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聖域の闇 第四章・手打(7)
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車が門を出たところで、坂根が何か言おうとしたのを森岡が目で制止した。そして、追尾車両がないことを確認すると、携帯にメモを打ち込み坂根に見せた。
『盗聴は大丈夫か』
坂根は身体やバッグを調べ、
『大丈夫です』
と首を縦に振った。
「じゃあ、詳しい話はホテルに戻ってからや」
森岡はそう言うと、付近に待機させていた南目に電話をして、後に続くよう指示した。
その後、どこかで待機しているであろう九頭目にも連絡した。
帝都ホテルの部屋に戻った森岡らは、ようやく安堵の表情になった。
「まずもって、お二人が無事に戻られて何よりです」
伊能の言葉に、一同が肯き合った後、
「いったい何があったんや」
と、南目が坂根に詰め寄った。
「待て、輝。その話は飯を食いながらにしよう」
「社長も食べてないのですか」
「輝、なんぼ俺でも、虎鉄組の本部じゃ食い物が喉を通るわけがないやろ」
と、森岡がおどけて見せたので、皆に笑顔が戻った。
数刻後、運ばれて来たルームサービスを口にしながら、森岡が虎鉄組でのやり取りを縷々説明した。
「手打ちをしたということは、今後虎鉄組は敵対しないということですね」
「おそらくそうでしょう」
森岡は伊能に応じ、
「その代償として、必ずブックメーカー事業に口出ししよるで」
と、南目に忠告した。
「まさか、そんなことを許したら神王組が黙っていないでしょう」
「頭の痛い問題になるわな」
「申し訳有りません」
坂根が力なく頭を垂れた。
「お前のせいやない」
「しかし、私が判断を誤ったために、社長に迷惑を掛けてしまいました」
「判断?」
「単独行動をしてしまいました」
「俺も最初はそう思ったが、結果的には統万が一緒でも同じことだったな。むしろ身代金は倍になったかもしれん」
「しかし、私が大人しく拘束されたため、五億円の損害を出してしまいました」
「どういうことや」
「あのとき、相手は二人でしたから、叩きのめすことはできたと思います」
「だがお前は、拘束された方が真相に近づくと思ったんやろ」
「はい」
「なら、それでええがな」
「でも、多大な迷惑をお掛けしました」
森岡がブックメーカー事業の運転資金確保のために、東奔西走したことを知って
いた坂根してみれば、単独行動を取った軽率さに忸怩たる想いだったのである。
「それなら確認するけどな、相手が極道者だとわかったか」
「はい」
「だが、暴力に訴えようという気配はなかったんやな」
「殺気は感じませんでした」
「空手の修練を積んだお前が感じなかったのであれば、そういうことやろ。だった
ら、抵抗しなかったのは正解やで」
「しかし、そのせいで……」
森岡は途中でその先を制した。坂根が、尚も金に拘っていたからである。
「俺は五億を失ったことより、今のお前に失望するな」
「えっ」
坂根の顔から色が失せた。
「皆もよう聞いてくれ。たしかに五億は大金やが、その多寡に囚われてはあかん。金は所詮金や。そんなものはまた働いて儲ければいい。肝心なことは、金額に拘わらずその多寡に見合うものが得られるかどうか、また失うことが無いかを判断することや」
森岡は皆の顔を見回した。
「もし二人が坂根に危害を加えようとしたのであれば、一も二もなく戦うことが正解や。命が危ないわけやからな。だが、そうでないのなら、暴力団には逆らったらあかん。坂根が二人を叩きのめした後のことを考えてみろ。暴力団というのは面子を第一に考える集団や。一般人に恥を掻かされて黙っていると思うか」
「報復行動に出るというのですね」
南目が答えた。
「間違いなくな」
「ですが、社長には神栄会の護衛が付いています」
「的が俺とは限らんだろうが」
「では、私たちにも危害が」
「さしずめ、坂根が真っ先に的に掛けられる」
「では、私たちにも護衛を付けてもらうよう神栄会に依頼してはどうですか」
南目の言葉に、
「期間はどうしますか」
蒲生が言い、
「それは意味がありません」
と、伊能が続けた。
「さすがに二人とも元優秀な警察官やな」
森岡はにやりと笑った。
「輝、蒲生が言いたいのは一生護衛を頼むつもりなのか、ということや」
うっ、と南目は言葉に詰まった。
蒲生と森岡の言わんとする意味がわかったのである。暴力団の報復が終了するのは、誰かが被害を蒙ったときである。もし護衛を付けて命を永らえば、それだけ金が掛かるということなのだ。
「それに伊能さんが言いたいのは、的に掛けられるのは何も俺たちとは限らないということや。ウイニットの社員、いや社員ならまだ関係性があるが、その家族まで魔の手が及んだらどうするんや。俺は、その警告を受けただけでも心が折れるやろうな」
「では、どうすれば……」
南目は苦渋の顔で訊いた。
「早々に謝罪するいかないでしょうね」
「そのとおりです」
森岡は伊能の答えに同調した。
「それがもっとも金が掛からない方法やが、それでも今回の倍は掛かるだろうな」
「そんなに……」
思わず坂根が呟いた。
「彼らにとって、お前は全く非の無い人間やで。そのお前がおとなしく拘束されたのにも拘わらず、理不尽にも十億を要求してきたんや。もし組員二人に怪我をさせたうえでの謝罪なら、二十億は要求してくるだろうな」
「……」
もはや坂根に返す言葉はなかった。
「だから、無抵抗は正解だったと言ったんや」
「そもそもが、私は枕木山に入るべきではなかったということですね」
坂根が肩を落として言う。
「あほなことを言うな。お前が枕木山に入ったのは、俺の命に忠実やったからやないか」
「……」
坂根の口がまた重くなった。
「事の発端は、俺がウイニットをほったらかして、神村先生の支援に精を出しているからや。でなければ、小梅の身請け話など舞い込んで来んかった。せやから今度のことは、お前には済まんことしたと思っている」
そう言って森岡は坂根に頭を下げた。
「やめて下さい、社長」
坂根はあわてて止めた。
「結局、このまま泣き寝入りか」
と悔しげに言った南目に、森岡が鋭い目を向けた。
「輝、俺が五億も毟り取られて、そのまま黙っている男だと思っているのか」
「報復するのですか」
「当り前やがな」
「しかし、たった今暴力団に逆らったら駄目だと言われたではないですか」
「それに虎鉄組とは手打ちをしています」
南目の言葉に、蒲生が付け加えた。
「せやから、虎鉄組には手を出さん。宗光賢治という右翼の首領とも知己を得たことで損は取り返した」
「相手は立国会の勅使河原ですね」
沈黙を通していた中鉢博己が初めて口を開いた。
森岡は決意の籠った顔つきで肯いた。
「五億のうち少なくとも半分は彼の手に渡るはずや。いずれ奴から何十倍、何百倍に
もして取り戻す」
「何か考えがあるのですか」
「ああ。まだ大枠の段階だがな」
森岡は曖昧に濁すと、顔を中鉢から坂根に向け、
「そんなことより、お前は何をしにもう一度枕木山に入ったんや」
と核心部分に切り込んだ。
「はっきりとはわからないのですが」
と、坂根は首を捻りながら話し始めた。
『盗聴は大丈夫か』
坂根は身体やバッグを調べ、
『大丈夫です』
と首を縦に振った。
「じゃあ、詳しい話はホテルに戻ってからや」
森岡はそう言うと、付近に待機させていた南目に電話をして、後に続くよう指示した。
その後、どこかで待機しているであろう九頭目にも連絡した。
帝都ホテルの部屋に戻った森岡らは、ようやく安堵の表情になった。
「まずもって、お二人が無事に戻られて何よりです」
伊能の言葉に、一同が肯き合った後、
「いったい何があったんや」
と、南目が坂根に詰め寄った。
「待て、輝。その話は飯を食いながらにしよう」
「社長も食べてないのですか」
「輝、なんぼ俺でも、虎鉄組の本部じゃ食い物が喉を通るわけがないやろ」
と、森岡がおどけて見せたので、皆に笑顔が戻った。
数刻後、運ばれて来たルームサービスを口にしながら、森岡が虎鉄組でのやり取りを縷々説明した。
「手打ちをしたということは、今後虎鉄組は敵対しないということですね」
「おそらくそうでしょう」
森岡は伊能に応じ、
「その代償として、必ずブックメーカー事業に口出ししよるで」
と、南目に忠告した。
「まさか、そんなことを許したら神王組が黙っていないでしょう」
「頭の痛い問題になるわな」
「申し訳有りません」
坂根が力なく頭を垂れた。
「お前のせいやない」
「しかし、私が判断を誤ったために、社長に迷惑を掛けてしまいました」
「判断?」
「単独行動をしてしまいました」
「俺も最初はそう思ったが、結果的には統万が一緒でも同じことだったな。むしろ身代金は倍になったかもしれん」
「しかし、私が大人しく拘束されたため、五億円の損害を出してしまいました」
「どういうことや」
「あのとき、相手は二人でしたから、叩きのめすことはできたと思います」
「だがお前は、拘束された方が真相に近づくと思ったんやろ」
「はい」
「なら、それでええがな」
「でも、多大な迷惑をお掛けしました」
森岡がブックメーカー事業の運転資金確保のために、東奔西走したことを知って
いた坂根してみれば、単独行動を取った軽率さに忸怩たる想いだったのである。
「それなら確認するけどな、相手が極道者だとわかったか」
「はい」
「だが、暴力に訴えようという気配はなかったんやな」
「殺気は感じませんでした」
「空手の修練を積んだお前が感じなかったのであれば、そういうことやろ。だった
ら、抵抗しなかったのは正解やで」
「しかし、そのせいで……」
森岡は途中でその先を制した。坂根が、尚も金に拘っていたからである。
「俺は五億を失ったことより、今のお前に失望するな」
「えっ」
坂根の顔から色が失せた。
「皆もよう聞いてくれ。たしかに五億は大金やが、その多寡に囚われてはあかん。金は所詮金や。そんなものはまた働いて儲ければいい。肝心なことは、金額に拘わらずその多寡に見合うものが得られるかどうか、また失うことが無いかを判断することや」
森岡は皆の顔を見回した。
「もし二人が坂根に危害を加えようとしたのであれば、一も二もなく戦うことが正解や。命が危ないわけやからな。だが、そうでないのなら、暴力団には逆らったらあかん。坂根が二人を叩きのめした後のことを考えてみろ。暴力団というのは面子を第一に考える集団や。一般人に恥を掻かされて黙っていると思うか」
「報復行動に出るというのですね」
南目が答えた。
「間違いなくな」
「ですが、社長には神栄会の護衛が付いています」
「的が俺とは限らんだろうが」
「では、私たちにも危害が」
「さしずめ、坂根が真っ先に的に掛けられる」
「では、私たちにも護衛を付けてもらうよう神栄会に依頼してはどうですか」
南目の言葉に、
「期間はどうしますか」
蒲生が言い、
「それは意味がありません」
と、伊能が続けた。
「さすがに二人とも元優秀な警察官やな」
森岡はにやりと笑った。
「輝、蒲生が言いたいのは一生護衛を頼むつもりなのか、ということや」
うっ、と南目は言葉に詰まった。
蒲生と森岡の言わんとする意味がわかったのである。暴力団の報復が終了するのは、誰かが被害を蒙ったときである。もし護衛を付けて命を永らえば、それだけ金が掛かるということなのだ。
「それに伊能さんが言いたいのは、的に掛けられるのは何も俺たちとは限らないということや。ウイニットの社員、いや社員ならまだ関係性があるが、その家族まで魔の手が及んだらどうするんや。俺は、その警告を受けただけでも心が折れるやろうな」
「では、どうすれば……」
南目は苦渋の顔で訊いた。
「早々に謝罪するいかないでしょうね」
「そのとおりです」
森岡は伊能の答えに同調した。
「それがもっとも金が掛からない方法やが、それでも今回の倍は掛かるだろうな」
「そんなに……」
思わず坂根が呟いた。
「彼らにとって、お前は全く非の無い人間やで。そのお前がおとなしく拘束されたのにも拘わらず、理不尽にも十億を要求してきたんや。もし組員二人に怪我をさせたうえでの謝罪なら、二十億は要求してくるだろうな」
「……」
もはや坂根に返す言葉はなかった。
「だから、無抵抗は正解だったと言ったんや」
「そもそもが、私は枕木山に入るべきではなかったということですね」
坂根が肩を落として言う。
「あほなことを言うな。お前が枕木山に入ったのは、俺の命に忠実やったからやないか」
「……」
坂根の口がまた重くなった。
「事の発端は、俺がウイニットをほったらかして、神村先生の支援に精を出しているからや。でなければ、小梅の身請け話など舞い込んで来んかった。せやから今度のことは、お前には済まんことしたと思っている」
そう言って森岡は坂根に頭を下げた。
「やめて下さい、社長」
坂根はあわてて止めた。
「結局、このまま泣き寝入りか」
と悔しげに言った南目に、森岡が鋭い目を向けた。
「輝、俺が五億も毟り取られて、そのまま黙っている男だと思っているのか」
「報復するのですか」
「当り前やがな」
「しかし、たった今暴力団に逆らったら駄目だと言われたではないですか」
「それに虎鉄組とは手打ちをしています」
南目の言葉に、蒲生が付け加えた。
「せやから、虎鉄組には手を出さん。宗光賢治という右翼の首領とも知己を得たことで損は取り返した」
「相手は立国会の勅使河原ですね」
沈黙を通していた中鉢博己が初めて口を開いた。
森岡は決意の籠った顔つきで肯いた。
「五億のうち少なくとも半分は彼の手に渡るはずや。いずれ奴から何十倍、何百倍に
もして取り戻す」
「何か考えがあるのですか」
「ああ。まだ大枠の段階だがな」
森岡は曖昧に濁すと、顔を中鉢から坂根に向け、
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