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聖域の闇 第八章・開帳(4)
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翌日、森岡は園方寺に連絡を入れ、急遽帰省した。今回は蒲生良太、足立統万の他に南目輝を伴った。
従兄弟の門脇修二には連絡をしなかった。日帰り予定の森岡は、修二をはじめとする親戚筋の歓待を避けたのである。六年前、米子自動車道が開通したことで、途中で休憩を入れても片道五時間ほどである。早朝に出発すれば十分往復できた。
車は大阪吹田ICから中国道を西に二時間ほど走った後、米子道へと入った。
――ずいぶんと便利になったものだ。
この道を通る度、森岡は心からそう思っていた。
彼が大学進学のために大阪へ出向いたとき、あるいは祖母のウメの葬儀のために帰省した折はまだ旧道で、中国山地の四十曲峠の急勾配を越えるときには恐怖を覚えたものである。
旧盆に続いての俄かの帰郷に、道恵は何事かと身構えた。
「私に相談事ということですが、何か不都合でも起こりましたか」
「時間がありませんのでいきなりお尋ねします」
うむ、道恵は頷く。
「付かぬ事をお尋ねいたしますが、御先代は大平寺の宗務総長と親交がおありでしょうか」
「大本山の宗務総長とな」
道恵は意外という顔をした。
「もちろん面識はありますが、親交というほどの付き合いはありません」
大本山の宗務総長であるから、当然宗務を通じて面識はあったが、年齢は道恵より一回り下であった。修行においても熟練度が異なるため、一緒になることはなかったという。
「我が宗派の宗務総長に何の用があるというのですかな」
道恵の目が胸襟を開けと訴えていた。
森岡は、日本仏教会主催の秘仏秘宝展の開催を説明し、事務局長の要職にある太平寺の宗務総長から、瑞真寺に御本尊の出展要請をして欲しい旨を伝えた。
「何か思惑がありますかな」
森岡は瑞真寺の本尊に纏わる疑念を話した。
「なるほど、突けば動き出すということですな」
森岡は黙って肯いた。
道恵はしばらく瞑目した。
森岡の耳に浜浦湾の潮騒が届いていた。
園方寺は浜浦湾の南方にあった。岸壁からは五十メートルほどの距離である。潮騒に交じって海鳥の鳴き声や破れた網を修復する漁師たちの濁声も届いて来る。
おもむろに道恵が目を開けた。
「残念ながら、総領さんを紹介するほど親しくはありません。しかも、相談事が相談事だけに……」
無理だと、道恵は仄めかした。
「御先代がそうおっしゃるのでしたら、諦めるしかありません」
森岡がそう言って腰を上げたときだった。
「まあまあ、そう早合点しないでお座り下さい。拙僧は宗務総長には紹介できないと言ったまでですよ」
道恵は悪戯っぽい目で笑っている。
「とおっしゃいますと」
「現管長の丹羽猊下は、私の後輩に当たります」
道恵は十五歳のとき大本山太平寺で得度し、そのまま十年間の修行を満行していた。道恵の得度から二年後、現第百十二世管長の丹羽秀尊(しゅうそん)が十三歳で得度した。したがって修行僧としては二年後輩だが、年齢は四歳下であった。
どの世界でも先輩後輩という序列は越えがたいものであるが、宗教界はとくに厳しく、得度したばかりの二年というのは天地ほどの差があると言っても過言ではない。いかに寺院の子に生まれ、父親から薫陶を受けていたとしても、大本山での修行となれば全く別物なのである。
起床後の蒲団の上げ方、洗顔、掃除、食事等々の生活作法一つとっても細かい所作が定められている。それら全ては先輩僧侶から指導を受けることになるのである。肝心の修行に至っては、小学校入学早々と中学生の学力差ほどもある。
大学の運動部において、四年生は天皇、一年生は奴隷と揶揄されるが、まさにそれぐらいの開きあった。
「管長様から宗務総長に話して頂けるのでしょうか」
「一つ手土産が要りますが」
道恵が間髪入れずに切り返す。
「手土産? どのような」
「それは管長から直接聞いてもらうとして、とりあえず面会できるよう取り計らいましょう」
道恵の思惑有り気な顔が気になりつつも、
「宜しくお願いします」
森岡は頭を下げるしかなかった。
従兄弟の門脇修二には連絡をしなかった。日帰り予定の森岡は、修二をはじめとする親戚筋の歓待を避けたのである。六年前、米子自動車道が開通したことで、途中で休憩を入れても片道五時間ほどである。早朝に出発すれば十分往復できた。
車は大阪吹田ICから中国道を西に二時間ほど走った後、米子道へと入った。
――ずいぶんと便利になったものだ。
この道を通る度、森岡は心からそう思っていた。
彼が大学進学のために大阪へ出向いたとき、あるいは祖母のウメの葬儀のために帰省した折はまだ旧道で、中国山地の四十曲峠の急勾配を越えるときには恐怖を覚えたものである。
旧盆に続いての俄かの帰郷に、道恵は何事かと身構えた。
「私に相談事ということですが、何か不都合でも起こりましたか」
「時間がありませんのでいきなりお尋ねします」
うむ、道恵は頷く。
「付かぬ事をお尋ねいたしますが、御先代は大平寺の宗務総長と親交がおありでしょうか」
「大本山の宗務総長とな」
道恵は意外という顔をした。
「もちろん面識はありますが、親交というほどの付き合いはありません」
大本山の宗務総長であるから、当然宗務を通じて面識はあったが、年齢は道恵より一回り下であった。修行においても熟練度が異なるため、一緒になることはなかったという。
「我が宗派の宗務総長に何の用があるというのですかな」
道恵の目が胸襟を開けと訴えていた。
森岡は、日本仏教会主催の秘仏秘宝展の開催を説明し、事務局長の要職にある太平寺の宗務総長から、瑞真寺に御本尊の出展要請をして欲しい旨を伝えた。
「何か思惑がありますかな」
森岡は瑞真寺の本尊に纏わる疑念を話した。
「なるほど、突けば動き出すということですな」
森岡は黙って肯いた。
道恵はしばらく瞑目した。
森岡の耳に浜浦湾の潮騒が届いていた。
園方寺は浜浦湾の南方にあった。岸壁からは五十メートルほどの距離である。潮騒に交じって海鳥の鳴き声や破れた網を修復する漁師たちの濁声も届いて来る。
おもむろに道恵が目を開けた。
「残念ながら、総領さんを紹介するほど親しくはありません。しかも、相談事が相談事だけに……」
無理だと、道恵は仄めかした。
「御先代がそうおっしゃるのでしたら、諦めるしかありません」
森岡がそう言って腰を上げたときだった。
「まあまあ、そう早合点しないでお座り下さい。拙僧は宗務総長には紹介できないと言ったまでですよ」
道恵は悪戯っぽい目で笑っている。
「とおっしゃいますと」
「現管長の丹羽猊下は、私の後輩に当たります」
道恵は十五歳のとき大本山太平寺で得度し、そのまま十年間の修行を満行していた。道恵の得度から二年後、現第百十二世管長の丹羽秀尊(しゅうそん)が十三歳で得度した。したがって修行僧としては二年後輩だが、年齢は四歳下であった。
どの世界でも先輩後輩という序列は越えがたいものであるが、宗教界はとくに厳しく、得度したばかりの二年というのは天地ほどの差があると言っても過言ではない。いかに寺院の子に生まれ、父親から薫陶を受けていたとしても、大本山での修行となれば全く別物なのである。
起床後の蒲団の上げ方、洗顔、掃除、食事等々の生活作法一つとっても細かい所作が定められている。それら全ては先輩僧侶から指導を受けることになるのである。肝心の修行に至っては、小学校入学早々と中学生の学力差ほどもある。
大学の運動部において、四年生は天皇、一年生は奴隷と揶揄されるが、まさにそれぐらいの開きあった。
「管長様から宗務総長に話して頂けるのでしょうか」
「一つ手土産が要りますが」
道恵が間髪入れずに切り返す。
「手土産? どのような」
「それは管長から直接聞いてもらうとして、とりあえず面会できるよう取り計らいましょう」
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「宜しくお願いします」
森岡は頭を下げるしかなかった。
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