまで惜しむほどの価値のある命か」
「当然だ。俺は俺の命が惜しい。兄上に殺された母上が、俺に残してくれた最後の形あるものだからだ」
リアンの声は僅か硬くなった。金色の双眸が鋭い光を放ち、ネリウスもまた視線に力を込める。
理人は両者を見上げ、渇いた喉に唾を飲み込んで潤そうとした。
目の前で行われている光景が、理人の理解から遥か遠い。
「ヴォルクレインを……討つのではなかったのか?」
突如混ざった理人の言葉に、リアンは笑った。兄と同じ、酷薄な笑顔だった。
「まだそんなこと言ってやがる。父上を討つなんて、無理に決まってるだろ」
理人は呆然とリアンを見返す。今まで、このように笑うリアンを見たことが無かった。
理人の前で膝を折り、幼子にするように理人の頭を撫でる。無駄に優しい口調で、リアンは理人に言い聞かせた。
「お前、本気で王宮で父上と兄上と貴族に囲まれて、父上を討てると思ってたのか? 馬鹿だねぇ。俺はそんな博打はしねぇよ。それならお前を売って、俺の保身を図った方が建設的だと思わないか? 第一、俺が何でヴァルトリエ領に拘る必要がある。分かったか? お前はもう、死ぬしか道がない」
「……リアン」
愕然として名を呼ぶ。すると、リアンの隣に立つネリウスが理人を見下ろした。
漆黒の立ち姿に憐憫の情が湛えられている。彼は理人の腕を水流で拘束して、吐息を零した。
「哀れだな、ヴァルトリエ侯爵。忠言をしたであろう。貴殿は利用され、矢面に立たされているだけであると。レアンドリスは、貴殿が今宵見ているような軽薄な男だ。自分の命だけが惜しい。故に今まで敵討ちもせずに逃げ回り、逃げられぬと判断すれば自分惜しさに貴殿を私に差し出す。これが奴の本性だ」
「ネリウス殿下……」
ネリウスはリアンの手を払いのけ、理人を腕の力のみで引き上げ、立たせる。森の土を踏む自分の足が震えた。これは怒りか、悲しみか。うまく思考が回らない頭に、ネリウスの声が割り込んでくる。それは何故か、リアンよりも優しい声音であるように、理人には聞こえた。
「案ずるな。死は責を果たす最大の手段だ」
周囲には騎士の姿と、かつて理人の乗った馬車の姿が見える。また、そこまで引き立てられるに違いない。逃げ道を探しても見つからず、ましてやリアンとネリウスを相手に逃げて生き残る道も、理人には見つけられなかった。
ネリウスは本気で理人の心を慰めるように、言葉を紡ぐ。
「私は死の覚悟を何よりも重んじる。貴殿の死で、領民と領地には手をださぬよう父に進言してやろう」
言葉が終わった時、理人は首を横に振った。リアンを今は、見はしない。本来、理人が戦うべきはリアンでもネリウスでもない。ヴォルクレインその人だ。
手を失ったとしても、たった一人ででも、示さなければならないものがある。
それがバルナバスとリーブに向けられる、理人のたったひとつの残った道だ。
「いや……」
森の木々がざわめく。お前には風が味方をしている。そう教えたリアンの顔が脳裏に浮かぶ。
ぐっと強く前を見据え、理人は告げた。
「誰かに許可を貰わなければ志を貫けぬ者の言葉に、私は信任をおかない。お前たちは結局、王の採択を仰ぐしか脳がない無能だ」
ネリウスもリアンも、瞬時、口を開かなかった。
理人は返答を待たず、足を踏み出して馬車へと向かう。二人の回答など、理人にとっては心底どうでもよかった。無礼を働きどれだけ痛めつけられようと、知ったことではない。
やるべきを為すまで。その思いで此処まで来た。誰に何を邪魔されようと、もう他を振り返ることはない。
「私は領民を守る。その為に此処に居る――リアンが何を画策しようと、私には関係がない。そんなことはどうでもいい」
理人はリアンに視線をくれてやって、心の底から言い放った。
周囲の木々が一際大きく揺れ、千切れた葉が舞い上がり地面に落ちる。中心にある青い目は、ぶれることのない芯を示す。
「お前は常に命を惜しんでいた。これからも好きに生きるといい。私は、お前の行動くらいで私のなすべきを見失いはしない。命などいつでも捨てられる。だが、それは死で責を果たすではない。私が責務を果たす先で、死があるのだ」
「てめぇ……」
リアンの表情に怒気が含まれたが、理人はもう意識に止めなかった。ネリウスに視線を戻すと、彼は秀麗な顔のまま理人の前で馬車に手を向ける。
「……乗るがいい、ヴァルトリエ侯爵。王宮までお連れしよう――レアンドリス、お前もだ」
◇
理人が気が付いた時、馬車の中ではネリウスとリアンが正面に向き合う形で座っていた。
ネリウスの隣に腰かけたまま、気が付けば眠っていたらしい。以前も同じような状況があったと理人が振り返った時、横を見たネリウスが口元だけで笑んだ。
口調はまさに、おかしな者を見るそれである。実際、ネリウスは自らの隣で寝こける侯爵を奇異に感じていた。ヴァルトリエ侯爵は変なところで大胆である。
「貴殿はよく寝るな。これから死を迎えるという状況で、呑気なものだ」
「私も不思議だ。こんな状況でも、人は眠れるのだな」
絶望に押しつぶされて眠れないという繊細さを、いつしか理人は捨て去ってしまっていたようだ。不正が発覚したあの夜から、日本では眠れない日も多かったというのに。
破産が報道される日は、さすがに一睡も出来なかった。
前回との相違は、今のこの状況を理人は後悔していないという点だろう。そしてまだ、終わっていない。
「馬車の振動は心地いい。昔を思い出す」
すると、ネリウスの前に座しているリアンが怪訝な顔をした。
「なんだ、お前……前に兄上に連行されたときも寝てたのかよ。そういや、俺の馬の上でも寝てたな」
「疲れていたからな」
「だからって、普通寝るか? 俺はともかくとしても、こいつに連れられているときに」
リアンが何故か小言を言うのに、理人は首を背けて拒否した。聞き飽きたのもあれば、リアンが言うなと思う気持ちもある。逃げるように背けた視線の先、窓は閉め切られており、外の景色を見ることは叶わない。今日もまた奴隷たちが働かされているのかと思えば、理人の目に陰が生じた。
すると幾ばくもしないうちに馬車の車輪の回転が遅くなり、目的地に辿り着いて止まる。
立ち上がる準備のため、ネリウスが組んでいた脚を優美な仕草で元に戻した。
「あの時は、私がヴァルトリエ侯爵の意識を誤って落とした。貴重な時間を無駄にしたな」
言わなくてもいい内容を告げたネリウスに、リアンが眉を顰める。
「それを聞いた上で、もう一回兄上の横で無防備に寝れるお前ってどっか狂ってるぜ。危機管理能力ってやつを欠片も持ち合わせていないのか?」
「故に、レアンドリス如きに騙されるのであろう」
さらりと口を挟んだ兄に、弟が顔を不機嫌にして応答しようとする。その光景に理人はうんざりとして溜息を吐いた。理人に緊張感がないと言うが、この二人も二人で緊張などしていない。
今から王宮に入るというのに、二人の問答を聞かされるのは御免だ。
「お前たちは、最初から私の対峙すべき相手ではない。勝手に兄弟喧嘩をしていればいいが、私には考えごとがある。少し、黙っていてくれ」
馬車の扉が開かれる。再度対峙した大きな扉を構える王宮を見上げ、理人は口を引き締めた。
――ここが最後の戦いの場になる。
無機質な鉄と聳え立つ無言の王宮の姿を、理人はただじっと見つめていた。
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