鈴蛍

久遠

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「でもな、御一同。うちの総領さんも大した男になるぞ」
 昌造が得意顔で言い出す。
「この俺でさえ、少しでも筋が通らないことをすると、こっぴどく怒られるからな。もう少し大きくなったら親父や兄貴より怖いかもしれん」
「何かあっただか」
 親戚の誰かが訊いた。
「あったどころじゃない。昨年の盆に帰ったとき、そりゃあ胆を冷やした」
 苦笑いをした昌造だが、その先を話したくてうずうずしている。
 洋平は、何の話か察しが付いたので、
「叔父さん、その話はもうええけん」
 と慌てて話の腰を折ろうとした。
 しかし親戚の者たちは、どういうことかと急き立て、さらに美鈴までが、
「私も話の続きを聞きたい」
 と言い出してしまい、止められなくなった。
 猪口の酒を一気に飲み干し、再び話し始めた昌造は、酔いも手伝ってか、至って饒舌だった。
「実はなあ。昨年の盆は日本に寄港する予定がなかったので、女房と子供は帰省していなかった。ところが、八月十四日になって船の整備のため、境港に寄港することになったので、急遽俺一人で帰省したんだ。タクシーを降りて恵比寿に帰る途中、女房の実家の綿屋さんの家が見えてなあ。女房が帰っていればどうって事なかったのだが、まさか素通りするわけにもいかないと思い、ちょっと挨拶に寄った。
 仏さんを拝んで、すぐに帰ろうと思ったら、綿屋の義父(おやじ)に『ちょっと一杯やっていけ』と勧められて、つい飲み始めてしまった。それがいけなかった。一杯が二杯になり、そのうち気が付けば二時間ぐらい経ってしまっていた。俺もすっかり出来上がってしまい、恵比寿のことなどすっかり頭から消え去っていた。
 そのときだった。お袋が血相を変えて綿屋にやって来た。そして、「昌造。早く帰らんと、二度とうちの敷居を跨げなくなるぞ』と言うんだ。
 最初、俺は事情が飲み込めず、『親父か兄貴が怒っているのか?』と訊いたら、『そうではない。怒っているのは洋平だ」とお袋は言う。
 どうして総領が怒っているのか、ますますわからないので、
『どうして、総領が怒っているのか』と訊くと、お袋は総領がこう話したと言うんだ。『お祖母ちゃん、綿屋さんに行って来て下さい。昌造叔父さんが、電話で帰ると言った時間を二時間も過ぎています。多分綿屋さんに寄って酒でも飲んでいると思います。もしそうだったら、昌造叔父さんに、こう言って下さい……。叔父さん、ちょっと筋が違ってはいませんか。叔父さんはいつから綿屋さんに婿入りをしたのですか。綿屋さんへ行くにしても、まず恵比寿の仏壇に挨拶するのが先ではないでしょうか。叔父さんは、いったい何ののためにお盆に帰って来るのでしょうか。そういう筋目もわからないようになった叔父さんなら、もううちに帰って来なくても良いので、そのまま綿屋さんに泊めて貰って下さい。そして、もう二度と恵比寿には帰って来なくても結構です。お祖父ちゃんやお父ちゃんが許しても、僕の代になったら、絶対恵比寿の家には入れません」
 とすごく怒っていたと言うんだ。
 その上、皆が食事を始めても、総領はずっと箸を付けず、俺の帰りを待っていたということも訊いて、俺はもう酔いなんか一気に醒めてしまって、急いで恵比寿に帰った。綿屋の義父も悪いことをしたと言って、一緒に謝りに来てくれた。
 恵比寿に帰り、『総領の言うとおりだ。俺が悪かった』と言うと、総領は『謝るのは、僕にではなくてご先祖様に、でしょう。まず、仏壇に線香を上げて下さい』と言うんだ。
 その後、綿屋の義父も謝ってくれて、なんとか総領の気持ちが治まったけれど、そのとき『我が甥っ子ながら、総領はとんでもない子だなあ、これは親父や兄貴より大物かもしれん』と、つくづく思ったよ。
 自身にとっては極まりが悪いはずの話を、昌造はとても自慢げに話した。
 一同は、口々に洋平を褒めたり、感心したりしたが、当の洋平は穴があれば入りたい心境だった。美鈴との仲を冷やかされるよりも居心地が悪かった。
 洋平は、自分は何と傲慢な人間だろうかと思っていた。
 たしかに筋は通っている。間違ってはいないと思う。しかし、大人に対して何という不遜なことをしたのだろうと思っていた。大仰なことをしなくても、後で叔父に言えば済むことであった。
 洋平は、自分が筋目を通す人間であることを周囲に知らしめると同時に、そのような自分自身に酔いしれていただけだったと後悔していた。結果的に、綿屋まで巻き込んで叔父の昌造に恥を掻かせてしまったことを深く反省していたのだった。
 洋平は、美鈴の感想が気になって仕方がなかった。大人から見れば、子供ながらたいしたものだということになっても、彼女には傲慢と映ったかもしれないのだ。
 洋平が顔色を窺うと、彼の心中を察したように美鈴が口を開いた。
「ちょっと偉そうにしすぎだね」
 やはりそうか、と洋平は肩を落とした。
「でも、そういうことがわからない人よりずっと好きだよ」
「本当?」
「うん」
 美鈴は優しく微笑んだ。 
 彼女のことだから気を使ったのかもしれないが、それでも洋平は、ほっと安堵の息を吐いたのだった。

 時計の針が二十時を指し、辺りはとっぷりと夜の帳に包まれていた。
 普段はひっそりとしている村中に、海岸の方から流れてくる盆踊りの口説きと太鼓の音に混じって、子供たちのはしゃぐ甲高い声が行き交っていた。
 洋平と美鈴は西の縁側に腰掛け、墓地を眺めていた。東斜面全体に鏤められた数百の灯篭に先祖の霊の迎え火が灯り、暗闇の中に妖しくも霊妙な揺らめきが浮かび上がっていた。
「ここからはお墓全体が見えて、とても綺麗。ねえ、洋平君ちのお墓ってどの辺?」
「頂上の松のすぐ右側」
 洋平の指差した先には、灯篭の灯りにまるで墓地全体を覆いつくす傘のような松の巨木がうっすらと浮かび上がっていた。
「ふーん。うちは真ん中の左側……。ねえ、洋君。どうしてお盆には灯篭に火を灯すの」
「そいは、お盆に帰ってござるご先祖様をお迎えするためだが」
「お盆って、本当に死んだ人の霊が帰って来るのかなあ」
 それはそうだ、と洋平は当たり前のように言う。
「だけん、霊魂が迷わんようにと、火を灯して明るくしちょうのだけん」
 賢しらな口調で答えた洋平を、まるで咎めるかのように、美鈴の独り言が洋平の胸を突き刺した。
「もし私が死んだら、どこに帰るのかなあ? 東京かなあ? 大阪かなあ? 私、ここに帰って来たいなあ」
 とても物悲しい響きだった。
 洋平が心臓を鷲摑みされたような痛みを覚えたほどだった。言葉を失った彼が、無言のまま横を向くと、遠くを見つめる美鈴の目が潤んでいるように見えた。
 何という悲しい表情なのだろうか。
 洋平は、これほど憂いを帯びた美鈴を見たのは初めてだった。
 いったい何が、彼女を追い詰めているというのか。
 洋平は美鈴に触れたかった。彼女の手を握り、あるいは肩を抱いて己の温もりで少しでも彼女が抱く不安と憂いを取り除いてやりたかった。          
 だがこのとき、洋平は手を伸ばせば容易に触れることができる近さにいながら、決して渡ることのできない大河の流れのような、二人の心を隔てる絶望的な何者かの存在を意識した。
 洋平は、胸の奥で得体の知れない不安が広がっていくのがわかった。
「なーんてね。どお? お芝居上手でしょう」
 凝っと見つめていた洋平に向かって、美鈴はお茶目に言った。先刻の表情は跡形もなく消え去り、いつもの彼女に戻っていた。
――今のは芝居なのか?
 洋平の頭は混乱を極めた。何が芝居で、何が真実なのかわからなくなっていた。

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