鈴蛍

久遠

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 洋平は覚仙との話を終えると、縁側にいた隆夫の横に座った。庭の燈篭のぼやけた明かりは、先ほどまで降っていた雨で、生命の営みを吹き返したかのような瑞々しい緑の草木を照らし出していた。
「なあ、隆夫。鈴ちゃんがわいのところに頼みに行ったのは、おらとわいを仲直りさせる意図もあったと思うか?」
 うーん……、と隆夫は腕を組んだ。
「それは、おらにもわからんなあ……。だいてが、あのときの美鈴は必死だったがな。どんなつもりだったかはわからんけんど、あいつが真剣にわいのことを想っちょったのは間違いないな。それがおらにもひしひしと伝わってきたがな。だけん、おらはちょっと事情があったけんど、わいたちの力になろうと思ったんだが」
「事情って、なんだ?」
「ほ、ほら、足を怪我しちょっただろう……」
 隆夫は動揺を押し隠すように言い、
「それより、おらはそこまで美鈴に好かれちょうわいが羨ましかったがな」
 と話をすり変えた。
 ああ、と洋平は頷く。
「それはおらの想いも同じだったがな。だいてが、今はそれが反って辛いんだが。お互いに、もっといい加減で浮ついた想いだったら、こがいに辛い思いをせんで済んだだが……」
「わいの気持ちはようわかるけんど、そこだ、そこが大事なんだがな、洋平。それを乗り越えていかないけんのだがな」
 隆夫の言葉には、真実の重みがあった。
 そうなのだ。彼はわずか八歳のときに、祖父と父を一緒に亡くしていたのだ。洋平は、そのときの彼の悲しみと今の自分の悲しみを対比するという愚考に奔るつもりはないが、少なくとも大きな悲しみを乗り越えて来た彼の言葉は、十分な説得力をもって心に響いていた。

 いよいよ精霊舟の出船となった。仏壇に供えられていた全ての蝋燭、線香、果物、お菓子に加えて小銭とお米が中に詰められた。
 覚仙を先頭にした一行は、定刻どおりに大工屋を出て岸壁へと向かった。
 洋平は美鈴の精霊舟を担いでいた。
 チーン……、チーン……。
 読経の合間の物悲しいリンの音が、深い夜のしじまに鳴り響いていた。この世の儚さを知らしめるかのような音色が、洋平の耳を通して身体の隅々まで染み入り、彼に美鈴と同船した昨夏の精霊舟流しの記憶を呼び起こした。

 洋平と美鈴は覚仙のすぐ後を歩いていた。
 二十人ほどの参列者は、行列を作り海岸通りを岸壁へ向かって歩いた。時を同じくして、初盆を迎えた家々の親族らが、村のあちらこちらから岸壁を目指していた。
 この厳かな行事を迎え、盆踊りは一旦中断していた。道中で出会った人々は、一様に身体を隅に寄せて道を譲り、手を合わせながら無言でお辞儀をした。
 岸壁のあちらこちらで、船のエンジンが鳴り響いていた。どの船もイカ釣り用のランプを点けていたため、辺りは昼間と見間違うほどの明るさだった。
「波はどげな?」
 誰かがこの船を操縦する者に聞いた。
「さっき、ちょっと八島の先まで出てみたけんど、まあまあ凪だったが」
 洋平はその言葉に安堵した。空はすでに平穏になっていたが、波は遅れて静まる。時化が残っていると、初めて船に乗る美鈴の船酔いが心配だったのだ。
 供の者が次々と船に乗り込んだ。曾孫である律子は、中央の精霊船の傍に洋平と美鈴は艫に乗った。
 艫綱を外し、船が進み始めてまもなく、洋平は美鈴に左手を見るように合図をした。頼りない月明かりの中で、二人が初めて出遭った集合場所から小浜までが、かすかに一望できた。そこから視線を上にやると、初めてのキスをした丘がうっすらと浮かび上がって見え、二人は目を合わせて微笑みあった。
 美保浦湾の波は穏やかだったが、防波堤を過ぎた辺りから、少しずつ波が高くなっていった。それでも、まだ東の方向に進んでいるため、さほどのことではなかった。さらに東へ進み、左手に見える二つ目の島の八島を過ぎた辺りで、舵を北に切って、本格的な外洋に出た。
 凪とは言うものの、さすがに外洋である。途端にうねりを見せ始め、立っていることが難しくなった。ときどき波がまともに舳先とぶつかると、その衝撃はたとえ座っていても、何かを掴んでいないとよろけてしまうほどで、そのとき生じた波しぶきが、大粒の雨のように降り掛かってきていた。
 美鈴が、洋平の腕にしがみついた。
「大丈夫? 酔ってない?」
 洋平は、もう片方の手で、船の安全マストをしっかり掴みながら、美鈴を注視した。
「まだ、大丈夫。あとどれくらい進むの」
「もうちょっとだと思う。前に乗ったとき、このあたりで止まったから」
 洋平がそう言ってまもなく、予想通りにエンジンの音が小さくなり、船は減速し始め、やがて完全に止まった。
 船が止まると、一層縦揺れを大きく感じる。船に慣れていない者は、これで酔ってしまうのだ。船に乗り始めた頃、いつも船酔いをしていので、洋平はその辛さを知っていた。心配げに美鈴の様子を覗った洋平だったが、意外にも彼女は平然としていた。船酔いに強い体質なのだろう。
 辺りを見回すと、何艘もの船が屯していて、すでに幾つもの精霊舟が波間に漂っていた。
 再び覚仙の読経が始まった。
 船の揺れに立っていることができないため、皆腰を落とし手を合わせて祈った。短めの読経終わると、いよいよ精霊舟を海に流す段になった。大きな船だと、その分だけ海面までの距離があるため、精霊舟がひっくり返らないように、慎重に下ろさねばならない。
「ちゃんと、黄泉の国へ帰だじぇ」
「来年のお盆にも帰って来てごしないよ」
 故人と縁の深かった人たちは、口々にそう言って見送った。
 不思議なもので、そこかしこに散らばって漂っていたはずの精霊舟が、波間を漂うにつれて、どれも一点を目指して、寄り添いながら進んでいるように見えた。
 それはまるで、遠い波間の先に西方浄土への入り口があり、そこに引き寄せられているかのようであった。

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