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「いや。そうでもないよ」
洋平はぽつりと零した。
「……」
律子が洋平に顔を向けたが、彼は天井を見つめたまま、
「夜が明けたら、鈴ちゃんの墓参りに行こうか」
と誘った。
「それは、良いけど……」
律子は怪訝な声で応じる。
「たぶん、鈴ちゃんのことは、一生忘れんと思うけど……、ええか?」
「そ、それってどういう意味……」
律子は上半身を起こして、覗き込むように洋平を見つめた。
「君も鈍感だな。大阪に来る気はあるかって訊いているんや」
瞠目する律子の瞳がたちまち涙で溢れた。
「君さえ良かったら、これからの人生を俺と一緒に歩まないか」
それは予想もしないプロポーズだった。
「どうかな」
洋平は、視線を律子に移した。
彼女はしばらく押し黙っていたが、やおら仰向けに戻ると、左手を天井に向けて突き上げた。
拳がゆっくりと握られた。
「そ、それは……」
洋平は絶句した。
「驚いた?」
「ああ……」
彼女の仕種は、洋平の琴線に鋭く触れた。彼は胸に懐かしさを抱きながら、自分の拳を律子のそれに軽くぶつけた。
「これね。美鈴ちゃんが教えてくれたの」
「……」
洋平には言葉が見つからない。
「私ね。美鈴ちゃんの命が短いことを知っていたの」
それは突然の告白だった。
「なんやて。いつ? どうして」
洋平は、驚愕の目で律子を見た。
「ひいお祖母ちゃんの精霊舟流しの夜に、彼女と二人きりになったのね」
「やっぱり、せやったか」
洋平は、やきもきしたあの夜を思い出した。
「私は美鈴ちゃんに文句を言うつもりだったの。洋平君の気持ちは取り戻せなくても、文句の一つでも言わなければ気がすまなかったの」
「あの頃の君からは、とても信じられんなあ」
美鈴が現れる前までの律子は、内気で従順な性格だったはずである。
「自分自身でも信じられなかった。でも、ずっと貴方のお嫁さんになるものだと信じ切っていたから、彼女の出現で私の心の箍が外れたんじゃいかな」
「それはわかるよ。俺も彼女と出会って、鎧を脱いだような気がしたからな」
うん、と律子が同調する。
「ところがね。一言も文句が言えなくなってしまったの」
「なんで」
「だって、マリア様のように優しい笑顔を浮かべているんだもの」
「マリア様か。せやな、彼女にはどこか神秘的なところがあった。今になって思えば、自分の死を予感し、苦悩と葛藤の末に辿り着いた心境が表れていたんやろうな」
「私が押し黙っているとね、美鈴ちゃんが拳を突き出したの」
「……」
「どういう意味か分からなくて呆然としていたら、『律子ちゃんも拳を作って当てて』って言ったの。私が言われたと通りにすると、『これが洋平君との秘密のサインだよ、これまでのように洋平君と仲良くしてあげてね』って言ったの。私、いまさらなにを言っているのって思ったけど、笑顔の中に涙を見たとき、『あっ。この子、いなくなっちゃうんだ』って直感したの」
「そうか。君は、たった一度で彼女の死を予感したんやな。それに比べ、俺は何度も彼女の不安な眼差しを目の当たりにしていながら、全く気付かんかった」
「仕方ないんじゃないの。それが恋だもの」
「違う。俺は、ただ逃げていただけやった」
洋平は自虐的に言った。
律子は掌を洋平の胸に当てた。
「美鈴ちゃんは、その方が良かったと思っていたんじゃないかしら。好きな人には心配を掛けたくないものよ」
「せやけど、彼女の心の支えになることができんかった」
「そんなことはない。彼女にとっては、洋平君の傍にいられただけで幸せだったと思うの」
「せやろうか」
「間違いないわ。彼女は死を覚悟していたというのに、とても穏やかな表情をしていたもの。それに……」
「なんや?」
「なんでもないわ」
律子は、今の私がそうだもの、と言おうとして口を閉じた。
「せやけど、誤解するなよ。遺産目当てで、一緒になるんやないからな」
洋平は沈んだ空気を吹き飛ばすかのように言った。
「馬鹿ね、わかっているわよ。そんな男だったら、好きにならないわ」
律子は、目頭を押さえながら苦笑いした。
「それにしても、ずいぶんと遠回りをしたもんやな」
「……」
感慨深げな声に、律子は黙って肯いた。
「隆夫の遺産は、君が預かっていたらええ」
「じゃあ、会社はどうするの」
「やっぱり、予定通り整理するわ」
「本当にそれで良いの」
「ああ。義兄貴も援助を申し出てくれたけど、きちんとけじめを付けて、君と一から人生をやり直すことにする」
洋平は、何かを吹っ切ったように言った。
白い陽差しと共に涼しい東風が入り込んできた。すでに嵐は遠く過ぎ去っていた。
「明るくなってきたわ。お墓参りの前に、一旦家に帰らなくちゃ」
律子は上半身を起こし、洋平を背にして言った。洋平は起き上がろうとする彼女の腕を掴み、胸に抱き寄せた。
「このまま、朝まで一緒にいよう」
「でも、誰か来たら……」
「構うもんか」
きっぱりと言った洋平の眦には、過去と決別し、未来を見据えた決意が宿っていた。
洋平はぽつりと零した。
「……」
律子が洋平に顔を向けたが、彼は天井を見つめたまま、
「夜が明けたら、鈴ちゃんの墓参りに行こうか」
と誘った。
「それは、良いけど……」
律子は怪訝な声で応じる。
「たぶん、鈴ちゃんのことは、一生忘れんと思うけど……、ええか?」
「そ、それってどういう意味……」
律子は上半身を起こして、覗き込むように洋平を見つめた。
「君も鈍感だな。大阪に来る気はあるかって訊いているんや」
瞠目する律子の瞳がたちまち涙で溢れた。
「君さえ良かったら、これからの人生を俺と一緒に歩まないか」
それは予想もしないプロポーズだった。
「どうかな」
洋平は、視線を律子に移した。
彼女はしばらく押し黙っていたが、やおら仰向けに戻ると、左手を天井に向けて突き上げた。
拳がゆっくりと握られた。
「そ、それは……」
洋平は絶句した。
「驚いた?」
「ああ……」
彼女の仕種は、洋平の琴線に鋭く触れた。彼は胸に懐かしさを抱きながら、自分の拳を律子のそれに軽くぶつけた。
「これね。美鈴ちゃんが教えてくれたの」
「……」
洋平には言葉が見つからない。
「私ね。美鈴ちゃんの命が短いことを知っていたの」
それは突然の告白だった。
「なんやて。いつ? どうして」
洋平は、驚愕の目で律子を見た。
「ひいお祖母ちゃんの精霊舟流しの夜に、彼女と二人きりになったのね」
「やっぱり、せやったか」
洋平は、やきもきしたあの夜を思い出した。
「私は美鈴ちゃんに文句を言うつもりだったの。洋平君の気持ちは取り戻せなくても、文句の一つでも言わなければ気がすまなかったの」
「あの頃の君からは、とても信じられんなあ」
美鈴が現れる前までの律子は、内気で従順な性格だったはずである。
「自分自身でも信じられなかった。でも、ずっと貴方のお嫁さんになるものだと信じ切っていたから、彼女の出現で私の心の箍が外れたんじゃいかな」
「それはわかるよ。俺も彼女と出会って、鎧を脱いだような気がしたからな」
うん、と律子が同調する。
「ところがね。一言も文句が言えなくなってしまったの」
「なんで」
「だって、マリア様のように優しい笑顔を浮かべているんだもの」
「マリア様か。せやな、彼女にはどこか神秘的なところがあった。今になって思えば、自分の死を予感し、苦悩と葛藤の末に辿り着いた心境が表れていたんやろうな」
「私が押し黙っているとね、美鈴ちゃんが拳を突き出したの」
「……」
「どういう意味か分からなくて呆然としていたら、『律子ちゃんも拳を作って当てて』って言ったの。私が言われたと通りにすると、『これが洋平君との秘密のサインだよ、これまでのように洋平君と仲良くしてあげてね』って言ったの。私、いまさらなにを言っているのって思ったけど、笑顔の中に涙を見たとき、『あっ。この子、いなくなっちゃうんだ』って直感したの」
「そうか。君は、たった一度で彼女の死を予感したんやな。それに比べ、俺は何度も彼女の不安な眼差しを目の当たりにしていながら、全く気付かんかった」
「仕方ないんじゃないの。それが恋だもの」
「違う。俺は、ただ逃げていただけやった」
洋平は自虐的に言った。
律子は掌を洋平の胸に当てた。
「美鈴ちゃんは、その方が良かったと思っていたんじゃないかしら。好きな人には心配を掛けたくないものよ」
「せやけど、彼女の心の支えになることができんかった」
「そんなことはない。彼女にとっては、洋平君の傍にいられただけで幸せだったと思うの」
「せやろうか」
「間違いないわ。彼女は死を覚悟していたというのに、とても穏やかな表情をしていたもの。それに……」
「なんや?」
「なんでもないわ」
律子は、今の私がそうだもの、と言おうとして口を閉じた。
「せやけど、誤解するなよ。遺産目当てで、一緒になるんやないからな」
洋平は沈んだ空気を吹き飛ばすかのように言った。
「馬鹿ね、わかっているわよ。そんな男だったら、好きにならないわ」
律子は、目頭を押さえながら苦笑いした。
「それにしても、ずいぶんと遠回りをしたもんやな」
「……」
感慨深げな声に、律子は黙って肯いた。
「隆夫の遺産は、君が預かっていたらええ」
「じゃあ、会社はどうするの」
「やっぱり、予定通り整理するわ」
「本当にそれで良いの」
「ああ。義兄貴も援助を申し出てくれたけど、きちんとけじめを付けて、君と一から人生をやり直すことにする」
洋平は、何かを吹っ切ったように言った。
白い陽差しと共に涼しい東風が入り込んできた。すでに嵐は遠く過ぎ去っていた。
「明るくなってきたわ。お墓参りの前に、一旦家に帰らなくちゃ」
律子は上半身を起こし、洋平を背にして言った。洋平は起き上がろうとする彼女の腕を掴み、胸に抱き寄せた。
「このまま、朝まで一緒にいよう」
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