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聖域の闇 第五章・秘宝(3)
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蒲生が去って間もなく、瞳と見知らぬ若い女性が部屋に入って来た。
森岡は思わず息を呑んだ。
年の頃は十七、八歳か、京都言葉で『はんなり』という表現がぴったりの美女であった。はんなりとは、『華なり』が転じて発音されるようになった言葉で、『華やかでありながら気取りがなく、上品さと気品を兼ね備えてるさま』を表現している。山尾茜とも児玉桜子とも面立ちは違うが、間違いなく類い稀な美貌の持ち主であった。
大河内も唖然として目を丸くしているが、森岡とは少し意味合いが違っていた。
「洋ちゃん、じゃなかった、洋介、話は済んだの」
瞳が気軽に声を掛けた。
「洋ちゃん?」
若い女性がまじまじと森岡を見た。
「こら、お客様を前に気安い言葉使いをするな」
森岡は怒ったように言ったが、瞳はどこ吹く風といった素振りで、
「お上人さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
と挨拶した。
すると、
「ママも元気そうじゃな」
大河内もにこやかに応じるではないか。
「なんや、ママは大河内上人を存じ上げているのか」
「お店に何度か足をお運びになっていらっしゃるわ」
大河内の先刻の言葉は、満更嘘でもなかったようだ。どうやら、傳法寺の貫主を辞してからは京都の夜も適当に満喫しているらしい。
「それより、彼女を紹介するわね。鶴乃(つるの)ちゃんです」
紹介された女性が、ぺこりと頭を下げた。
「やはり、そうだったか。素顔なので、もしやと思っていたが……素顔の鶴乃に出会えるとは生涯の吉事じゃな」
大河内が破願した。だが、森岡は狐に抓まれたような顔つきである。
「もしかして、洋介は鶴ちゃんを知らないの」
「申し訳ないが、全く」
「あら、こんな唐変木が居たんだ」
瞳が嘆息すると、
「森岡君、君は私を堅物だと思っていたらしいが、私に言わせれば君の方がよ余程世間知らずだよ。本当に彼女の名を聞いたことは無いのかい」
大河内までが呆れ顔になった。
当の鶴乃は、珍しい動物でも見るかのように目で森岡を見詰めている。
「彼女はそれほど有名人なのですか」
「鶴乃と言えば、京都、いや日本一の舞妓だよ」
「それだけじゃないわ。私たちの世界では三十年に一人の逸材と、専らの評判よ」
大河内に続いて瞳も絶賛した。
片桐瞳は、元は芸妓である。今は身を転じているとはいえ、花柳界に詳しいことには違いがない。
なるほど、鶴乃の素顔であれば、おしろいを塗って、目を描き、紅を引けば、それは艶やかな絶世の美女の誕生となるであろう、と森岡は想像した。素顔があまりに端正な顔立ち過ぎると、舞妓に変身したとき、却ってきつい面立ちになる。
「本当に森岡君は名前も聞いたことがないか」
大河内が念を押した。
「……」
「二年前マスコミで取り上げられて以来、有名俳優やら、ミュージシャン、スポーツ選手、政治家、青年実業家など、次から次と浮名を流しているのを知らないなんて……もっとも、テレビも雑誌もいい加減なもので、みんな向こうが勝手に熱を上げているだけだけどね」
と、瞳が世間に流れている艶聞の裏を明かした。
「この数年、京都は足が遠くなっていましたし、テレビ、しかもバラエティ番組はほとんど観ませんので……」
森岡は大河内に弁解すると、
「そう言われてみると、耳にしたようなしないような」
とあやふやに呟いた。
「だけど、どうしてそんな有名人が瞳と一緒なんだ」
「置屋が一緒なのよ。今日洋介から誘いがあったから、久々に柳屋のお女将(かあ)さんに挨拶に行ったら、鶴ちゃんと出会ってね。世間話をしているうち洋介の名前が出たら、彼女が興味を持っちゃって。着いて行くって利かないのよ」
「おいおい、お座敷はどうしたんだい」
「そこですよ、お上人さん。鶴ちゃんは言い出したら利かない子ですから、お女将さんも困っちゃって、急病ということにして全部キャンセルしたのです」
「だったら、こんなところにいて大丈夫なのか」
吉力は、それこそ舞妓鶴乃の主戦場である。
「洋介、それは大丈夫なの。彼女の素顔を知る客はほとんどいないし、外を歩くときはマスクをするから、ばれることはないわ」
「なるほど、そういうことか」
「それより、今日一日分の花代は洋介が払ってね」
「それは構わないが……」
森岡はあらたてめ鶴乃を見つめた。
「彼女は日本花柳界一のアイドルってことか」
「いややわあ、そないに見つめられると恥ずかしいやおへんか」
と、鶴乃は初心な少女のように恥じらう。
森岡は思わず息を呑んだ。
年の頃は十七、八歳か、京都言葉で『はんなり』という表現がぴったりの美女であった。はんなりとは、『華なり』が転じて発音されるようになった言葉で、『華やかでありながら気取りがなく、上品さと気品を兼ね備えてるさま』を表現している。山尾茜とも児玉桜子とも面立ちは違うが、間違いなく類い稀な美貌の持ち主であった。
大河内も唖然として目を丸くしているが、森岡とは少し意味合いが違っていた。
「洋ちゃん、じゃなかった、洋介、話は済んだの」
瞳が気軽に声を掛けた。
「洋ちゃん?」
若い女性がまじまじと森岡を見た。
「こら、お客様を前に気安い言葉使いをするな」
森岡は怒ったように言ったが、瞳はどこ吹く風といった素振りで、
「お上人さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
と挨拶した。
すると、
「ママも元気そうじゃな」
大河内もにこやかに応じるではないか。
「なんや、ママは大河内上人を存じ上げているのか」
「お店に何度か足をお運びになっていらっしゃるわ」
大河内の先刻の言葉は、満更嘘でもなかったようだ。どうやら、傳法寺の貫主を辞してからは京都の夜も適当に満喫しているらしい。
「それより、彼女を紹介するわね。鶴乃(つるの)ちゃんです」
紹介された女性が、ぺこりと頭を下げた。
「やはり、そうだったか。素顔なので、もしやと思っていたが……素顔の鶴乃に出会えるとは生涯の吉事じゃな」
大河内が破願した。だが、森岡は狐に抓まれたような顔つきである。
「もしかして、洋介は鶴ちゃんを知らないの」
「申し訳ないが、全く」
「あら、こんな唐変木が居たんだ」
瞳が嘆息すると、
「森岡君、君は私を堅物だと思っていたらしいが、私に言わせれば君の方がよ余程世間知らずだよ。本当に彼女の名を聞いたことは無いのかい」
大河内までが呆れ顔になった。
当の鶴乃は、珍しい動物でも見るかのように目で森岡を見詰めている。
「彼女はそれほど有名人なのですか」
「鶴乃と言えば、京都、いや日本一の舞妓だよ」
「それだけじゃないわ。私たちの世界では三十年に一人の逸材と、専らの評判よ」
大河内に続いて瞳も絶賛した。
片桐瞳は、元は芸妓である。今は身を転じているとはいえ、花柳界に詳しいことには違いがない。
なるほど、鶴乃の素顔であれば、おしろいを塗って、目を描き、紅を引けば、それは艶やかな絶世の美女の誕生となるであろう、と森岡は想像した。素顔があまりに端正な顔立ち過ぎると、舞妓に変身したとき、却ってきつい面立ちになる。
「本当に森岡君は名前も聞いたことがないか」
大河内が念を押した。
「……」
「二年前マスコミで取り上げられて以来、有名俳優やら、ミュージシャン、スポーツ選手、政治家、青年実業家など、次から次と浮名を流しているのを知らないなんて……もっとも、テレビも雑誌もいい加減なもので、みんな向こうが勝手に熱を上げているだけだけどね」
と、瞳が世間に流れている艶聞の裏を明かした。
「この数年、京都は足が遠くなっていましたし、テレビ、しかもバラエティ番組はほとんど観ませんので……」
森岡は大河内に弁解すると、
「そう言われてみると、耳にしたようなしないような」
とあやふやに呟いた。
「だけど、どうしてそんな有名人が瞳と一緒なんだ」
「置屋が一緒なのよ。今日洋介から誘いがあったから、久々に柳屋のお女将(かあ)さんに挨拶に行ったら、鶴ちゃんと出会ってね。世間話をしているうち洋介の名前が出たら、彼女が興味を持っちゃって。着いて行くって利かないのよ」
「おいおい、お座敷はどうしたんだい」
「そこですよ、お上人さん。鶴ちゃんは言い出したら利かない子ですから、お女将さんも困っちゃって、急病ということにして全部キャンセルしたのです」
「だったら、こんなところにいて大丈夫なのか」
吉力は、それこそ舞妓鶴乃の主戦場である。
「洋介、それは大丈夫なの。彼女の素顔を知る客はほとんどいないし、外を歩くときはマスクをするから、ばれることはないわ」
「なるほど、そういうことか」
「それより、今日一日分の花代は洋介が払ってね」
「それは構わないが……」
森岡はあらたてめ鶴乃を見つめた。
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と、鶴乃は初心な少女のように恥じらう。
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