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決意の徒 第六章・仕手(2)
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立国会及び勅使河原の個人色の強い宗教団体である勅志会が、その資産を株式で運用しているのは周知の事実だった。そこで、手掛けている銘柄の反対の相場を張る、つまり相手が買いであれば売り、売りであれば買いを手掛けるのである。しかし、それでは大きな損失を与えるまでには手間暇が掛かってしまう。そこで手っ取り早いのは「仕手戦」ということになった。
「仕手戦に持ち込もうと思います」
森岡が決然と言い放った。
「勅使河原に仕手戦を挑んで勝てる勝算はあるのか」
松尾の口調は疑念を含んでいた。それもそのはずで、立国会と勅志会を合わせたの総資産は、少なく見積もっても三兆円を上回ると目されていた。その大半は不動産価値であるが、現金と株式や債券といった現金性の資産も五千億円近くあった。
むろん、いかに会長の勅使河原といえども、独断でその全てを仕手戦に投入することはできないが、二割の一千億円程度であれば可能と見なければならない。松尾からの融資に成功しても実に十倍の多寡である。仕手戦は、資金量の豊富な方が有利という常識に立てば無謀な挑戦であった。
「ご懸念は重々承知しております」
森岡は目を逸らさずに答えた。
「何か策があるようだの」
「まだおぼろげですが、会長に融資をして頂ければ、必ずや」
勝利して見せると言った。
森岡の目に決意の程を確かめた松尾が、
「わしは天真宗内の権力闘争になど全く興味はないが、お前には興味がある。とはいえ、わしも商売人じゃでの、損をするのが一番嫌いじゃ」
と言ったところで厳しい顔つきに変わった。
「百億は貸してやろう。期限は、玉(ぎょく)拾いの時間もあるじゃろうから、そうじゃの、二年で良かろう。利息は年率三パーセントだ。ただし、期日までに返済できなかったときは、お前の身柄を三年間拘束する」
「……」
「三年間、わしとこで無給で働き、返済不足分を儲けさせろ」
と言った松尾の顔が緩んだ。
「もっともお前のことじゃ、一年も掛からんじゃろうがの」
「承知しました。宜しくお願いします」
森岡は立ち上がって深く腰を折った。
玉拾いとは株の仕込みのことである。
仕手戦を仕掛けるためには、一定数の「玉」、つまり株を手にしておく必要がある。しかし、いきなり巨額の資金で買い求めれば、株価は高騰するし、正体も明かすことになる。
したがって、長い時を掛け、あるときは数万株単位、また出来高によっては数千株単位で地道に安値で拾って行くのである。
松尾は秘書に命じて、松尾電機現社長の日下部(くさかべ)と常務の松尾正博(まさひろ)を呼んだ。
正博は正之助の長男で、日下部の後の社長と目されている人物だった。
会長室にやって来た二人に松尾が森岡を紹介した。
「この方が噂の森岡さんですか」
「松尾技研と業務提携する会社ですね」
正博と日下部がそれぞれ言った。
「今後、宜しく御指導下さい」
森岡は謙ってお辞儀をした。
「正博、わし個人の金、百億を彼に貸すことにした」
「そうですか」
正博は少しの動揺もなく言った。
彼は、父の破天荒な人生を知っている。桁外れの商売上手なのを知っている。また、滅多なことでは他人に金を貸さない、言わば吝嗇(ケチ)な人物だということも知っている。その父が百億円などという大金をこの若者に貸すという。それはどういう意味なのか瞬時に理解したのである。
「担保はの、ウイニットの四千株じゃ。担保としては不足だが、返済ができない場合は高技術の会社が手に入るでな、悪い話ではないぞ。それに、彼には三年間無給で働いてもらうことで話が付いた」
「森岡さんが松尾電器(うち)で、ですか」
日下部が驚いたように訊いた。
「そうじゃ。そこで君らに紹介したのじゃ。万が一のときは、森岡君を然るべき職に就かせ、大いに稼がせると良い」
「その折は、宜しくお願いします」
森岡は深刻な顔つきで言った。
松尾は、日下部と正博を退室させると、
「だがな、森岡君。わしとて榊原さんや福地さんの恨みを買いとうはない。何ぞ、困ったことがあったら、遠慮のう言うてくれや」
と微笑みながら言った。
「御厚意、感謝します」
と、森岡はただただ頭を垂れた。
「仕手戦に持ち込もうと思います」
森岡が決然と言い放った。
「勅使河原に仕手戦を挑んで勝てる勝算はあるのか」
松尾の口調は疑念を含んでいた。それもそのはずで、立国会と勅志会を合わせたの総資産は、少なく見積もっても三兆円を上回ると目されていた。その大半は不動産価値であるが、現金と株式や債券といった現金性の資産も五千億円近くあった。
むろん、いかに会長の勅使河原といえども、独断でその全てを仕手戦に投入することはできないが、二割の一千億円程度であれば可能と見なければならない。松尾からの融資に成功しても実に十倍の多寡である。仕手戦は、資金量の豊富な方が有利という常識に立てば無謀な挑戦であった。
「ご懸念は重々承知しております」
森岡は目を逸らさずに答えた。
「何か策があるようだの」
「まだおぼろげですが、会長に融資をして頂ければ、必ずや」
勝利して見せると言った。
森岡の目に決意の程を確かめた松尾が、
「わしは天真宗内の権力闘争になど全く興味はないが、お前には興味がある。とはいえ、わしも商売人じゃでの、損をするのが一番嫌いじゃ」
と言ったところで厳しい顔つきに変わった。
「百億は貸してやろう。期限は、玉(ぎょく)拾いの時間もあるじゃろうから、そうじゃの、二年で良かろう。利息は年率三パーセントだ。ただし、期日までに返済できなかったときは、お前の身柄を三年間拘束する」
「……」
「三年間、わしとこで無給で働き、返済不足分を儲けさせろ」
と言った松尾の顔が緩んだ。
「もっともお前のことじゃ、一年も掛からんじゃろうがの」
「承知しました。宜しくお願いします」
森岡は立ち上がって深く腰を折った。
玉拾いとは株の仕込みのことである。
仕手戦を仕掛けるためには、一定数の「玉」、つまり株を手にしておく必要がある。しかし、いきなり巨額の資金で買い求めれば、株価は高騰するし、正体も明かすことになる。
したがって、長い時を掛け、あるときは数万株単位、また出来高によっては数千株単位で地道に安値で拾って行くのである。
松尾は秘書に命じて、松尾電機現社長の日下部(くさかべ)と常務の松尾正博(まさひろ)を呼んだ。
正博は正之助の長男で、日下部の後の社長と目されている人物だった。
会長室にやって来た二人に松尾が森岡を紹介した。
「この方が噂の森岡さんですか」
「松尾技研と業務提携する会社ですね」
正博と日下部がそれぞれ言った。
「今後、宜しく御指導下さい」
森岡は謙ってお辞儀をした。
「正博、わし個人の金、百億を彼に貸すことにした」
「そうですか」
正博は少しの動揺もなく言った。
彼は、父の破天荒な人生を知っている。桁外れの商売上手なのを知っている。また、滅多なことでは他人に金を貸さない、言わば吝嗇(ケチ)な人物だということも知っている。その父が百億円などという大金をこの若者に貸すという。それはどういう意味なのか瞬時に理解したのである。
「担保はの、ウイニットの四千株じゃ。担保としては不足だが、返済ができない場合は高技術の会社が手に入るでな、悪い話ではないぞ。それに、彼には三年間無給で働いてもらうことで話が付いた」
「森岡さんが松尾電器(うち)で、ですか」
日下部が驚いたように訊いた。
「そうじゃ。そこで君らに紹介したのじゃ。万が一のときは、森岡君を然るべき職に就かせ、大いに稼がせると良い」
「その折は、宜しくお願いします」
森岡は深刻な顔つきで言った。
松尾は、日下部と正博を退室させると、
「だがな、森岡君。わしとて榊原さんや福地さんの恨みを買いとうはない。何ぞ、困ったことがあったら、遠慮のう言うてくれや」
と微笑みながら言った。
「御厚意、感謝します」
と、森岡はただただ頭を垂れた。
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