イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

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第一章 聖女イリス

聖女なんていない

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 また数年が経った。

 わたしは九歳、ディマは十一歳になった。

 わたしもディマもよく日焼けした、田舎の子どものうちの一人だった。
 お父さまの領地において、わたしたちは周囲に温かく見守られながら、すくすくと成長していた。

 比較的気候の安定しているこの地方にしては珍しく、その年の冬は大雪だった。
 そんな中でもディマは年頃の子供相応に元気だった。
 また雪が降り、止んだ明くる日の朝、ディマはわたしの手を引っ張って言う。

「イリス、領民達が雪かきが必要だから、僕らに手伝って欲しいんだってさ。行こう!」

 彼は実の兄のようにわたしに接した。
 前はしょっちゅうわたしを好きだと言っていたけれど、もうそれもない。だけど仲の良さは変わらなかった。

「ほら、早く!」

 待ちきれない彼がわたしの手を引く。
 寒いから着てとお母様に渡されたコートを着て、二人して外に出て、二人して声を上げた。

「わあ……!」

 わたしの背丈の半分に近いくらいの積雪があった。
 ディマがわたしの片手を握り、わたしは彼に魔力を流し込む。彼は目前に手を翳すと雪を溶かし道を作った。
 
「さ、行こう」

 上級魔法も随分と操れるようになっていた。

 未だ、わたしは魔力のコントロールというものが苦手で、普通に使ったならば、あたり一面の雪を溶かし、湖に変えてしまったかもしれない。その点、ディマは器用だった。
 わたしがディマに魔力を流せば、元々高いディマの魔力に、さらにわたしの力が上乗せされる。そうしてディマが精度の高い魔法を行使する。
 ディマは雪を溶かして、溶かした雪を左右に分けて、冷やし固めたのだ。それも一瞬のうちに。

 自分の成果を見て、ディマは満足そうににんまり笑っていたし、多分わたしも同じ顔をしていた。
 二人でいれば、どんなことだってできる気がする。わたしたちの特技のひとつだった。
 
 屋敷の庭を出て、いつかわたしが迷い込んだ森を抜け、領民達の雪かきを、順番に手伝ってやるといたく感謝をされる。ご両親へ渡してくれとお土産まで渡された。
 年頃の女の子達は、ディマを見ると顔を赤らめる。兄は背が高いし、顔も精悍な方だ。
 何より領主の一人息子で、人当たりもいい。中身はまだ子供だったけど、人前では大人ぶっていたから、人気なのも無理もない。

 子供達だけで外出が許されるようになってから、度々二人で出かけては、領地内を回っていた。
 ローザリアの他の地域の実情は分からないけど、少なくともテミス家の領地は安定した温かい気候に恵まれて、生活に困ったり、飢える人はいなかった。

 小さな村で、家は多くなく、深刻な状況でないことは、すぐに確認できた。
 半分ほどの家の除雪を終えたところで、辺りが夕闇に染まり初め、残りの家は明日にして、二人して帰路に着く。
 
 帰り道、森の手前で領地を振り返った。

 雲が太陽を、ぼんやりを包んでいた。白い光の輪郭に、黄色い靄が広がっている。その光が、平野に届き、氷の粒を無数に光らせた。
 ほう、と息を吐くと、煙となって上っていく。

 美しい田園風景の広がる、田舎の村だ。
 南斜面の果樹園には夏になると果物がなり、青い牧草地には、至る所に羊や牛、馬が放牧される。

 どうしようもなく懐かしくて郷愁に駆られるのは、いつだって帰郷を夢見ていた、わたしの中のイリスがそうさせるのだろうか。この夕陽が好き。失いたくない。

「イリス、帰ろう」ディマが冷え切ったわたしの両手を掴むと、魔法陣を出した。熱を発する魔術が出現し、温かさに包まれる。

「うん。帰ろ」

 そのまま手を握り、二人して歩き始めた。

 クロードに言われたとおり、わたしは魔法陣を使うのを止めた。そのおかげなのか、今も首にかけている水晶のためか、血を吐いたり、魔力が暴走したりすることは、あの日以来、ない。

 昼過ぎに再び降ったわずかな雪を、踏みしめる音だけ聞きながら、会話もなく歩いていると、ふいにディマが言った。

「……次の夏に、イリスは十歳か」

「うん。あと少し」

 半年後だ。
 イリスが聖女になったのも、十歳のときだった。
 握る手に、どちらともなく力がこもる。

「教皇庁で聖女が現れたという預言が出たなんて話はない。小説の通りにはならない。聖女はいない。
 現れたとしても、イリスじゃない。十一歳も、十二歳も、その次も、何年経っても、イリスはずっとここで暮らすんだ。一緒に、老人になるまでこの領地に暮らそう」

 ディマが本心からそう言っていることは知っていた。けれど、心配だった。

 少し前のことを思い出した。

 ディマの学業が優秀すぎて、そろそろミランダの手に余って来たのだ。加えて、彼の頭の良さを見込んだこの地の司祭から、異国の神学校へ進学してはどうか推薦があった。またとない機会だったし、両親は大喜びだった。にもかかわらず、ディマは断固として拒否したのだ。

 ――勉強ならお母様が教えてくれるもので十分でしょう? 読み書き計算ならできるし、学校は必要ありません。お父様だって一度も学校に行っていないのに、今は領主じゃないですか。

 そう言われては、両親もそれ以上強くは出れなかったようだ。
 ディマがなぜ、この地に残ろうとしているのか、理由は明白だ。テミス家長男として、家族を守るためだ。わたしが数年前に告白した、暗い未来の話のせいで、彼はこの地に縛り付けられている。

「ディマは出世するかもしれないわ。こんな田舎にいてはだめよ。わたしに気を遣ってるなら、全然気にしなくていいの。ディマの将来なんだもん」
 
 ディマは眉を顰めた。
 
「どういう意味。イリスは僕と離れたいの」

「違うわ。わたしが変なことを言ったせいで、ディマのやりたいことができなくなるのが嫌なの」

 つまらなそうにディマは言う。

「別に、僕は自分がそうしたいからそうしてるだけで、イリスは関係ない。学校なんて興味ないんだよ。神学校なんてますます嫌だ、司祭になるつもりなんてないし。断ったし、終わったことだ。皆納得したんだから、今さらもう言うなよ」
 
 神学校へ行く全員が司祭になるわけではない。だけど聖職者を輩出するその場所では、神の名の下、各国から出資があり、最高峰の教育が受けられるのだ。
 だけど、小説の中のディミトリオスも学校へ入学したのはイリスが聖女になってからだ。彼も同じように断ったのかしら?

「うん」あれこれ考えて、それだけを答えた。

 ディマは言う。

「この世界がイリスが知っている小説に似てたとしても、全く一緒にはならない。なるはずがない。お父様だって死なないし、僕が皇帝なんかになるわけない。第一、そんなものにはなりたくない」

 小説の内容のことは、ほとんど全て共有し、来るかもしれない脅威に向けて、二人であれこれ考えていた。特にディマは、わたしより遙かに真剣に、家族の安全を考えているようだった。

「だけどもし――」ディマは立ち止まり、わたしに向き直る。黒い髪は未だ短い。黄金の瞳は、まるでそれ自体が輝いているようだ。

 森の道の上で、わたしたちは互いを見つめ合った。

「――もし、イリスを聖女にしようとする奴がいたら、僕がそいつと戦ってやる。お父様を守ってみせる。お母様とイリスも守るよ。だから大丈夫だ」

 虚勢を張る彼は愛おしいけど、まだ十一歳の子供だ。彼ばかりに背負わせるつもりはなかった。

「ディマだけに戦わせないわ、わたしも戦う。家族を守りたいもの」

 イリスがどうやって偽とはいえ聖女として発見され、そうして宮廷に上がるのか、詳細をわたしは知らない。
 少なくとも分かっていることは、数年前のパーティ以来顔を見せないエルアリンドが何かをしかけてくるかもしれないということだ。

 再びわたしたちは歩き出し、またディマが言った。

「僕が先にエルアリンドを殺してやろうか」

 彼の顔は真剣そのものだ。

「馬鹿言ってはだめよ、伯爵殺しで縛り首になるわ。相手がどれほど悪かったって、罰せられるのはいつだって平民なんだから」

「バレれば、だろ。バレない自信はある。それにバレたって、逃げればいい。その辺の奴には捕まらないよ」

「それでもだめ、お父様とお母様を悲しませたいの?」

 人殺しの罪を、彼に犯させるわけにはいかない。
 納得したのかは分からないけど、ディマは分かった、と返事をして、呟いた。

「早く大人になりたい」

 真意を尋ねる前に、ディマから別の疑問が上書きされる。

「アリア・ルトゥムって、誰なんだろう」

 帝都郊外に暮らす、平民の女の子。十五歳になって、聖女として発見される。この世界で彼女を探すに当たり、それ以上のことを、わたしは知らなかった。
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