辺境伯はつれない妻を口説き落としたい

さくたろう

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5 君が愛に目覚めるのが待ち遠しい

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 目覚めたのは、オレがかつて自室として使っていた一室だった。腹には包帯が巻かれ、血が滲んでいる。
 痛みを感じないのはモルヒネのせいだ。

 人の気配を感じ目を向けると、父上とシャーリーンの姿があった。

「エレノアは」

 気がかりだった。

「会わせてください」

「できない」

 父上は首を横に振る。
 重ねるように、シャーリーンも言った。

「落ち着いて聞いてねお兄様」

 その顔は心配そうだ。


「あの人は、エレノア・マーシーではないのよ」


「なんだって? どういう意味だ」

 訳が分からず、オレは尋ねる。

「では誰だというんだ?」

「ミア・ブライト」

 シャーリーンから告げられた聞き慣れない名前に、自分の顔が強張るのが分かった。

「誰だそいつは」

「前に、言ったでしょう? エレノアさんに、仲の良い使用人がいたと。その使用人の名前が、ミア・ブライトなのよ。お兄様を刺したのは、彼女だわ。エレノアさんは、赤毛なんだもの」

「オレと結婚したのは、オレの腹を刺した彼女だ」

 二人の表情は変わらない。オレの手先が冷たいのは、出血多量のせいばかりではない。
 あり得ない。
 そんなことが、起こりえるのか?
 恐る恐る、口にする。

「……では初めから、エレノアという女はいなかったのか? 結婚初日から今日まで、オレの妻だったのは、あの女だった。彼女は誰だ? ミアだって? そんな女知らない。
 父上はご存知だったのです? シャーリーン、お前は? ウィリアムは?」

 シャーリーンは哀れみたっぷりに言う。

「誰も、知らなかったのよ。花嫁が入れ替わっていたってことを」

「では彼女から、話を聞かなくては」

 ベッドから起き上がろうとするオレを、制したのは父上だった。

「彼女は、毒を煽って生死を彷徨っている」

「なんですって?」

 血の気が引いた。
 毒を、まだ持っていたのか。

「自死を図ったんだ」
 
 目の前が真っ暗になりそうだ。
 自死だって?
 心が激しくざわついた。
 オレから逃げるつもりなのか?
 嘘だったのか。
 何もかも、欺かれていたというのだろうか。
 あの喜びも悲しみも、笑顔も何もかも、オレを騙すための、嘘だったのか。

「彼女に会う」

「だめよ! 目覚め次第、彼女は捕まるわ!」

「捕まる? 馬鹿げたことを! 彼女が何をしたって言うんだ?」

「ヒースお兄様を刺したわ! いいえ、本当は、ウィリアムお兄様を殺したかったようだけど。それに、自分がエレノア・マーシーだと偽っていたのよ!」

「彼女はオレを刺したんだ。これはただの痴話喧嘩だぞ」

「それは無茶よ!」

「どこが無茶だ? いいか、良く聞け。オレはリリア・スコッティと不倫関係にあった。調べれば分かることだ」

 父上は呆れて黙り、シャーリーンは声を荒げた。

「ば、馬鹿じゃないの!?」

「エレノア――いや、ミアにそれを目撃されて、喧嘩になり、今日まで許してもらっていない」

 オレは嘘を吐くことにした。

「そうとも、オレの妻はエレノアじゃない。オレはエレノアなんて女は知らない。そうだ、エレノアはオレとの結婚が嫌で逃げ出した。代わりに、使用人を寄越した。それがミアだ。当然オレは、初めから彼女がミアだと知っていた。知っていたとも。……それで、なにが問題なんだ? オレの妻が、怒ってオレを刺しただけだ。だがオレは生きてる。殺意なんてない、ほんのかすり傷だ。正直言って、どうして皆がそれほど騒ぎにしたいのか分からない」

 黙っている二人は、銘々の思惑に考えを走らせているようだ。たたみかけるように、オレは言う。

「父上、あなたは弟の婚約破棄の醜聞が世にさらけ出されたくないがためだけに、エレノア・マーシーをオレに差し出したのかもしれませんが、もう遅い。
 オレが結婚したのは、エレノア・マーシーではない。彼女です。彼女だけがオレの妻だ! オレは神の前で彼女への愛を誓ったんです! あなたたちは、オレの結婚式に来さえしなかったではありませんか! 捕まえるだって? とんでもない。彼女に危害を加えてみろ。後悔するのは貴様等だ!」

 怒鳴りつけ、オレは遂に部屋を出た。
 目指す場所は、オレの、妻がいる場所だった。

 頭はひどく、混乱していた。
 オレがエレノアだと思っていた女は、エレノアではなかった。
 では本物のエレノア・マーシーは今、どこで何をしているというのか。
 ミア・ブライトという女がウィリアムの婚約者でないなら、なぜ奴に殺意を抱く。なぜオレと結婚などしたのか。 

 だがそんなものは、ベッドに横たわる彼女を見た瞬間、彼方へと吹き飛んだ。
 眠っている彼女は穢れを知らない天使のようで、ぞっとするほど美しい。
 
 オレと結婚したのが彼女の運の尽きだ。彼女を失うなんて考えられない。

 込みあげる思いを、愛と言わずになんというのだろう。
 オレは今まで、どうやって生きてきたんだろう。それほどまでに、彼女のいない世界は灰色だった。

 使用人を追い払い、治療している医師さえも追い出し、二人きりになったところで、オレは彼女の手を握った。

 彼女は呼吸を続けている。
 ほら見ろ、君は、生きたいんじゃないか。

 意識が戻ったわけではなさそうだが、彼女の口元が動き、微かな声がした。

「許してください……どうか、ゆるして……」

「いいや、だめだ」

 それはうわごとだったのだろう。
 だがオレは、許すつもりも、逃がすつもりもなかった。

 彼女をオレから奪うだと? なんと傲慢なんだろう。
 父上にも、神にも、そして彼女自身にも、オレから彼女を奪わせない。
 彼女はオレのもので、オレは彼女のものだ。それ以外に重要な事実などない。

 彼女の閉じられた目から、宝石のような涙が一筋こぼれ落ちる。
 それは福音の印だ。瞬間、オレは悟った。彼女の目的を。それ以外に、考えられない。
 ならば、やることは決まっている。

「安心して眠るといい。目が覚めたら、悪夢はもう、終わっているよ」 

 愛しているよ、君のことを。
 あらゆる憂いを拭うように、彼女の唇にキスをする。

 はやく君が、オレへの愛に目覚めるといいのに――……。
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