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本編
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部屋に戻った私が、スーツケースに当座の物を詰めこんでいると、ノックもなしに部屋に飛び込んでくる音があった。
「ユーファ姉さま!」
6歳になる弟のクラウディオだった。私が父似なら、クラウディオは母親似で女の子のような顔をしている。私も母に似れば可憐な美少女になれたかもなと、クラウディオを見るたびよく思う。
「姉さま、何してるの? どこかいっちゃうの?」
旅支度を目ざとく見つけた彼は、途端に泣きそうな顔になった。
「えぇ、ちょっと出かけてくるわね。お母様と一緒にいい子にしてるのよ」
「どこに行くの? ねぇ、いつ帰ってくる?」
「行くのは王宮よ。すごいでしょ。帰ってくるのは……」
そこまで口にして、そういえばいつまでの契約になるのか聞いていなかったなと思った。王太子殿下の魔力を吸収する仕事だと言っていたけれど……もしかして一生涯の話なのだろうか。それならそれで穀潰しの私が一生家にお金を入れることができるのだからいいことだ。
「帰りはわからないけれど……でも大丈夫よ」
「嫌だ! 姉さま、行かないで!」
年齢の割に聡い子だ。今の緊急事態を敏感に察知しているか、私の腰に抱きついて泣き始めた。
「こら、泣かないの。私が出かけたら、この家にはあなたとお母様だけになるのよ。あなたがしっかりしてお母様を守ってくれなきゃダメじゃない」
「嫌だよ……だってユーファ姉さまはずっとこのおうちにいるんでしょう? お父様もお母様もずっとそう言ってたじゃないか!」
「そうね、そんなこともあったわね」
けれどその父は死に、母は病床にある。現実は残酷なまでに移り変わるから、私も変わらなければならない。
「この家はあなたのものよ、クラウディオ。そして私は出ていく。それが普通なの」
あれほど出ていくのが嫌だったのが嘘のように、晴れ晴れとした気持ちになっていた。今ここで出ていかなければ、私は一生涯役立たずのままだ。
少しでも役に立てるのならーーー家族のために。
私は弟をぎゅっと抱きしめた後緩やかに引き剥がし、スーツケースの鍵を閉めた。
泣き叫ぶ弟を執事が抱きとめ、泣くことが許されぬ母は蒼白な表情のまま私を見送ってくれた。王宮から遣わされた馬車は見た目はシンプルだが、中身は物語に出てくるお姫様の馬車みたいに豪華だった。
バルト伯爵はお金のほか、領地の経営の面倒を見てくれる秘書官と母のための医者の派遣まで取り決めてくれた。伝令魔法で情報を王宮の事務官へと飛ばしてくれたようで、1週間もすればリブレ領に待ち望んだ支援の人手が届くことになる。
契約書にサインをする段階で、私は自分の契約期間について知りうることになった。
「殿下が18の成人におなりあそばすまで、ですか?」
「左様。この魔力の暴走は12歳頃から始まるが、魔力のコントロール方法を身につけ、身体が成人に達する頃には治るようなのだ。イゴール王や過去の王族の症状を記録したカルテが王宮に残されているのだが、どの記述にもそうあるから、例外はないと見ている。つまりそなたの契約期間は、殿下が成人するまでとなる」
「……承知いたしました」
もしかしたら一生の食い扶持稼ぎになるかもと思ったが、そうは問屋が卸さないようだ。6年働けばいくらの稼ぎになるだろうと、頭の中で試算する。クラウディオに迷惑をかけないようにしたいから、できるだけたくさん稼ぎたかったが、もっといい方法として、自分が自活できるだけのお金があればよいのだということに気がついた。
「あの、もしも、なのですが、そのお役目が終わった後も働き続けることはできないのでしょうか。もちろん、王太子殿下の側でなくてかまいませんし、王宮でなくてもかまいません。魔力なしの私でも働ける場所を紹介していただけると助かるのですが……」
「ふむ。不可能ではないが……ただ、そのような心配は無用と思われるぞ。無事勤め上げた暁にはそなたに謝礼金が与えられる可能性がある。過去には名誉爵位や生涯年金を得た者もいたようだからな」
名誉爵位とは一代限りに与えられる爵位のことで、こちらは女性でも受け取ることができる。それに加えて生涯年金とあれば、その金額にもよるが、ひとりで生きていく大いなる助けとなりそうだ。
「それに、王家の斡旋で婚姻を結んだ者もいるそうだ。そなたが望めば、そうした未来も選べるやもしれぬぞ」
婚姻、という言葉に背筋が伸びた。誰かと結婚するなど私には不可能だと思っていた。今回の役目は、そんな不可能までを可能にしてしまうかもしれないということだ。改めてことの大きさを知る。
私からすれば夢のような未来。けれど、それを受け取るのはなんとも恐れ多い。
「私はただ、ひとり生きていけるだけの術をいただければ、それで十分にございます」
膝に置いた両の手ををじっと見つめながら、そう絞り出す。分不相応な望みは抱くまい。
「ふむ。まぁそれも、そなたが立派に勤め上げることができるかどうかにかかっておるからな。先のことは今はまだ考える必要はないだろう」
伯爵の言う通りだった。今はこの荒れ果てた領地と、頼る縁もない家を立て直すのが先決だ。
手早くサインを済ませ、あまりの急展開に口も挟めぬほど憔悴した母にも後見人としてのサインを貰い、使用人たちにも別れを告げ、私は生まれ育ったリブレ領を後にした。
「ユーファ姉さま!」
6歳になる弟のクラウディオだった。私が父似なら、クラウディオは母親似で女の子のような顔をしている。私も母に似れば可憐な美少女になれたかもなと、クラウディオを見るたびよく思う。
「姉さま、何してるの? どこかいっちゃうの?」
旅支度を目ざとく見つけた彼は、途端に泣きそうな顔になった。
「えぇ、ちょっと出かけてくるわね。お母様と一緒にいい子にしてるのよ」
「どこに行くの? ねぇ、いつ帰ってくる?」
「行くのは王宮よ。すごいでしょ。帰ってくるのは……」
そこまで口にして、そういえばいつまでの契約になるのか聞いていなかったなと思った。王太子殿下の魔力を吸収する仕事だと言っていたけれど……もしかして一生涯の話なのだろうか。それならそれで穀潰しの私が一生家にお金を入れることができるのだからいいことだ。
「帰りはわからないけれど……でも大丈夫よ」
「嫌だ! 姉さま、行かないで!」
年齢の割に聡い子だ。今の緊急事態を敏感に察知しているか、私の腰に抱きついて泣き始めた。
「こら、泣かないの。私が出かけたら、この家にはあなたとお母様だけになるのよ。あなたがしっかりしてお母様を守ってくれなきゃダメじゃない」
「嫌だよ……だってユーファ姉さまはずっとこのおうちにいるんでしょう? お父様もお母様もずっとそう言ってたじゃないか!」
「そうね、そんなこともあったわね」
けれどその父は死に、母は病床にある。現実は残酷なまでに移り変わるから、私も変わらなければならない。
「この家はあなたのものよ、クラウディオ。そして私は出ていく。それが普通なの」
あれほど出ていくのが嫌だったのが嘘のように、晴れ晴れとした気持ちになっていた。今ここで出ていかなければ、私は一生涯役立たずのままだ。
少しでも役に立てるのならーーー家族のために。
私は弟をぎゅっと抱きしめた後緩やかに引き剥がし、スーツケースの鍵を閉めた。
泣き叫ぶ弟を執事が抱きとめ、泣くことが許されぬ母は蒼白な表情のまま私を見送ってくれた。王宮から遣わされた馬車は見た目はシンプルだが、中身は物語に出てくるお姫様の馬車みたいに豪華だった。
バルト伯爵はお金のほか、領地の経営の面倒を見てくれる秘書官と母のための医者の派遣まで取り決めてくれた。伝令魔法で情報を王宮の事務官へと飛ばしてくれたようで、1週間もすればリブレ領に待ち望んだ支援の人手が届くことになる。
契約書にサインをする段階で、私は自分の契約期間について知りうることになった。
「殿下が18の成人におなりあそばすまで、ですか?」
「左様。この魔力の暴走は12歳頃から始まるが、魔力のコントロール方法を身につけ、身体が成人に達する頃には治るようなのだ。イゴール王や過去の王族の症状を記録したカルテが王宮に残されているのだが、どの記述にもそうあるから、例外はないと見ている。つまりそなたの契約期間は、殿下が成人するまでとなる」
「……承知いたしました」
もしかしたら一生の食い扶持稼ぎになるかもと思ったが、そうは問屋が卸さないようだ。6年働けばいくらの稼ぎになるだろうと、頭の中で試算する。クラウディオに迷惑をかけないようにしたいから、できるだけたくさん稼ぎたかったが、もっといい方法として、自分が自活できるだけのお金があればよいのだということに気がついた。
「あの、もしも、なのですが、そのお役目が終わった後も働き続けることはできないのでしょうか。もちろん、王太子殿下の側でなくてかまいませんし、王宮でなくてもかまいません。魔力なしの私でも働ける場所を紹介していただけると助かるのですが……」
「ふむ。不可能ではないが……ただ、そのような心配は無用と思われるぞ。無事勤め上げた暁にはそなたに謝礼金が与えられる可能性がある。過去には名誉爵位や生涯年金を得た者もいたようだからな」
名誉爵位とは一代限りに与えられる爵位のことで、こちらは女性でも受け取ることができる。それに加えて生涯年金とあれば、その金額にもよるが、ひとりで生きていく大いなる助けとなりそうだ。
「それに、王家の斡旋で婚姻を結んだ者もいるそうだ。そなたが望めば、そうした未来も選べるやもしれぬぞ」
婚姻、という言葉に背筋が伸びた。誰かと結婚するなど私には不可能だと思っていた。今回の役目は、そんな不可能までを可能にしてしまうかもしれないということだ。改めてことの大きさを知る。
私からすれば夢のような未来。けれど、それを受け取るのはなんとも恐れ多い。
「私はただ、ひとり生きていけるだけの術をいただければ、それで十分にございます」
膝に置いた両の手ををじっと見つめながら、そう絞り出す。分不相応な望みは抱くまい。
「ふむ。まぁそれも、そなたが立派に勤め上げることができるかどうかにかかっておるからな。先のことは今はまだ考える必要はないだろう」
伯爵の言う通りだった。今はこの荒れ果てた領地と、頼る縁もない家を立て直すのが先決だ。
手早くサインを済ませ、あまりの急展開に口も挟めぬほど憔悴した母にも後見人としてのサインを貰い、使用人たちにも別れを告げ、私は生まれ育ったリブレ領を後にした。
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