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修羅の道 第四章・家門(3)
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灘屋で休息した後、洋介と茜は菩提寺である園方寺(えんぽうじ)へ参拝した。
坂根と南目も同行した。
園方寺は、鎌倉後期に建立された禅宗系道臨(どうりん)宗の古刹で、村の南東の外れにあった。 別名を躑躅(つつじ)寺と呼ばれるほど、春には境内の一面に種々の庭躑躅が咲き誇り、来訪者の目の保養となっている。
この界隈は大変に信心深い地域で、浜浦の人々もそうであった。その証拠というのでもないが、園方寺に隣接して、大日如来を祭った『大日堂』という立派なお堂もあった。
室町時代の前期、浜浦湾に流れ着いた仏像を漁師が見つけ、園方寺に持ち込んだところ、立派な大日如来像とわかり、村人から寄進を募って大日堂を建立したのである。
密教における最高神である大日如来は、無限宇宙に周遍する超越者で、万物を生成化育する全一者とされている。つまり代表的な如来である釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来や観音菩薩、弥勒菩薩 、文殊菩薩、地蔵菩薩といった菩薩も全て大日如来の化身だということである。
また、密教は一宗派というより教えの学び方であるから、浜浦においても道臨宗の園方寺と密教の大日堂が並存できるのである。
神社にしても出雲大社の流れを汲む由緒正しき古社があり、他にも海の神・恵比寿様を祭った祠が南北に二ヶ所あった。千五百人ほどの小さな村ながら、村民は営々としてそれらを今日まで守り通しているのである。
山門を潜って本堂を目にしたときだった。
突然茜が、
「あっ!」
と小さく叫んだ。
「どうしたんや、茜」
「私、幼い頃このお寺に来たことがあるわ」
茜の目は爛々と輝いていた。
「なんやて!」
衝撃の一言だった。その刹那、彼女の言葉が刺激となったのか、森岡の脳裡にもある夏のシーンが蘇った。
「まさか、あのときの女の子が茜だったのか」
何たる奇縁に、森岡は茫然として茜を見つめた。
この園方寺で、また一つ奇しき赤い糸が手繰られることになった。
それは森岡洋介が十二歳の秋だった。山尾茜は五歳ということになる。
その日、洋介は園方寺から呼び出しを受けた。祖父洋吾郎、父洋一を相次いで亡くし、失意と落胆のどん底いた洋介を園方寺の住職は度々寺に呼んで慰めていた。
灘屋は園方寺の最大の支援者だったので、さしずめ後見役を買って出ていたのだろう。
ともかく洋介は園方寺に出向いた。
庫裡の居間に通された彼は、そこで見知らぬ女性の背に隠れ、恥ずかしげに様子を伺っている少女を見た。おかっぱ風の髪型に、クリクリっとした大きな目。まるでフランス人形のように愛らしい少女だった。洋介はフランス人形など一度も見たことはなかったが、なぜだか少女の髪が黄金色に輝いていたとの記憶が残っていた。
「総領さんや。この女子(こ)と遊んでやって下さらんかの」
住職が優しげな眼差しで言った。
今になって思えば、没落の運命にある権勢家の総領と、的屋の親分を父を持つ娘。住む世界は違うが、互いに尋常ならざる未来が待ち受けているであろう二人に対する憐憫の情だったのかもしれない。
その慈愛に満ちた語調に、自身の環境と重ね合わせ、少女に親近感を抱いた洋介は、住職の言い付けどおり彼女の相手をしようとした。
だが人見知りをする性格なのか、警戒をしているのか、少女はなかなか洋介に打ち解けなかった。トランプ、おはじき、けん玉……洋介は少女が好みそうな遊びに誘うが、彼女はなかなか乗り気にならなかった。
閉口した洋介は、何気に少女の膝頭を擽った。
すると、少女は逃げる仕草をしながらも、クスっとはにかんだ。少女の反応に、今度は逃げ腰の少女の足の裏を擽ってみた。少女は、きゃっと悲鳴とも歓声とも付かぬ声を上げた。愛くるしい笑みが零れていた。
そこから二人の距離は一気に縮まった。
広い庭に出て鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んだり、村中を散歩したりもした。少女は人見知りどころか、実はやんちゃな子供だった。散策の途中で、疲れたと言って洋介の背におぶられると、伸びをしたり、後方に仰け反ったりして、地面に落としそうになる洋介の胆を潰した。
夕刻になり、洋介が辞去を告げると、洋介の足に纏わり付いて離れず、泣いて抗議した。洋介は、やむなく園方寺で夕食を取ったばかりか、とうとう宿泊までする羽目になった。それほど、少女は洋介に懐いたのである。
洋介は少女が寝付いたのを見届けてから、迎えに来た祖母ウメと帰宅した。
翌朝、少女は泣きながら洋介を探し回っていたという。
「そうか、そうか、あのときの少女が茜だったのか」
「ごめん。私は洋介さんのことまでは憶えていないの」
「そりゃあ、無理もない。まだ五歳だったからな」
「でも、この肌に感じる空気感と、誰かと遊んだおぼろげな記憶は残っている」
「うん、うん」
と、洋介は何度も頷いた。
広島の的屋は、中国地方一円を営業活動の範囲としている。
島根には出雲大社をはじめとして古社が多く、その一つである浜浦神社の大祭には松江や米子からも参拝客が訪れていた。その日、秋の大祭に合わせて出張してきた父に、旅行がてら妻と茜も同伴していたのである。この頃は夫婦仲も良かったということなのだろう。
当時の浜浦は、出雲大社への参拝客が、行きまたは帰りに立ち寄ることが多く、旅館、民宿はそれなりに整っていた。だが、園方寺本堂の裏手の三十畳敷きの大広間にはキッチン、トイレ、風呂が完備しており、旅館の三人分の料金を布施すれば十人が宿泊できた。観光ではなく商売にやって来た的屋一家にしてみれば、願っても無い宿泊場所だったのである。
「実はロンドで初めて出会ったとき、茜の眼差しに懐かしを感じていたんだ」
「あら、それじゃあなぜそのことを言わなかったの」
咎めるように言った茜に、
「まるで陳腐な口説き文句のようだろう。とても言えやしなかった」
洋介は苦笑いした。
「洋介さんらしいわね」
と、茜が微笑んだとき、
「何やら、楽しげですな」
本堂から声が掛かった。
坂根と南目も同行した。
園方寺は、鎌倉後期に建立された禅宗系道臨(どうりん)宗の古刹で、村の南東の外れにあった。 別名を躑躅(つつじ)寺と呼ばれるほど、春には境内の一面に種々の庭躑躅が咲き誇り、来訪者の目の保養となっている。
この界隈は大変に信心深い地域で、浜浦の人々もそうであった。その証拠というのでもないが、園方寺に隣接して、大日如来を祭った『大日堂』という立派なお堂もあった。
室町時代の前期、浜浦湾に流れ着いた仏像を漁師が見つけ、園方寺に持ち込んだところ、立派な大日如来像とわかり、村人から寄進を募って大日堂を建立したのである。
密教における最高神である大日如来は、無限宇宙に周遍する超越者で、万物を生成化育する全一者とされている。つまり代表的な如来である釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来や観音菩薩、弥勒菩薩 、文殊菩薩、地蔵菩薩といった菩薩も全て大日如来の化身だということである。
また、密教は一宗派というより教えの学び方であるから、浜浦においても道臨宗の園方寺と密教の大日堂が並存できるのである。
神社にしても出雲大社の流れを汲む由緒正しき古社があり、他にも海の神・恵比寿様を祭った祠が南北に二ヶ所あった。千五百人ほどの小さな村ながら、村民は営々としてそれらを今日まで守り通しているのである。
山門を潜って本堂を目にしたときだった。
突然茜が、
「あっ!」
と小さく叫んだ。
「どうしたんや、茜」
「私、幼い頃このお寺に来たことがあるわ」
茜の目は爛々と輝いていた。
「なんやて!」
衝撃の一言だった。その刹那、彼女の言葉が刺激となったのか、森岡の脳裡にもある夏のシーンが蘇った。
「まさか、あのときの女の子が茜だったのか」
何たる奇縁に、森岡は茫然として茜を見つめた。
この園方寺で、また一つ奇しき赤い糸が手繰られることになった。
それは森岡洋介が十二歳の秋だった。山尾茜は五歳ということになる。
その日、洋介は園方寺から呼び出しを受けた。祖父洋吾郎、父洋一を相次いで亡くし、失意と落胆のどん底いた洋介を園方寺の住職は度々寺に呼んで慰めていた。
灘屋は園方寺の最大の支援者だったので、さしずめ後見役を買って出ていたのだろう。
ともかく洋介は園方寺に出向いた。
庫裡の居間に通された彼は、そこで見知らぬ女性の背に隠れ、恥ずかしげに様子を伺っている少女を見た。おかっぱ風の髪型に、クリクリっとした大きな目。まるでフランス人形のように愛らしい少女だった。洋介はフランス人形など一度も見たことはなかったが、なぜだか少女の髪が黄金色に輝いていたとの記憶が残っていた。
「総領さんや。この女子(こ)と遊んでやって下さらんかの」
住職が優しげな眼差しで言った。
今になって思えば、没落の運命にある権勢家の総領と、的屋の親分を父を持つ娘。住む世界は違うが、互いに尋常ならざる未来が待ち受けているであろう二人に対する憐憫の情だったのかもしれない。
その慈愛に満ちた語調に、自身の環境と重ね合わせ、少女に親近感を抱いた洋介は、住職の言い付けどおり彼女の相手をしようとした。
だが人見知りをする性格なのか、警戒をしているのか、少女はなかなか洋介に打ち解けなかった。トランプ、おはじき、けん玉……洋介は少女が好みそうな遊びに誘うが、彼女はなかなか乗り気にならなかった。
閉口した洋介は、何気に少女の膝頭を擽った。
すると、少女は逃げる仕草をしながらも、クスっとはにかんだ。少女の反応に、今度は逃げ腰の少女の足の裏を擽ってみた。少女は、きゃっと悲鳴とも歓声とも付かぬ声を上げた。愛くるしい笑みが零れていた。
そこから二人の距離は一気に縮まった。
広い庭に出て鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んだり、村中を散歩したりもした。少女は人見知りどころか、実はやんちゃな子供だった。散策の途中で、疲れたと言って洋介の背におぶられると、伸びをしたり、後方に仰け反ったりして、地面に落としそうになる洋介の胆を潰した。
夕刻になり、洋介が辞去を告げると、洋介の足に纏わり付いて離れず、泣いて抗議した。洋介は、やむなく園方寺で夕食を取ったばかりか、とうとう宿泊までする羽目になった。それほど、少女は洋介に懐いたのである。
洋介は少女が寝付いたのを見届けてから、迎えに来た祖母ウメと帰宅した。
翌朝、少女は泣きながら洋介を探し回っていたという。
「そうか、そうか、あのときの少女が茜だったのか」
「ごめん。私は洋介さんのことまでは憶えていないの」
「そりゃあ、無理もない。まだ五歳だったからな」
「でも、この肌に感じる空気感と、誰かと遊んだおぼろげな記憶は残っている」
「うん、うん」
と、洋介は何度も頷いた。
広島の的屋は、中国地方一円を営業活動の範囲としている。
島根には出雲大社をはじめとして古社が多く、その一つである浜浦神社の大祭には松江や米子からも参拝客が訪れていた。その日、秋の大祭に合わせて出張してきた父に、旅行がてら妻と茜も同伴していたのである。この頃は夫婦仲も良かったということなのだろう。
当時の浜浦は、出雲大社への参拝客が、行きまたは帰りに立ち寄ることが多く、旅館、民宿はそれなりに整っていた。だが、園方寺本堂の裏手の三十畳敷きの大広間にはキッチン、トイレ、風呂が完備しており、旅館の三人分の料金を布施すれば十人が宿泊できた。観光ではなく商売にやって来た的屋一家にしてみれば、願っても無い宿泊場所だったのである。
「実はロンドで初めて出会ったとき、茜の眼差しに懐かしを感じていたんだ」
「あら、それじゃあなぜそのことを言わなかったの」
咎めるように言った茜に、
「まるで陳腐な口説き文句のようだろう。とても言えやしなかった」
洋介は苦笑いした。
「洋介さんらしいわね」
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「何やら、楽しげですな」
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