黒い聖域

久遠

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聖域の闇 第五章・秘宝(4)

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 そこへ、料理が運ばれて来て、女将の貴子が若女将の百華(ももか)も挨拶に訪れた。
「森岡様、ほんにお久しぶりでございます」
「今も話していたのですが、久しく京都に足を運んでいませんでしたので、いや京都自体には何度も足を運んでいたのですが、夜は大阪に戻っていたものですから」
「噂によると、大阪に良い人がいらっしゃるようで」
「良い人ってどなたどすか」
 女将の嫌味の利いた言葉に、鶴乃が反応した。
「あら、鶴ちゃん。気になるの」
「別に……」
 瞳の声にからかいを感じた鶴乃は、ぷいと顔を横に向けた。 
「おお、そうだ。森岡君、供の者をこちらへ呼んだらどうかね。広い座敷だから大人数の多い方が良い」
 まだ幼げの残る鶴乃の仕種に、大河内が微笑みながら言った。
「宜しいのですか」
 遠慮がち言った森岡に、大河内はさらにとんでもないことを口にした。
「吉力(ここ)を見張っている者たちもあのままにしておく気かね」
「ご存知でしたか」
「君が観世音寺に迎えに来てくれたとき、後尾の不審な車に気づいていた」
「それは余計な気をお使いさせました」
 と、森岡は詫びた。
「その筋の者ですが、いつもどうしたものかと困っています」
「その筋って、まさか洋介は命を狙われているの。だったら、警察に通報しないと」
 瞳が泡を食ったように言う。
「ママ、その逆だよ。彼の身辺警護だ」
「身辺警護って、やはり誰かに狙われているということじゃないですか、お上人さん」
「そうじゃない。ある頼み事を受けたので大事に扱ってくれているのだ」
 森岡は瞳を宥めるように言った。
「頼み事とは、神栄会かな」
 大河内が訊いた。
 観世音寺も参画している法国寺裏山の大規模霊園開発事業に、神栄会傘下の土木会社が関わっていることを知っていた大河内の推量である。
「はあ、いえ」
 森岡は煮え切れない態度を取った。
「違うのか。とするといったい誰から……」
 と言った大河内の目が鋭くなった。
「まさか、蜂矢?」
「蜂矢って、神王組の六代目……」
 瞳が茫然と呟く傍らで、女将の和泉貴子が、
「極道者を通すことなど、吉力が暖簾を上げて初めてのことですわ。もっとも幕末の混乱期は、身分などいちいち詮索はしていませんでしたでしょうが」
 と腹を括った様子で言った。
「他ならぬ森岡さんのお連れですから信用いたしましょう。それに、強面にあのように店の前を見張られては客足が遠退いてしまいますわ」
 そう言った女将は、ほほほ……と大らかに笑って見せた。
 さすがに会合衆の末裔は胆が据わっている。
 森岡は蒲生に命じて九頭目ら三人を部屋に引き入れさせた。
 女将は強面と言ったが、それは長年に亘って一流の男たちと接して来た彼女だからこそ看破できるのであって、九頭目を含め他の二人も、その大企業の社員然としたスーツ姿を一見した限りでは、とてものこと極道者とは見えない。目つきはさすがに鋭いが、それとて極道担当の警察官と比較すれば、むしろ柔らかい方である。
 森岡は、峰松から影警護の申し出を受けたとき、人目を憚るためそのような人選を依頼していたのである。
 吉力の女将が三人を招じ入れる決断をしたのも、彼らが一般人と見間違う身形だったからで、もし見るからにその筋とわかる風体であれば、いかに森岡の護衛役だとしても入店は断っていたであろう。
 何事かと、緊張の体で部屋に入った九頭目は、思わぬ展開に戸惑いを見せた。
「場違いでしょうが、この方が貴方も安心でしょう」
「それはそうですが……」
 森岡の言葉にも、落ち着かない様子の九頭目に向かって大胆な問い掛けをしたのは鶴乃だった。
「おたくさんの親分さんは、森岡はんに何をお頼みされたんどすかあ」
 あまりにもあからさまな問いに、驚きの顔になった九頭目は、
「私の口からはちょっと……」
 言えない、と小さく頭を下げた。
「何や、つまらんお人やわあ」
「鶴ちゃん、そないに男はんをいじめたらあきまへん。この九頭目はんというお方はこの先偉ろうなられると見ましたえ」
 咎めるように言った鶴乃を、女将が諌めた。
 幸苑の女将の村雨初枝もそうだが、吉力の女将の眼力も確かであろう。
 だが鶴乃は、
「ほんまに」
 と無頓着な声を上げた。
「鶴乃ちゃん。九頭目さんは、二、三十年後には九代目を張ってはるかもしれん逸材やで」
 森岡が諭すように言った。
「とんでもない。森岡さん、いきなり何をおっしゃるのですか」
 あわてて否定した九頭目だったが、蒲生が思わぬ言葉を添えた。
「九頭目さんの名は公安にリストアップされています」
「公安? そりゃほんまもんや」
 森岡が複雑な声で言った。
 言わずと知れているが、左翼過激派やスパイの疑いのある外国人と共に、暴力団員も公安の監視対象になっている。むろんのこと、暴力団員全員を監視対象にしているのではなく、現執行部を含め、将来最高幹部となりそうな人物が対象である。
 九頭目がその対象者であるということは、ある意味で警察当局のお墨付きをもらったようなものなのである。もちろん、四六時中監視対象になっているのは限られた人数で、極道者で言えば『釣り上げ』、つまり麻薬や拳銃所持、賭博などの罪状による逮捕予定者か、抗争に発展しそうな組織の幹部が対象になっている。
 神栄会は、神王組切っての武闘派組織であるから、一旦抗争の芽が息吹いたと判断されれば真っ先に当局の監視対象になるが、目立った抗争の無い昨今では、神王組の若頭に就任した寺島龍司と、若頭の峰松重一の二人ぐらいである。
 それでも森岡が複雑な声を上げたのは、警護役の九頭目が公安にリストアップされているということは、何かの拍子に自身との繋がりも当局に把握されているというになるからだった。
 蒲生は森岡の声からその心中を察した。
「ですが、公安のマークからは外されているようです」
「ほう。それはまた何でや」
「それは、社長の方がご存知のはずです」
 蒲生が森岡に謎掛けをした。
 数瞬考え込んだ森岡は、
――伊能さんか。
 と思い当っていたが、口には出さなかった。伊能剛史の警察庁時代の同期には、公安部の課長がいた。何らかの交換条件を提示し、上手く話を付けたに違いない。
「どうやら、警察幹部にも知り合いがいるようだの」
 大河内の言葉に、軽く会釈した森岡は、
「ともあれ、警察当局も貴方の将来性を認めているということですよ、九頭目さん」
 と持ち上げたが、
「おだてられて舞い上がる年ではありません」
 九頭目は、冷静な声でいなした。
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