鈴蛍

久遠

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終章(1)

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 あれから二十数年という歳月が過ぎ去った。
 この年になってみると、洋平は美鈴と過ごした日々が現実のものであったか、ときどき疑いたくなるときがある。
 彼女と恋に落ち、ときめき、喜びに胸弾ませたことも、彼女の死に臨み、嘆き、悲しみに哭き暮れたことも、全てが夢の中の出来事であったような気がしてならないのだ。
 現在では、それほどまでに美しい思い出と昇華し、彼の心を豊かなものにしている。光の届かぬ海底に眠る真珠の如く、密かにしかし確実に彼の心を灯し続けてくれているのである。
 美鈴の死後何年か経って、洋平はようやく彼女の最後の優しさに気が付いた。それは、突如彼女が連絡を断ったことである。
 当初それを、美鈴の心が離れていったのだと誤解した洋平は、初めて失恋の痛手を味わったのだが、よくよく思い返してみれば、そのとき受けた心の痛みこそが、まるで予防接種のように、永遠の別れという格段に大きな悲しみに耐え得る免疫となっていたのである。洋平は、それこそ美鈴が死に臨んで、自分に向けた渾身の愛だと確信した。
 洋平はまた、あのとき手紙をすぐに読ませてくれた母にも、いつしか感謝をするようになった。もっと後になって、中学生になり、美鈴が頭の片隅に追いやられたときであったならば、もっと悲しみは小さかったかもしれない。新しい恋に落ちていたならばなおさらであったろう。
 だが、あのとき大きな悲しみを受けたお陰で、美鈴との思い出は彼の心の最も深いところに刻み込まれることになった。この先老いが来て、少しずつ記憶を無くすようなことがあったとしても、最後の最後まで残っているであろうと思うほど奥深きところに……。

 洋平は真にこう思う。
 美鈴と過ごしたあの夏の日は、僅か二十日間という短い時間だった。そして、二人はまだ十二歳という子供だった。しかし短い時間であったからこそ、人生の中で最も濃密で充実した時を過ごし、幼い初恋であったからこそ、爪の先ほどの打算も無い純粋なひたむきさがあった。
 そして、あの大きな悲しみがあったからこそ、彼女との思い出はいつでも、より切なくより悲しくより懐かしく、そしてより鮮やかに甦り、いつの頃からか心の大切な宝物となっているのだ。
 それは、あのお盆の夜、いみじくも美鈴が言った言葉の通りに、彼女は今でも私の心の中で燦然と輝きを放ちながら、美しく生き続けているということになるのであろう、と。
 また、ときどきこのように考えることもある。
 十二歳で命を絶たれた美鈴は、さぞや無念であったろう。もっと長く、夢や希望を抱いて、精一杯生きたかったに違いない。しかし見方を変えれば、彼女は自分との恋の中で命を燃やし尽くし、死出の旅に着くまで、輝きを失わずに生き抜いたとも言えるのではないだろうか。
 それに比べ、命を永らえている自分は、その後の人生の中で、いったい何ほどのものを勝ち得たのであろうか。日々の生活に追われ、虚しく時を費やし、人が生きることの意味さえ、露ほどにも見出すことができず、苦悩の中に生きている。
 そのような自分から見れば、はたしていったいどちらの人生が幸福なのだろうかとさえ思えてならない。
 人が例外なく死を迎えることはこの世の真理である。したがって、およそ人の生涯はその長短で推し量られるものではないとは思うが、ではその価値をいったい何に求めれば良いというのであろうか。自分には、未だ答えが見つかっていない。
 だが、神は彼女の人生を早々と絶ち、自分はまだこうして生きている。これにはきっと意味があるのだろう。何らかの神の意思が働いているのであろう。そうだとするならば、自分はその答えを求め続けて生きて行くこと以外に道はないのかもしれない、と。

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