辺境伯はつれない妻を口説き落としたい

さくたろう

文字の大きさ
6 / 7

6 わたしは彼女のものだったのに

しおりを挟む
 恥の多い生涯を送って来ました。

 両親の顔も知りません。
 救貧院で育ちました。
 人生に意味はないということを、当然のように分かっていました。
 きっと大人になれずに死ぬのだろうと、先に楽になった同胞達を見て思っていました。

 転機が訪れたのは、七つの時です。
 孤児の中でわたしが選ばれたのは、ただ同性で、年が近く、物静かだったから。それだけの理由だったと思います。

 屋敷に連れて行かれると、見たこともないほど綺麗な女の子がいました。当時わたしは、あまり言葉を知りませんでしたから、お姫様のようだと思いました。

「ミア! あなたはこれから、わたくしのものよ!」
 
 炎のように燃える赤毛をしたエレノア様は、本当に嬉しそうにわたしを抱きしめてくれました。
 人は温かいのだと、そのとき初めて知りました。他の誰が、こんなわたしのことを抱きしめてくれるというのでしょう。わたしは、声を上げて泣きました。

 その瞬間、分かりました。人生に、意味はあったのです。
 エレノア様のためだけに、この人生はありました。

 エレノア様は、たくさんのことを、物知らずなわたしに教えてくれました。
 わたしは彼女によりよく仕えようと、家事の合間に勉強をして、武術を習い、淑女としての立ち回りを学びました。

 エレノア様は、時にわたしに手を上げました。それは彼女が寂しいときとか、悲しいときとか、どうしようもなく誰かに何かをぶつけたいときです。
 わたしは当然、受け止めました。
 彼女の痛みは、わたしの痛みだったからです。
 
 わたしたちの関係が変わったのは、エレノア様の婚約からでしょうか。

「わたくし、いつか王妃になるのかもしれないわ」

 エレノア様と婚約をされたウィリアム様には、ヒース様という兄がいらっしゃいました。だからエレノア様が王妃になることは、確率的にはあまりないでしょう。
 ですが幸せそうなエレノア様を見て、それこそ自分のことのように喜んだものです。

 エレノア様は、あまりわたしを気にかけなくなりました。
 どこへ行くのにも一緒だったのに、エレノア様がウィリアム様と行動を共にされている間は、置いて行かれることが多く、そんなときわたしは一人で過ごしました。彼女に叩かれなくなったので、わたしの体に痣はもうありません。
 
 寂しくなかったと言えば嘘になります。だけどそれ以上に、エレノア様が幸福であることを嬉しく思いました。

 雲行きが怪しくなったのはいつからでしょう。
 エレノア様は、ああいうお方です。人を熱烈に愛するのです。それが時に、殿方を困らせることを、わたしは後になって知りました。
 お二人の間に、何が起こったのか、わたしが詳細を知ることは、今日までありません。ですが、ウィリアム様は他の女性に心を奪われ、エレノア様に婚約破棄を言い渡しました。
 エレノア様が、素直に応じるはずもありませんでしたが、ウィリアム様はエレノア様を病気だと決めつけ、地方に戻るように言いつけました。その後すぐに、彼は別の女性と婚約しました。

 エレノア様は、ご自分で屋敷に火を放ちました。
 わたしが、用事を言いつけられ、外に出ていたときでした。

 炎に包まれ、しかしエレノア様は生き残りました。
 全身に火傷を負いながらも、彼女は言いました。

「ウィリアム様を、殺してやりたい――」

 わたしはエレノア様のものです。

 エレノア様の幸福は、わたしの幸福です。
 エレノア様の悲しみは、わたしの悲しみです。
 エレノア様の絶望は、わたしの絶望です。

 エレノア様は、泣きました。
 彼女の顔は火傷によりつっぱり、美しかった顔は、筋肉さえも動かせないほど変わり果て、涙さえ流すことはできませんでしたが、それでも泣いていたのです。わたしには分かります。

 わたしは一体、なんのために勉強をしてきたのでしょう。なんのために、武術を習ったのでしょう。
 すべてはエレノア様のためです。だってわたしは、彼女のために存在しているのですから。
 ですが彼女を守れませんでした。体も、心も――。

 衝撃だったのは、彼女の痛みの矛先が、わたしに向かわなかったことです。もはやわたしは彼女の影ではありませんでした。遂にそうでは、なくなってしまったのです。

 エレノア様が国王陛下から、ヒース様との結婚を言い渡されたのは、それからすぐのことでした。

 怒りが沸きました。
 未だ寝たきりのエレノア様が、どうやって結婚などすることができるのでしょう。醜聞を恐れた王家が、後始末のためにそうしたのは明白でした。

 エレノア様は言いました。
 自分の代わりに彼と結婚をして、ウィリアム様に復讐をする機会を待って欲しいと。

 彼女はわたしを頼りました。
 だから決めたのです。
 ウィリアム様を、殺そうと。
 エレノア様を、救うために。
 彼女の望みを、叶えることがわたしの望みでしたから。
 
 不安はありました。
 ヒース様が廃嫡された際に、エレノア様がこっそり理由を教えてくれましたから。
 殺される覚悟を決めて彼の元へとへ向かいました。

 ですが私が見たのは、荒れて、悲しんでいる孤独な人でした。
 
 初めてヒース様を見たとき、この世にこれほど美しい方がいるのかと驚きました。
 彼の不器用な優しさに触れる度に、わたしの心の中に浮かぶのは今まで誰にも感じたことのない恐怖でした。

 彼が笑うと嬉しかった?
 彼が幸福だと、幸福を感じた?

 分かりません。考えることさえ、わたしは怖かったのです。
 だって、彼といればいるほどに、エレノア様のことを考える時間が、少なくなっていくのですから。エレノア様が悲しんでいるのに、わたしだけ幸福なのは、おかしなことなのです。
 
 だから愛なんていらない。
 愛なんて……。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ブームに乗ってみた結果、婚約者様が本性を現しました

ラム猫
恋愛
『最新のトレンドは、婚約破棄!  フィアンセに婚約破棄を提示して、相手の反応で本心を知ってみましょう。これにより、仲が深まったと答えたカップルは大勢います!  ※結果がどうなろうと、我々は責任を負いません』  ……という特設ページを親友から見せられたエレアノールは、なかなか距離の縮まらない婚約者が自分のことをどう思っているのかを知るためにも、この流行に乗ってみることにした。  彼が他の女性と仲良くしているところを目撃した今、彼と婚約破棄して身を引くのが正しいのかもしれないと、そう思いながら。  しかし実際に婚約破棄を提示してみると、彼は豹変して……!? ※『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも投稿しています

白い結婚のはずでしたが、いつの間にか選ぶ側になっていました

ふわふわ
恋愛
王太子アレクシオンとの婚約を、 「完璧すぎて可愛げがない」という理不尽な理由で破棄された 侯爵令嬢リオネッタ・ラーヴェンシュタイン。 涙を流しながらも、彼女の内心は静かだった。 ――これで、ようやく“選ばれる人生”から解放される。 新たに提示されたのは、冷徹無比と名高い公爵アレスト・グラーフとの 白い結婚という契約。 干渉せず、縛られず、期待もしない―― それは、リオネッタにとって理想的な条件だった。 しかし、穏やかな日々の中で、 彼女は少しずつ気づいていく。 誰かに価値を決められる人生ではなく、 自分で選び、立ち、並ぶという生き方に。 一方、彼女を切り捨てた王太子と王城は、 静かに、しかし確実に崩れていく。 これは、派手な復讐ではない。 何も奪わず、すべてを手に入れた令嬢の物語。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

婚約破棄されるはずでしたが、王太子の目の前で皇帝に攫われました』

鷹 綾
恋愛
舞踏会で王太子から婚約破棄を告げられそうになった瞬間―― 目の前に現れたのは、馬に乗った仮面の皇帝だった。 そのまま攫われた公爵令嬢ビアンキーナは、誘拐されたはずなのに超VIP待遇。 一方、助けようともしなかった王太子は「無能」と嘲笑され、静かに失墜していく。 選ばれる側から、選ぶ側へ。 これは、誰も断罪せず、すべてを終わらせた令嬢の物語。 --

白い結婚のはずでしたが、理屈で抗った結果すべて自分で詰ませました

鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがない」 そう言われて王太子から婚約破棄された公爵令嬢ノエリア・ヴァンローゼ。 ――ですが本人は、わざとらしい嘘泣きで 「よ、よ、よ、よ……遊びでしたのね!」 と大騒ぎしつつ、内心は完全に平常運転。 むしろ彼女の目的はただ一つ。 面倒な恋愛も政治的干渉も避け、平穏に生きること。 そのために選んだのは、冷徹で有能な公爵ヴァルデリオとの 「白い結婚」という、完璧に合理的な契約でした。 ――のはずが。 純潔アピール(本人は無自覚)、 排他的な“管理”(本人は合理的判断)、 堂々とした立ち振る舞い(本人は通常運転)。 すべてが「戦略」に見えてしまい、 気づけば周囲は完全包囲。 逃げ道は一つずつ消滅していきます。 本人だけが最後まで言い張ります。 「これは恋ではありませんわ。事故ですの!」 理屈で抗い、理屈で自滅し、 最終的に理屈ごと恋に敗北する―― 無自覚戦略無双ヒロインの、 白い結婚(予定)ラブコメディ。 婚約破棄ざまぁ × コメディ強め × 溺愛必至。 最後に負けるのは、世界ではなく――ヒロイン自身です。 -

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

処理中です...