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「ところで洋平君、会社はどうするつもりなの」
「どうするって」
「危ないんでしょう、会社」
「いや……。うん、そうだけど。どうして」
「知っているか、でしょう。隆夫君から聞いたの。もっとも彼も詳しいことまでは知らないようだったけどね」
「……」
「事情が飲み込めないようね。隆夫君はね、何かのときに里恵おばさんから貴方の会社が危ないことを聞いたらしくて、それ以来ずっと気に掛けていたのよ」
「隆夫が……」
なんてことだ、と洋平は唇を噛んだ。病床の隆夫を見舞わなかったのは、傾いた会社に苦悩する姿を彼に見せたくなかったからなのだ。つまり、隆夫に対する見栄が洋平の足を遠のかせていたのである。
「彼、死を覚悟したときから、遺産をどうするか考えていたのね」
「遺産?」
「二億もあるのよ」
「二億だって!」
洋平は仰天した。いくら、高収入だったとしても想像も付かない金額だった。
「隆夫には、親の借金があったやろう」
「そんなもの、七年で返済したらしいわ。その後、三十前で弁才師に抜擢されていたから給料も良かったし、生命保険を合わせるとそれくらいになるの」
隆夫は借金を返済するため、中学を卒業と同時に恵比寿水産で漁師を始めていた。
「贅沢をしていなかったということか」
「酒は嗜む程度だったし、タバコも吸わなかった。パチンコや競馬といったギャンブルには見向きもしなかったらしいの。そうね、お金を使うことと言ったら、たまに風俗へ行くぐらいかしら」
「独身なら、それくらいは仕方がないな」
洋平は、決まりが悪そうに律子から目を逸らした。
一方で、洋平は腑に落ちていた。いまでもこの辺りの村では、月に六、七万円もあれば生活自体はできる。皆、持ち家なので家賃がいらないし、土地が安いので固定資産税も少額である。
なにより美保浦は村全体が一つの大きな家族のようなところがあり、魚や野菜を隣近所に分け与えるからだ。むろん、贅沢さえしなければという前提である。
ただ、難点もある。
交通の便が悪いので乗用車が必需品であることと、家族的であるがゆえに、冠婚葬祭、特に葬儀の香典は多額になった。それでも独身の隆夫ならば、月に二十万円もあれば結構な暮らしができただろう。二十五歳を過ぎてからの彼の年収は、少なくても千五百万円は下らないと思われた。二億円という遺産は、贅沢さえしなければ考えられない額ではなかった。
「それに、彼は家族がいないでしょう」
「いや、兄貴がいるやろう」
「フィリピンにいるらしいけど、連絡も無いし、遺産を相続させる気はなかったみたいね」
「疎遠だったからな」
「それだけじゃないわ」
「え?」
「お兄さんとは血が繋がっていないの」
「本当か」
洋平は初めて聞く話だった。
「ずっと子供ができないので、遠縁から養子に貰ったらしいわ。ところが、二年後に隆夫君が生まれたの」
「なるほど、疎遠だった理由はそれか」
子供に恵まれない夫婦が養子を娶った後に、実子が生まれるというのはよくある話である。
隆夫の兄は、隆夫が生まれたため、必ずしも家を継ぐ必要がなくなったし、借金を背負わされるのは御免だと、高校を卒業すると家を出て行ってしまったのだった。
「だから、一旦は福祉施設にでも寄付をするつもりだったらしいけど、貴方の事情を知って、気が変わったのね」
「どういうことや」
「貴方も鈍い人ね。そんなんだから会社が傾くのよ」
咎めるように言った律子に洋平は苦笑いを返した。
「お前、案外きついな」
「嫌い?」
「いいや。それくらいの方がええな」
「そう、良かった」
律子はほっと息を一つ吐く。
「それでね、彼は自分に何かあったら、遺産を私に託すと言い出したの。自分のものにするか、洋平君の事業に投資するかの判断は任せるってね」
なるほど、と洋介が肯いた。
「それで君は、隆夫の死を知ったとき、すぐに自殺だと思っていたんだな」
「うん。でも、言われたときはてっきり冗談だと思っていたの。だから弁護士から連絡があったときはとても驚いたわ」
「せやけど、なんで君に遺産を預けたんだ」
「やっぱり、鈍感ね」
律子が呆れ顔で言う。
「彼は、ずっと私を忘れられなかったの」
「もしかして、隆夫が独身を通した理由はそれか」
「そうかもしれないわ。十三年前に借金を完済したときと、私が離婚したときの、二度求婚されたけど、断ったの」
「なんでや……。いや、ええ」
言い掛けて、愚問だと気づいた。
「せやったら、卓也とはどうして一緒に」
「昼間も言ったように実家の居心地が悪くなったのと、彼は松江に住んでいたからかな」
「松江? ようわからんなあ」
「隆夫君は恵比寿水産の漁師だったのよ。恵比寿家と実家の濃い結び付きのうえに、彼と夫婦になれば、それこそ一生、恵比寿家との、つまり貴方との腐れ縁から逃れなくなるじゃない。私は一緒になれないのなら、貴方との想い出があるこの村から離れたかったの」
「だったら、二人で他所へ行けば良かったじゃないか」
「おばさんは病気勝ちだったのよ。隆夫君にそんな親不孝なことができると思う」
「ああ、そうか……」
たとえ健康であっても、苦労に苦労を重ねた母親に一人暮らしをさせるなど、隆夫にできるはずもなかった。
それから一年後、母の病死で隆夫は自由の身となったが、不運なことに、その直後に彼自身が肺気胸となってしまった。そのとき隆夫は、律子と一緒になる権利を完全に無くしたと思ったのだという。
「なんだか皮肉だな」
洋平はやるせない思いだった。
「本当だわ。私が貴方、隆夫君が私。永遠に交わることのない道をそれぞれが歩いていたのね」
「そうやな」
「でも、美鈴ちゃんが一番ずるいよね。貴方の心を奪ったまま、逝ってしまうんだもの。これじゃあ、一生太刀打ちのしようがないわ」
律子は恨みがましく言った。
「どうするって」
「危ないんでしょう、会社」
「いや……。うん、そうだけど。どうして」
「知っているか、でしょう。隆夫君から聞いたの。もっとも彼も詳しいことまでは知らないようだったけどね」
「……」
「事情が飲み込めないようね。隆夫君はね、何かのときに里恵おばさんから貴方の会社が危ないことを聞いたらしくて、それ以来ずっと気に掛けていたのよ」
「隆夫が……」
なんてことだ、と洋平は唇を噛んだ。病床の隆夫を見舞わなかったのは、傾いた会社に苦悩する姿を彼に見せたくなかったからなのだ。つまり、隆夫に対する見栄が洋平の足を遠のかせていたのである。
「彼、死を覚悟したときから、遺産をどうするか考えていたのね」
「遺産?」
「二億もあるのよ」
「二億だって!」
洋平は仰天した。いくら、高収入だったとしても想像も付かない金額だった。
「隆夫には、親の借金があったやろう」
「そんなもの、七年で返済したらしいわ。その後、三十前で弁才師に抜擢されていたから給料も良かったし、生命保険を合わせるとそれくらいになるの」
隆夫は借金を返済するため、中学を卒業と同時に恵比寿水産で漁師を始めていた。
「贅沢をしていなかったということか」
「酒は嗜む程度だったし、タバコも吸わなかった。パチンコや競馬といったギャンブルには見向きもしなかったらしいの。そうね、お金を使うことと言ったら、たまに風俗へ行くぐらいかしら」
「独身なら、それくらいは仕方がないな」
洋平は、決まりが悪そうに律子から目を逸らした。
一方で、洋平は腑に落ちていた。いまでもこの辺りの村では、月に六、七万円もあれば生活自体はできる。皆、持ち家なので家賃がいらないし、土地が安いので固定資産税も少額である。
なにより美保浦は村全体が一つの大きな家族のようなところがあり、魚や野菜を隣近所に分け与えるからだ。むろん、贅沢さえしなければという前提である。
ただ、難点もある。
交通の便が悪いので乗用車が必需品であることと、家族的であるがゆえに、冠婚葬祭、特に葬儀の香典は多額になった。それでも独身の隆夫ならば、月に二十万円もあれば結構な暮らしができただろう。二十五歳を過ぎてからの彼の年収は、少なくても千五百万円は下らないと思われた。二億円という遺産は、贅沢さえしなければ考えられない額ではなかった。
「それに、彼は家族がいないでしょう」
「いや、兄貴がいるやろう」
「フィリピンにいるらしいけど、連絡も無いし、遺産を相続させる気はなかったみたいね」
「疎遠だったからな」
「それだけじゃないわ」
「え?」
「お兄さんとは血が繋がっていないの」
「本当か」
洋平は初めて聞く話だった。
「ずっと子供ができないので、遠縁から養子に貰ったらしいわ。ところが、二年後に隆夫君が生まれたの」
「なるほど、疎遠だった理由はそれか」
子供に恵まれない夫婦が養子を娶った後に、実子が生まれるというのはよくある話である。
隆夫の兄は、隆夫が生まれたため、必ずしも家を継ぐ必要がなくなったし、借金を背負わされるのは御免だと、高校を卒業すると家を出て行ってしまったのだった。
「だから、一旦は福祉施設にでも寄付をするつもりだったらしいけど、貴方の事情を知って、気が変わったのね」
「どういうことや」
「貴方も鈍い人ね。そんなんだから会社が傾くのよ」
咎めるように言った律子に洋平は苦笑いを返した。
「お前、案外きついな」
「嫌い?」
「いいや。それくらいの方がええな」
「そう、良かった」
律子はほっと息を一つ吐く。
「それでね、彼は自分に何かあったら、遺産を私に託すと言い出したの。自分のものにするか、洋平君の事業に投資するかの判断は任せるってね」
なるほど、と洋介が肯いた。
「それで君は、隆夫の死を知ったとき、すぐに自殺だと思っていたんだな」
「うん。でも、言われたときはてっきり冗談だと思っていたの。だから弁護士から連絡があったときはとても驚いたわ」
「せやけど、なんで君に遺産を預けたんだ」
「やっぱり、鈍感ね」
律子が呆れ顔で言う。
「彼は、ずっと私を忘れられなかったの」
「もしかして、隆夫が独身を通した理由はそれか」
「そうかもしれないわ。十三年前に借金を完済したときと、私が離婚したときの、二度求婚されたけど、断ったの」
「なんでや……。いや、ええ」
言い掛けて、愚問だと気づいた。
「せやったら、卓也とはどうして一緒に」
「昼間も言ったように実家の居心地が悪くなったのと、彼は松江に住んでいたからかな」
「松江? ようわからんなあ」
「隆夫君は恵比寿水産の漁師だったのよ。恵比寿家と実家の濃い結び付きのうえに、彼と夫婦になれば、それこそ一生、恵比寿家との、つまり貴方との腐れ縁から逃れなくなるじゃない。私は一緒になれないのなら、貴方との想い出があるこの村から離れたかったの」
「だったら、二人で他所へ行けば良かったじゃないか」
「おばさんは病気勝ちだったのよ。隆夫君にそんな親不孝なことができると思う」
「ああ、そうか……」
たとえ健康であっても、苦労に苦労を重ねた母親に一人暮らしをさせるなど、隆夫にできるはずもなかった。
それから一年後、母の病死で隆夫は自由の身となったが、不運なことに、その直後に彼自身が肺気胸となってしまった。そのとき隆夫は、律子と一緒になる権利を完全に無くしたと思ったのだという。
「なんだか皮肉だな」
洋平はやるせない思いだった。
「本当だわ。私が貴方、隆夫君が私。永遠に交わることのない道をそれぞれが歩いていたのね」
「そうやな」
「でも、美鈴ちゃんが一番ずるいよね。貴方の心を奪ったまま、逝ってしまうんだもの。これじゃあ、一生太刀打ちのしようがないわ」
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