鈴蛍

久遠

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「ねえ、洋平君。隆夫君の自殺は本当に病気を苦にしてだと思う?」
「なに、どういうことや」
 洋平は上半身を起こして、律子を見詰めた。
「今、貴方が言ったあの海難事故が原因だと思うの」
「海難事故がなんで……」
 隆夫の自殺に繋がるのか、と訊いた。
「彼ね、あの事故は自分のせいだとずっと悔やんでいたの」
「自分のせいって、隆夫は船に乗っていなかったのに、か?」
 そう、と律子は小さく顎を引いた。
「あの日、漁の途中で時化になったので、他の船はさっさと帰港したんだけど、彼のお祖父さんとおじさんの船だけが漁を続けていたの。漁協は、無線を入れて帰港を促したんだけど、ちょうど延縄(はえなわ)を流したばかりで、魚が食い付くまで待っていたのね」
「延縄なら、最低でも一時間ぐらいは待つやろうな」
 延縄というのは一本の幹縄に多数の枝縄をつけ、枝縄の先端に釣り針をつけて海に流す漁法である。
「二人がそんな危険を冒した理由はね、隆夫君が自分の部屋が欲しいので、家を新築するよう頻りにせがんだから、ということらしいの」
「こんな広い家だから、隆夫の部屋ぐらいあっただろう」
「彼ね、洋室の部屋が欲しかったのよ。自分の部屋があっても、和室じゃあ、出入り自由でしょう」
「せやな。洋室の部屋が貰えたときは、俺も嬉しかったのを憶えている」
「隆夫君はね、洋平君が羨ましかったらしいの。それで、おじさんに新築するように、何度もせがんだのよ」
「わかる気もするけど、それだけの理由で無理な漁をするかな」
「もちろん新船建造の借金もあったし、それだけが理由ではないと思うけど、幼い隆夫君は自分のせいだと思い込んでしまったのね」
「じゃあ、なにか。隆夫は、自分が二人を殺してしまったと?」
「私、おばさんから頼まれたことがあったの。自分がいくら言っても隆夫君が聞かないので、私から言い聞かせて欲しいと」
「おばさんは、隆夫の苦しみに気付いていたんやな」
「そういうことね。でも彼は、うわべではわかったと言ったけど、結局自分を責め続けていたのね」
「隆夫は、そのトラウマから開放されたかったということか」
「あくまでも、私の推測だけどね」
 なるほどな、と洋平は頷いた。あの隆夫が病気ぐらいで自殺などするはずがない、との心の痞えが取れた気がしたのである。
「まさか、俺と同じ苦悩を抱えていたなんて、知らんかったな……」
 洋平は律子に聞えないように呟いた。
「なに? なんて言ったの」
「なんでもあらへん。せやけど、隆夫が急に俺と友好的になったのはなんでや」
 洋平は話を変えた。
「貴方が美鈴ちゃんを好きだと知って、二人が仲良くなれば、私が貴方を諦めて、自分に振り向いてくれるかもしれないと思ったからよ」
「じゃあ隆夫は、君の言うことを聞いて俺と鈴ちゃんの邪魔をすれば、俺と君の中が復活するかもしれないし、言うことを聞かなければ君に嫌われるという、どちらにしても報われることのない立場にいたのか」
「私、彼に酷いことを強いていたわ」
「俺だって、なんもわかってやれんかったなあ」
 二人はどちらともなく起き上がると、遺影に線香を手向けた。そのとき、蛍は姿を消していた。
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