イリス、今度はあなたの味方

さくたろう

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第二章 ローザリア戦記

ヘイブン聖密卿

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 アール・ガモットの凱旋は、華々しく受け入れられた。もう誰も、その小柄な男性を馬鹿にしなかった。

 レッドガルド王国を守った男は英雄として、帝都に迎えられたのだ。
 父の栄華と転落を知る彼の感動はひとしおだったのだろう。
 出立を見送ったときと同じように、玉座の間で待っていると、やはり彼はわたしとオーランドに向けて走りより、滑り込むように跪いた。
 
「皇帝陛下、聖女様! この勝利を、お二人に捧げます!」

「レッドガルドを死守したこと、感謝する。アール・ガモット、あなたには新たに領地と報奨金を与える。そうしてこれからは、ミュラー伯を名乗るといい」

 オーランドが彼にそう告げた。
 ミュラー伯というのは、アール・ガモットのために新たに作られた称号だった。目を見張るアールに、さらにわたしは言った。

「秋の勲章には早いですけれど、わたしからの贈り物です」

 立ち上がり、彼の側に行くと、勲章を胸に付ける。
 それから、予めの決めにはない言葉を、彼にかけた。

「兵隊さん達のことは尊敬しています。わたしの父も、聖兵として戦っています。わたしたちの平和は、皆様のおかげであるのですから」

 聞いたアールの目から、大粒の涙が流れる。

「なんともったいないお言葉でしょうか……。イリス様、あなたはまことの聖女様です。皆があなたのために戦いました。あなたを思い、何度も勇気づけられました。
 それに、父を思えば、私のような者に、こんな――これほどまでの幸せが用意されていたなどとは、夢にも思いませんでした……! ありがとうございます、聖女様、本当に、ありがとうございます――……」

 感動でアールはむせび泣き、何度も何度も頭を床に擦り付けた。
 どうしたらいいのか分からず、小さな子供のように泣く彼の背を、わたしはただ、何度も何度も撫でていた。


 ◇◆◇

 
 ロゼ=グラスに勝利して、危機は去った? いいえ、そうは思えなかった。
 イリスが生き残るためには、解決しなくてはならない課題はまだある。

 現状、クリステル家は裏切っていない状態だけれど、依然として動機はあるはずだった。原因を突き止め対処しなくては、いずれどこかで彼らは裏切る。裏切られれば、ロゼ=グラスの再現が起こる。そうさせるわけにはいかなかった。

 図書室に通う回数が多くなった。
 土地の歴史と、人物の歴史について調べていたのだ。

 クリステル家に嫁いだミア・フォーマルハウトはセオドアとリオンの姉で、オーランドの叔母に当たる。
 小説では、スタンダリア王国から巨額の富を渡されて、裏切ることになっていたクリステル家だけど、地図で確認すると実際には彼らが持つ領土はローザリア国土の五分の一にも及ぶし、セオドアはミアの持参金として、領地と植民地の一つまで渡している。
 莫大な財産を有するクリステル家がお金目当てで裏切ることには違和感がある。

 だとしたら動機は、お金以外のところにあるのかも。
 たとえば権力争いだ。古い地図と現在の地図に、それぞれの家の領地を引くと分かる。ミアが結婚した時に、領地はいくつかクリステル家に渡されたものの、逆にフォーマルハウト家に奪われたものもある。
 前王が亡くなった時にミアに相続された土地は、彼女の結婚の際にセオドアのものとなり、現在はオーランドのものになっていた。

 当時、当然合意は交わされたはずだけど、独裁者で凶悪だったセオドアがどこまでミアの言い分を聞いたのかは分からない。
 
 考えていると、ふいに図書室の扉が開いた。広げた地図を閉じたけど、見られてしまったかもしれない。
 誰が来たかは知っていた。
 わたしの他にここに来る人物は、ただ一人、オーランドだけだったから。

 入ってきたのはやはり彼で、わたしの手元に目を向ける。

「近頃は何を探っているんだい?」

 瞬間、逡巡した。
 オーランドをどこまで信じていいの? 

 彼は結局、どこまで行っても皇帝で、存在は国のためにある。聖女の味方ではあるけれど、わたしの味方ではない。
 だけどそれなら、国の有利になることを歓迎し、損になることを排除するはずだ。アール・ガモットを受け入れたのも、わたしへの忖度以上に、彼の登用の方に分があると思ったからだ。

 だとしたら、信頼はできる。少なくとも、国の運営の面では。

 余計な修飾も付けず、単刀直入に彼に尋ねた。

「クリステル家とフォーマルハウト家にはどのような確執があるのですか?」

 オーランドは側までやってくると、わたしが見ていた地図を開く。地図にはわたしが書き込んだ、各貴族達の領地が記されていた。じっと彼は、地図を見る。

「……あなたが考えるように、領地の問題も確かにある。セオドアの代から父と私も引き継ぐ考えとして、皇帝家の持つ領地を増やすことを画策してきた。植民地もそのうちの一つだ。なぜか分かるかい?」

「中央に集権し、国を安定させるためですか。領主たちの握る権力を弱めなくては、皇帝の意思が通りにくくなる。各地に王がいるようなものですから」

「そうだ。そうしてクリステル家はそのあおりを最も受けた家だろう。叔父セオドアは、かなりの強硬策を取っていたから、クリステル家は王女との結婚で得るはずの領土を得ず、代わりに遠方の領土を与えられた」

 そこまではわたしも調べたことだった。

「……だが、禍根、というのはそれだけじゃない。クリステル家の不満は、リオンテール家への反抗だ。クリステル家は私が生まれた時、自分たちこそが摂政となり、私の後見人になるべきだと主張したと聞く。退けたのはリオンテール家だ。結局ルカが私の後見人になった」

「不満の種はあるのですね」

「彼らが裏切ると、あなたはそう思ったのだね」

 ギクリとするけれど、オーランドは微笑んだだけだ。

「態度を見ていれば分かるさ。なるほど、彼らに裏切る理由は十分あるし、その絶好の機会がロゼ=グラスだったというわけか。それじゃああなたは、クリステル家を更に追い詰めるつもりか?」

「いいえ。だって、クリステル家は従順ですもの。ロゼ=グラスへは派兵しませんでしたけれど、当主が病気になったという理由を聞きましたわ。裏切りや反乱の兆しなんて、今のところありません。そんな家をどうこうしようだなんて、まさかできませんわ」

「表向きの理由を信じているわけじゃないだろう」

 当然信じてはいない。オーランドは、更に笑った。

「クリステル家を弱体化させることには、私も賛成だよ。
 反乱の兆しがないのであれば、そう仕向ければいいだけさ。あなたがもし皇帝だったら、彼らを弱体化させるために、どう動く?」

 恐ろしい問いかけだけど、わたしの頭は考え始める。
 どう動くと言われても。どう動く?
 少し間があって、答えを告げる。

「わたしだったら――……」
 
 その回答に、オーランドは満足そうに頷いた。

「私もまったく同じことを考えていた。では、そうしよう」

「内戦が起こります。もしかすると人も、たくさん死にます」

「それでも、あなたはそうするのだろう。だが返事を待とう。よく考えるといい」

 自分の持つ地位に、ぞっとした。
 こんなに簡単に、国の動きを決めていいの?
 こんな晴れた日の、図書室でのおしゃべりだけで?

 いいわけがない。そうでしょう?

 

 その日の午後、わたしは大聖堂に向かった。祈りを捧げるためではない。ある人に、会いに行ったのだ。
 彼はいつも大聖堂にいた。

 わたしは聖女だから、いつでも自由に彼に会えた。この三年で、時折話す仲になっていた。もっとも彼――ヘイブン聖密卿は小声でさえも話さずに、手話で言葉を語るだけだ。けれど問題はない。わたしも彼のサインを覚えたから。

 この日も彼は大聖堂の奥、聖密卿の部屋にいて、いつもどおりにローブをすっぽり被っていた。素顔を見たことは、まだない。
 小説には描写されなかった姿だ。彼は椅子からは立ち上がらずに、わたしを迎え入れた。
 友人でもないし、年も離れている。彼の正確な年齢は四十八歳なのだと、以前誰かから聞いた。
 ヘイブン聖密卿の態度はいつもそっけないけれど、側にいると落ち着いた。静かな佇まいが、わたしはとても好きだった。

 彼の正面に座り、問いかける。
 
「一つを守るために、別の何かを傷つけなくてはならないのかもしれません。ヘイブン聖密卿は、迷った時どうされますか?」

 彼はローブの下の手を動かした。ちらりと見えた皮膚は、赤くただれている。
 怪我はケロイド状だ。やけどの跡に思えた。
 ヘイブン聖密卿の指は語る。

 “愛する者が、幸福である選択を、常にしてきた”

 まるでわたしの選択を、後押しするかのような言葉だった。わたしは何度も頷いた。

 ――きっと誰だってそうだ。
 ならばやはり、迷いはない。


 帰りの馬車で、金の指輪を嵌めてみる。まだ、わたしには大きい。
 もしもエルアリンドがやってこなかったら、この指輪は領地のあのお屋敷で、貰ったんだろうか。想像してみようとしても、上手く行かなかった。

「会いたいな」

 誰にも聞かれないのをいいことに、そう呟いた。

「ディマに、会いたい――」

 二人でいれば、どんなことだってできるような気がしていた。あの笑顔が見たかった。毎日、一緒にいればそれだけで楽しかった。幸せになりたいと足掻いていたあの頃は、まさしく幸せそのものだったんだ。

 今この場所にディマがいたら、馬鹿な考えをすぐ捨てろと、言うような気がしていた。

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