黒い聖域

久遠

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聖域の闇 第五章・秘宝(16)

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 東京永田町の議員会館で、秘書の金丸から森岡洋介に関する調査報告を受けた唐橋大紀は、唇を噛み締め、身を震わせていた。
 唐橋の私設第一秘書である金丸は、森岡の身辺調査を興信所に依頼した他、自らも浜浦に出向いて森岡忠洋に会い情報を収集した。
 通常、国会議員は『金帰火来』といって、週末の金曜日に地元選挙区に帰り、週明けの火曜日に東京へ戻るという日程を熟している。
 しかしそれは、陣笠議員、つまり次回の選挙に不安のある、その他大勢の議員が地元後援者との親交を深めるためであって、現職閣僚や唐橋大紀のような政権与党の重鎮など、盤石の選挙基盤のある大物議員はその限りではない。東京に残ってやるべき仕事が多いからである。その場合は、議員の妻女や秘書が役目を代行する。
 したがって、懐刀ともいえる金丸が、唐橋に代わって有力後援者と会うことに違和感はなく、選挙に向けての相談の合間に、さりげなく森岡の近況を問い質すことは容易であった。森岡忠洋にしても、取り立てて警戒する必要も感じなかったので知る限りのことを口にした。
 ウイニットが上場を予定していることはもちろんのこと、森岡の婚約者である山尾茜が松尾正之助の縁者であること、その松尾の所有する会社と味一番株式会社を含む数社の持ち株会社のトップに君臨する予定であることなどを話をした。
 いずれも、お盆の酒宴の際、南目輝が自慢げに漏らしたものであった。しかし、さすがに酔ってはいたものの、ブックメーカー事業の話は口にしなかったらしい。
 唐橋大紀がことさら後悔の念に苛まれたのは、森岡の昇龍の如き立身出世もさることながら、加えて神村正遠の薫陶を受けているという事実だった。
「わしとしたことが、手抜かりだった」
 唐橋大紀は呻くように言った。
 首相も務めた竹山中の急逝に伴う補欠選挙に、竹中陣営は満足な後継者を立てることができなかった。為に、島根半島界隈の地盤が唐橋大紀に戻った。取り纏めに尽力したのは、森岡忠洋をはじめとする灘屋の親戚の面々である。
 その際、何度か森岡洋介の消息が話題に上ったのだが、唐橋は潰れた家の者など気にも留めなかった。もっとも、森岡自身が消息を絶っていたので、彼の噂が浜浦に届くことはなかったのだが……。
 ただ、唐橋大紀は父大蔵から灘屋を恨んではならない、と釘を刺されていただけでなく、注視を怠るなとも忠告されていた。いま思えば、利発な子供だった森岡洋介の今日を予感してのことだったのかもしれない、と彼は悔いていた。
 現在の唐橋は、民自党最大派閥・阿久津派の後継領袖の座を巡って、宿敵議員と鍔迫り合いの真っ最中にいた。願望成否の鍵は、表向きには阿久津に対する忠誠心、すなわち禅譲後も彼を厚遇するか否かということになっているが、内実は金、資金力である。
 派閥の総領ともなれば、身銭を切って所属議員の金銭的面倒を看なければならない。お盆と暮れの、俗に言う『もち代』や選挙資金など、所属議員が多ければ多いほど、派閥維持は潤沢な資金が必要となる。故に、いかに強力なスポンサーを確保するかが最重要課題となる。 
 その観点からいえば、森岡ほど条件の揃った人物はそうそういるものではない。
 まず第一に、父大蔵と森岡の祖父洋吾郎の長年に亘る交誼である。最後は反目する形となったが、両人共に本意ではなかった。大紀には遺恨など微塵も無いし、森岡洋介には何の関わりもないことである。
 次に、森岡自身が資産家ということである。ウイニットの上場で一時的に巨万の富を得るだけでなく、年間売上一兆円規模の企業群のトップに君臨するとなれば、安定的な支援が期待できる。
 そして極め付けが神村正遠の存在である。神村の高名は唐橋大紀の耳にも届いていた。政権与党の重鎮たちの中にも、指導を受けている者がいることも知っていた。何といっても神村は、あの『歴代総理の指南番』と称された希代の大学者奈良岡真篤から後継指名された人物である。
――あのときの余裕は、たしかな理由に裏付けされていたのか。
 唐橋は、赤坂の事務所での面談を想起していた。
「まさか、そのような男だったとはい思いも寄りませんでした」
 金丸が嘆息した。
「灘屋一門が、これまで一片の揺るぎもなく彼を総領として扱ってきた所以だな」
 と、唐橋も切れ者秘書に同調した。
「虎鉄組とも円満解決したようです」
「そうか」
 唐橋は抑揚なく受け流した。森岡であれば当然だろうな、という思いがあった。だが、
「その場に宗光氏も同席していたようです」
 との秘書の言葉には驚愕した。
「なに!」
 さしもの大物政治家も二の句が継げなかった。
――いかにして、右翼の首領を引っ張り出したのか。
 思いはその一念だった。
 唐橋との面会を終えた森岡から東京での宿泊先を聞き出した金丸は、旧知の興信所に依頼して、森岡の行動を監視させていたのである。
「大魚を逃がしたかのう」
 唐橋は落胆の声で言った。
 面会の際の尊大な態度と、宗光賢治に関して何も助力できなかったことを照らし合わせれば、森岡が不快に思っていても仕方がないところである。
「森岡忠洋さんに仲立ちしてもらってはいかがでしょう」
 金丸が提案した。叔父と甥の関係に期待してのものである。
「それはできない。失策を重ねるだけだ」
 唐橋は強い口調で断じた。
 さすがに、魑魅魍魎が蠢く政界にあって出世を重ねた政治家である。森岡忠洋を介することは下策だと見切っていた。
 森岡洋介は凋落した灘屋を捨て、自力でここまで登り詰めている。いまさら、親族の言に耳を傾けるとは思えなかった。さすれば、森岡忠洋を使って圧力を掛けるという姑息な手段を用いた自分に嫌悪感を抱くかもしれない。唐橋大紀はそう考えたのである。
「では、どうのようにいたしたら」
「考えどころだの。こちらは一度失態を演じている。二度目はない」
「はい」
「焦りは禁物だ。あれだけの大魚だ。網に掛ける方策はじっくりと考えねばなるまいな」
 そう言った唐橋の眼は、いつもの老獪な政治家のそれに戻っていた。




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