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事務官がヴィンセントを追いかける初動を遅らせたのは、腕の中の手順書を確認しているうちに、さっさとヴィンセントが一人で話を終えて去ったからだった。それはヴィンセントにとって知る由もない。
ただ彼の中には、うまく終わらせてやったという自認を持っていたところを台無しにされたという不快感が頭をもたげていた。達成感に水を差され、ヴィンセントは渋々と振り返る。
「なんだ、今更……!」
今更も何も、交渉はつい先ほどのことだ。話の終わらないうちから勝手な離席を決めたのはヴィンセントだったのだが、もちろん事務官はそのような指摘をすることはなかった。
「失礼いたしました。ヴィンセント様、こちらにサインをいただけますか。備品や部屋の貸出については、後ほど責任の所在を明確にするための署名が必要な規則となっております」
差し出された台帳とペンを見つめ、ヴィンセントは露骨に顔を顰めた。サインをすれば、自分が独断でこの部屋を要求したという証拠が形として残ってしまう。
(……不味いな。文字に残れば、言い逃れができなくなる。エルアナの目に触れれば、またあの冷ややかな声で問い詰められることになるだろう……)
ヴィンセントは躊躇し、事務官の手元にあるペンをすぐには受け取らなかった。けれどもここでサインを拒めば、せっかく確保したリリアンのための部屋が白紙に戻ってしまうかもしれない。
馬車の外で待たせているリリアンの顔が浮かぶ。彼女は今も、自分が上手く事を運ぶということを信じて待っているのに。
(……いや、式はもう明日なんだ。強行してしまえば、終わった後でなんとでも言えるはず……今さら部屋の変更がなんだというんだ)
自分に都合のいい理屈を積み上げ、ヴィンセントは強引に不安を押し殺した。
(当日になってしまえばエルアナだって認めざるを得ないだろう。病の従妹を救うためだったと言えば、父上だって分かってくれるに違いない……)
「……ふん。書けばいいんだろ」
ただ彼の中には、うまく終わらせてやったという自認を持っていたところを台無しにされたという不快感が頭をもたげていた。達成感に水を差され、ヴィンセントは渋々と振り返る。
「なんだ、今更……!」
今更も何も、交渉はつい先ほどのことだ。話の終わらないうちから勝手な離席を決めたのはヴィンセントだったのだが、もちろん事務官はそのような指摘をすることはなかった。
「失礼いたしました。ヴィンセント様、こちらにサインをいただけますか。備品や部屋の貸出については、後ほど責任の所在を明確にするための署名が必要な規則となっております」
差し出された台帳とペンを見つめ、ヴィンセントは露骨に顔を顰めた。サインをすれば、自分が独断でこの部屋を要求したという証拠が形として残ってしまう。
(……不味いな。文字に残れば、言い逃れができなくなる。エルアナの目に触れれば、またあの冷ややかな声で問い詰められることになるだろう……)
ヴィンセントは躊躇し、事務官の手元にあるペンをすぐには受け取らなかった。けれどもここでサインを拒めば、せっかく確保したリリアンのための部屋が白紙に戻ってしまうかもしれない。
馬車の外で待たせているリリアンの顔が浮かぶ。彼女は今も、自分が上手く事を運ぶということを信じて待っているのに。
(……いや、式はもう明日なんだ。強行してしまえば、終わった後でなんとでも言えるはず……今さら部屋の変更がなんだというんだ)
自分に都合のいい理屈を積み上げ、ヴィンセントは強引に不安を押し殺した。
(当日になってしまえばエルアナだって認めざるを得ないだろう。病の従妹を救うためだったと言えば、父上だって分かってくれるに違いない……)
「……ふん。書けばいいんだろ」
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