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風雨はずいぶんと弱まっていた。どうやら嵐は峠を越したようだ。
洋平は涼を取るため起き上がった。
「ちょっと、大きいな」
と苦笑いをしながらパンツをずり上げた。隆夫のパンツが大きいのだ。
縁側の雨戸を少しだけ開けた、そのときだった。待ち受けていたかのように、一匹の蛍が彼の頬を掠めながら中に入り込み、隆夫の遺影に留まった。
「おっ、蛍だ」
「うそ。蛍なんているはずないじゃない」
律子は取り合わなかった。彼女もまた、下着姿で横たわっていた。洗濯したというのは嘘で、着替えを持参していた。
「本当や。遺影に留まっている」
「まさかあ、さっきまで暴風雨だったのよ」
と上半身を起こし、半信半疑で遺影に目を遣った律子が驚愕した。
「し、信じられない」
「きっと隆夫が戻って来たんやな。そうでなきゃあ、律子の言う通りこんな天気なのに、蛍が飛ぶはずないものな」
そうね、と律子は神妙に肯いた。
「今頃、蛍がいること自体が不思議だしね」
「隆夫も蛍とは縁があるからな。きっと姿を変えて戻って来たんだ」
洋平は布団に戻ると、律子の横で仰向けになった。
「蛍との縁ねえ……」
律子が記憶を辿るように言った。
「洋平君、貴方と美鈴ちゃん、お盆の夜に蛍狩りに行ったでしょう」
「なんでそれを?」
知っているのか、と洋平は訊いた。
「隆夫君に訊いたのよ」
「隆夫に? 嘘やろう」
洋平は釈然としない顔をした。
「本当よ。彼、私も誘いに来たんだけど、断ったの。それどころか……」
「どないした」
「私は二人の冒険の妨害をしたの」
「妨害って……」
「隆夫君ね。足を怪我なんかしていなかったの。私が、隆夫君に行くのを止めるように頼んだの。そうすれば、洋平君たちも諦めると思って」
洋平は、なるほどという顔をした。
「それで合点がいった。あの隆夫が、磯で足の裏を切るへまなんかするはずないもんな」
「彼ね、ずいぶんと悩んだ末に、あんな狂言を思い付いたんだと思うわ」
「俺たちの様子を窺っていたのは、罪滅ぼしという気持ちもあったんやな」
「どういうこと?」
律子が訝し気に訊いた。
「隆夫は、鈴ちゃんに頼まれたからと彼女の初盆のときに告白しよった」
「美鈴ちゃんがそんなことを……」
「せやけど、隆夫は律子のことはなんも言わんかったで」
「約束は守ってくれたんだ」
「あいつらしいな」
「でも、結局貴方たちは諦めなかった」
「せやったな」
「それどころか、貴方は別の策略も見事に突破したわ」
「別の策略? まさか……」
洋平は律子の横顔を見つめる。
律子はゆっくりと頷いた。
「そう。トラお祖母ちゃんに泣き付いたのは私なの」
「そうか。おばさんたちを問い質したんやが、誰が犯人かわからなかったんや。律子だったとはなあ」
なるほど盲点だった。律子の母はトラの次女であり、そもそも孫の律子と洋平の縁組を望んだのはトラであった。
「怒った?」
天井を見つめたまま、不安げな声で訊いた律子の髪を洋平が右手で撫でた。
「なんでいまさら」
「私、とんだピエロだったわ。障害があればあるほど、恋は燃え上がるものだと知らずに、せっせと油を注いでいたんだから」
しかし……、と洋平は首を傾げた。
「トラ大伯母さんはともかく、よく隆夫が君の言うことを聞いたな」
「ばかね。彼は私のことが好きだったの。だから、なんでも言うことを聞いてくれたわ」
「せやから、蛍狩りのことも君だけには話をしたのか」
洋平は秘密を約束した隆夫が、律子に暴露した理由もようやく理解した。
「だからね、隆夫君が貴方に対して挑戦的だったのは、私が貴方のことを好きだったからよ」
「せやったのか……。俺はてっきりあの不幸な海難事故が原因だと思っていたんや」
「もちろん、それもあったと思う。あの悲劇は彼の心を深く傷付けたから……」
律子の顔が物悲し気なものに変わった。
洋平は涼を取るため起き上がった。
「ちょっと、大きいな」
と苦笑いをしながらパンツをずり上げた。隆夫のパンツが大きいのだ。
縁側の雨戸を少しだけ開けた、そのときだった。待ち受けていたかのように、一匹の蛍が彼の頬を掠めながら中に入り込み、隆夫の遺影に留まった。
「おっ、蛍だ」
「うそ。蛍なんているはずないじゃない」
律子は取り合わなかった。彼女もまた、下着姿で横たわっていた。洗濯したというのは嘘で、着替えを持参していた。
「本当や。遺影に留まっている」
「まさかあ、さっきまで暴風雨だったのよ」
と上半身を起こし、半信半疑で遺影に目を遣った律子が驚愕した。
「し、信じられない」
「きっと隆夫が戻って来たんやな。そうでなきゃあ、律子の言う通りこんな天気なのに、蛍が飛ぶはずないものな」
そうね、と律子は神妙に肯いた。
「今頃、蛍がいること自体が不思議だしね」
「隆夫も蛍とは縁があるからな。きっと姿を変えて戻って来たんだ」
洋平は布団に戻ると、律子の横で仰向けになった。
「蛍との縁ねえ……」
律子が記憶を辿るように言った。
「洋平君、貴方と美鈴ちゃん、お盆の夜に蛍狩りに行ったでしょう」
「なんでそれを?」
知っているのか、と洋平は訊いた。
「隆夫君に訊いたのよ」
「隆夫に? 嘘やろう」
洋平は釈然としない顔をした。
「本当よ。彼、私も誘いに来たんだけど、断ったの。それどころか……」
「どないした」
「私は二人の冒険の妨害をしたの」
「妨害って……」
「隆夫君ね。足を怪我なんかしていなかったの。私が、隆夫君に行くのを止めるように頼んだの。そうすれば、洋平君たちも諦めると思って」
洋平は、なるほどという顔をした。
「それで合点がいった。あの隆夫が、磯で足の裏を切るへまなんかするはずないもんな」
「彼ね、ずいぶんと悩んだ末に、あんな狂言を思い付いたんだと思うわ」
「俺たちの様子を窺っていたのは、罪滅ぼしという気持ちもあったんやな」
「どういうこと?」
律子が訝し気に訊いた。
「隆夫は、鈴ちゃんに頼まれたからと彼女の初盆のときに告白しよった」
「美鈴ちゃんがそんなことを……」
「せやけど、隆夫は律子のことはなんも言わんかったで」
「約束は守ってくれたんだ」
「あいつらしいな」
「でも、結局貴方たちは諦めなかった」
「せやったな」
「それどころか、貴方は別の策略も見事に突破したわ」
「別の策略? まさか……」
洋平は律子の横顔を見つめる。
律子はゆっくりと頷いた。
「そう。トラお祖母ちゃんに泣き付いたのは私なの」
「そうか。おばさんたちを問い質したんやが、誰が犯人かわからなかったんや。律子だったとはなあ」
なるほど盲点だった。律子の母はトラの次女であり、そもそも孫の律子と洋平の縁組を望んだのはトラであった。
「怒った?」
天井を見つめたまま、不安げな声で訊いた律子の髪を洋平が右手で撫でた。
「なんでいまさら」
「私、とんだピエロだったわ。障害があればあるほど、恋は燃え上がるものだと知らずに、せっせと油を注いでいたんだから」
しかし……、と洋平は首を傾げた。
「トラ大伯母さんはともかく、よく隆夫が君の言うことを聞いたな」
「ばかね。彼は私のことが好きだったの。だから、なんでも言うことを聞いてくれたわ」
「せやから、蛍狩りのことも君だけには話をしたのか」
洋平は秘密を約束した隆夫が、律子に暴露した理由もようやく理解した。
「だからね、隆夫君が貴方に対して挑戦的だったのは、私が貴方のことを好きだったからよ」
「せやったのか……。俺はてっきりあの不幸な海難事故が原因だと思っていたんや」
「もちろん、それもあったと思う。あの悲劇は彼の心を深く傷付けたから……」
律子の顔が物悲し気なものに変わった。
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