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番外編 クロエとウィルヘルム

クロエの悩みごと

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人生二度目の平民生活は、順調とは言い難い。少しばかり人より勉強が出来たぐらいでは、大したことはできない。侯爵家で教えられたことと言えば、いかに男性に甘えて必要な情報を喋らすこととか、意のままに操ることとか、だったので、今の人生には全く役に立たないことばかりだ。

買い物をする時に、少しばかりおまけを貰えるぐらいの自分の現状に呆れてしまう。

それでも、いつ陥れられるか、とか殺されるか、とかそう言う不穏な恐れはなくなった。誰かの視線に怯える必要もない。私のことを知る人がいないと言うのはこんなにも気分が楽になるのだ。

兄のダミアンは、この国の王太子ルーカス殿下に、誘われて、文官候補生として、勉強を始めた。

自国では、王配になる予定だったので、兄は優秀だ。あちらにどんな思惑があるにしろ、兄を褒められるのは、単純に嬉しい。私にも、同じ話があったが、私は辞退した。

元々、勉強はあまり得意ではなかったし、王宮内にいると、どうしても色々忘れたいことを思い出してしまうからだ。私はゆっくりと身の振り方を考えたかった。




そんなある日、私は懐かしい顔を見つけた。

「何やってるの?」
私の顔を見るなり嫌そうに眉を顰めて、手で、あっち行け、と言う。

「そんなに嫌がらなくても良いでしょ?」
店主と短く言葉を交わし、足早に去ろうとする彼の服の裾を掴み、対話を試みる。

「王子には戻らなかったの?なんで?」
「なんでも何も、そう言う契約だ。」

仏頂面で、愛想のかけらもないが、クロエにとっては命の恩人だ。

「家、近いの?ご飯食べにこない?ご馳走するわよ?」

「……何が作れるんだ?」
「何でも。言ってくれたら、頑張って作るよ。ねえ、食べて行く?」

「まあ、今度な。今日はもうご飯を作ってもらってるし。」

「え、誰に?」
「誰でも良いだろう。じゃあな。」

クロエは彼の背中を見送って、彼の言う今度に想いを馳せる。

彼に料理を作る誰かは、どんな人だろう。もう女性を誑かしているのか、と呆れつつ、彼に会えたことが思いの外嬉しく思っていた。

元々誑かして隣国に連れて帰る対象だった馬鹿な王子は、会ってみてからだんだん印象は変わって行った。彼は真実の愛と引き換えに自分の王子と言う身分を捨てたけれど、そちらの方があっていたのではないだろうか。

昔の彼は、昔の私みたいな、我儘で性格の悪い女性が好きだったみたいだが、今は違うのかな。

既に演技を忘れてしまったけれど、今の私は、彼の目にどう映っているだろうか。





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