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第二章 ローザリア戦記
無血の勝利へ
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貴族たちの戦略会議に、急遽わたしも呼ばれることになった。話のあらましは呼びに来た人から聞いていた。
スタンダリアがヘルに侵攻したらしい。紛うことなき奇襲だった。
部屋に入ると、貴族たちが一斉にわたしを見た。わたしが帝都に来た日の晩餐にいた人たちが、そっくりそのまま座っている。けれど立場は、あの時と随分違っていた。
オーランドとルカ以外の男たちが立ち上がり、皆、わたしに頭を下げる。
手短にわたしは言った。
「話の概要は聞いています。ヘルが攻撃されたと。兵を二手に分けますか。どちらにも、守護魔法と攻撃の強化魔法をかければよいでしょうか」
「今まさに、それを話していたところでね」
髭を撫でつけながらファブリシオが言った。
わたしがオーランドの隣に座ったところで、彼は言った。
「攻撃開始と同時に避難船が出た。攻撃は五日前で、一部の領地は、スタンダリアに占領されているようだ」
もう既に、五日経っているのだ。通信機器のない時代、連絡はどうしても遅くなる。
机の上には地図が広げられている。援軍を送るにしても、海からでは簡単に発見されてしまう。だとしたら陸路だろうけれど、時間がかかる。
「帝国の後継者がクリステル家の長子であるという言い分は、スタンダリア王家、ソル家が支持すると表明しました。
クリステル家とソル家が、示し合わせているのかもしれませんな。同時攻撃で混乱を招き、戦闘力を削るのが目的でしょう」
ファブリシオが静かにそう言った。
別の貴族の男が声を上げる。
「避難船でかろうじて逃げられた多くの難民が、本土の港で露頭に迷っております。教会に一時避難場所を作りました。被害状況はまだ把握できておりませんが、砦が複数落ちたのを見たと証言する者もいます。援軍を送らなければ、ヘルは落ちます。先にヘルです、その後に、クリステル家です!」
しかし彼の言い分は、ルカに一蹴されて終わる。
「クリステル家の反乱を収めるのが先でしょう。皇帝陛下と皇太后陛下の名誉を傷つけたのだから」
「人命と領地より、名誉を重んじるというのですか?」
「こちらには聖女がいるのですよ、領地はいずれ取り戻せばよいでしょう」
「しかしそれでは、今も戦うヘルの住民は……」
切り捨てるのか、と言いたげな彼に、ルカは冷徹な視線を向けただけだった。きっと会議は堂々巡りだったのだろう。オーランドがわたしを見た。
「イリス、あなたはどう思う? ヘルだが、レッドガルド王国の支援を受けたとしても、やはりスタンダリア王国に兵は及ばない。彼らは王国だけじゃない、近隣諸国の諸侯からも兵を借りているようだから。
だとしたら先にクリステル家を鎮め、後にヘルへ総力をつぎ込むべきと私は思う」
誰もがわたしを見つめていた。慎重に答える。
「先にクリステル家の反乱を収めるというルカ様のお話もわかりますし、時間をかけるほどヘルが危ういということも理解します」
「では双方に兵を派遣すべきと思うのか? 戦力が削がれては、どちらも負ける可能性もある。それこそ最悪の事態だ」
ルカの言葉に、首を横に振った。
「兵はヘルへ派遣してください。クリステル家反乱へは、わたしが行きます」
「だめだ、何を考えている!」「それも、いいかもしれないな」ルカとオーランドの声が、ほとんど同時に重なった。
否定したのがオーランドで、肯定したのがルカだった。
「ルカ、イリスを危険にさらすのか」
オーランドがいつになく厳しい声を発したけど、ルカは温かみのある声で応じる。
「陛下、聖女に危険はありません。なにせ聖女なのですから――。イリスをクリステル家反乱へ派遣し、あの国賊どもに、聖女が味方するオーランド様こそが正当な王であると見せつけるのです。イリス、勝機を見込んでいるのだろう?」
「昨年開かれた友好国との軍事演習の際の模擬戦では、わたし一人で兵士に勝利しました。
クリステル家の周辺には、フォーマルハウト家に忠誠を誓う諸侯たちを配置済みでしょう? わたしはそこに、ほんの一押しをするだけですわ。
必ず、勝利を収めます。それに血を流さないとお約束します」
聖女として崇められているイリスが赴く以上、無血の勝利でないと、意味がない。
少し前までだったら、わたしの言葉なんて重さを持たなかった。だけどこの三年、ひたすらに国に尽くし、ロゼ=グラスにガモット家を起用し勝利に導いたわたしの言葉に、彼らは強く頷いた。
◇◆◇
ローザリア帝国の貴族たちは、自分たちの誇りを傷つけられることを何より嫌う。クリステル家討伐に赴いたのは、いずれもオーランドに忠誠を誓う貴族たちの兵だった。ルカは共にいたけれど、ファブリシオを含む大多数の有力者達は、ヘルへ向かっていた。
意外なことに、わたしと共にオーランドが来た。二人で馬を並べ、数万人の兵士らとともに国を移動する。皇帝と聖女がクリステル家討伐に出たという噂はまたたく間に広がり、人々の興味を引いていた。
クリステル家は、スタンダリア国王家、ソル家の支援を受けているのではないかと言われていた。彼らが時間をかけて帝都に向かっている様子を見るに、確かにそうなのかもしれない。スタンダリアのローザリア侵攻を、待っているような気がしていた。
北からクリステル家が、南東からスタンダリアが攻め、ローザリア本土を挟み撃つつもりだったに違いない。
けれど目論見が外れ、ヘルはただちに陥落しなかった。
上空に巨大な魔法陣が現れたとの複数の証言があることから、優秀な魔法使いたちがヘルに滞在していたのではないかと言われていて、彼らがヘルを守っているのだ。
クリステル家の軍勢と向かい合ったのは、中央から北部にかけての森林を抜けた先の平野だった。すでに彼らは皇帝側の諸侯たちに囲まれており、身動きは取れていない。
諸侯たちにしても、「攻撃は待つべし」というオーランドの言葉を、忠実に守っている。だから彼らは向かい合い、戦闘までの均衡を、保っているらしかった。
秋に差し掛かった晴れた空と、黄金色のすすきが風にそよぐ中、地面には兵士達の異様な熱気が渦巻いていた。
オーランドとわたしが合流し、皇帝家の旗を掲げた瞬間、こちらの陣営に、歓喜の声が湧き上がる。ずっと彼らはわたしたちを待っていたのだ。喜びは地響きとなり、周囲にこだました。
追い風はまだあった。わたしたちの後方から来た兵士達が、旗を掲げたのだ。それはまさしく、ローザリア教団の旗だ。司祭は政治不介入のはずだった。
側近がすっとんできて、オーランドに伝える。
「ヘイブン聖密卿から許可が出ました! シューメルナ教の旗でなく、ローザリア教団の旗ならば、掲げて良いと!」
これでオーランドは更に主張できるのだ。教団と聖女が支持する自分こそが、正統な皇帝であると。
ふいにオーランドは真面目な顔して言った。
「彼は随分と、あなたに甘い」
「陛下にでしょう?」
聖密卿はその国の出身者がなるという掟があるから、ヘイブンも結局、帝国民として首長を贔屓したいのだ。
オーランドはわたしの言葉には答えず、兵らに叫ぶ。
「所詮、スタンダリアは聖女を得なかった国に過ぎない! その支援を受けたクリステル家は国賊以外の何者でもない! この時代、このローザリアの皇帝である、このオーランドこそが、世界に認められた覇者だ!」
彼の瞳は、選民の栄光を受け輝いていた。降伏を願ったけど、クリステル家は微動だにしない。
勇気づけられた諸侯たちが好き勝手に動こうとする。
歩兵は突撃し、弓兵は矢を放った。統制なんて誰も取らない。
呼応するようにクリステル家も同じ動きをした。
血みどろの戦闘が開始されようとしていた。
だけど、そうはならない。そうさせないために、わたしはこの場所にやってきた。
空中を飛び交う幾万本の矢と今まさに交戦しようとする歩兵に向かって、わたしは、魔力を行使した。
――――初めに、歩兵たちが倒れていった。
次に、矢の動きを止める。
皇帝側の兵が放った矢はクリステル家の軍勢に届く寸前に空中で動きを止め、クリステル家が放った矢は、空間を繋ぐ魔法により方向を真逆に変え、やはり彼らの目の前で止めた。
魔力は無限のように感じていた。
魔法の制御、という点ではわたしは未だ得意ではないけれど、失敗はできない。ここまで莫大な魔法を実戦で使ったのは初めてだったけど、存外迷いはなかった。
深く深く、集中していた。
さっきまでの熱気は消え失せ、戦場は静まり返っていた。
兵士らを眠らせ、矢を止める。ここまではオーランドに話していたことだ。
だけどここからは、伝えていないことだ。わたしは馬を蹴り、駆け出した。
「どこへ行く! 何をするつもりだ」
背中の向こうから聞こえたオーランドの声に返事をする。
「一人で話してきます! 誰も付いてきてはなりません!」
馬を戦場の真ん中へと向かわせる。眠る兵士達の脇を抜け、すすきを抜け、空中で動きを止める矢の下をくぐり抜けた。
彼らに声の届く範囲までやってきて、わたしは叫ぶ。
「わたしは聖女、イリス・テミス! 今すぐ降伏しなさい。さもなくば矢を、あなたたちの頭上に浴びせる!」
瞬間、クリステル家側から、おびただしい量の矢が再び放たれる。
でも、何本放ったところで無駄なことだ。彼らが放った矢を、魔法により空間を繋げ、またしても彼らの目の前に出現させた。クリステル家側の兵士が、息を呑む音が聞こえた気がした。
手にはじとりと汗をかく。不安を誰にも気取られてはならないと心を鼓舞し両手で手綱を握りしめ、彼ら一人ひとりに向けて、なおも言った。
「降伏するならば、あなた方に危害は加えません! 命の保証をすると約束いたします! 交戦しても、あなた方は確実に負けます。戦うと言うのなら、目前の矢をそのまま放つ!」
もしそうしたら、数秒後に、確実に彼らは壊滅するだろう。
「選択しなさい! 理念なき死か、誇り高き敗北か!」
戦場は静寂に包まれ、わたしの声の残響がした。
初めは、生々しい息遣いが聞こえてくるだけだった。だけどやがて、ガチャリ、ガチャリと、兵らが武器を、地面に落とし始めた。
遥か背後から、歓声が上がる。
――武装解除だ。クリステル家の、降伏だった。
スタンダリアがヘルに侵攻したらしい。紛うことなき奇襲だった。
部屋に入ると、貴族たちが一斉にわたしを見た。わたしが帝都に来た日の晩餐にいた人たちが、そっくりそのまま座っている。けれど立場は、あの時と随分違っていた。
オーランドとルカ以外の男たちが立ち上がり、皆、わたしに頭を下げる。
手短にわたしは言った。
「話の概要は聞いています。ヘルが攻撃されたと。兵を二手に分けますか。どちらにも、守護魔法と攻撃の強化魔法をかければよいでしょうか」
「今まさに、それを話していたところでね」
髭を撫でつけながらファブリシオが言った。
わたしがオーランドの隣に座ったところで、彼は言った。
「攻撃開始と同時に避難船が出た。攻撃は五日前で、一部の領地は、スタンダリアに占領されているようだ」
もう既に、五日経っているのだ。通信機器のない時代、連絡はどうしても遅くなる。
机の上には地図が広げられている。援軍を送るにしても、海からでは簡単に発見されてしまう。だとしたら陸路だろうけれど、時間がかかる。
「帝国の後継者がクリステル家の長子であるという言い分は、スタンダリア王家、ソル家が支持すると表明しました。
クリステル家とソル家が、示し合わせているのかもしれませんな。同時攻撃で混乱を招き、戦闘力を削るのが目的でしょう」
ファブリシオが静かにそう言った。
別の貴族の男が声を上げる。
「避難船でかろうじて逃げられた多くの難民が、本土の港で露頭に迷っております。教会に一時避難場所を作りました。被害状況はまだ把握できておりませんが、砦が複数落ちたのを見たと証言する者もいます。援軍を送らなければ、ヘルは落ちます。先にヘルです、その後に、クリステル家です!」
しかし彼の言い分は、ルカに一蹴されて終わる。
「クリステル家の反乱を収めるのが先でしょう。皇帝陛下と皇太后陛下の名誉を傷つけたのだから」
「人命と領地より、名誉を重んじるというのですか?」
「こちらには聖女がいるのですよ、領地はいずれ取り戻せばよいでしょう」
「しかしそれでは、今も戦うヘルの住民は……」
切り捨てるのか、と言いたげな彼に、ルカは冷徹な視線を向けただけだった。きっと会議は堂々巡りだったのだろう。オーランドがわたしを見た。
「イリス、あなたはどう思う? ヘルだが、レッドガルド王国の支援を受けたとしても、やはりスタンダリア王国に兵は及ばない。彼らは王国だけじゃない、近隣諸国の諸侯からも兵を借りているようだから。
だとしたら先にクリステル家を鎮め、後にヘルへ総力をつぎ込むべきと私は思う」
誰もがわたしを見つめていた。慎重に答える。
「先にクリステル家の反乱を収めるというルカ様のお話もわかりますし、時間をかけるほどヘルが危ういということも理解します」
「では双方に兵を派遣すべきと思うのか? 戦力が削がれては、どちらも負ける可能性もある。それこそ最悪の事態だ」
ルカの言葉に、首を横に振った。
「兵はヘルへ派遣してください。クリステル家反乱へは、わたしが行きます」
「だめだ、何を考えている!」「それも、いいかもしれないな」ルカとオーランドの声が、ほとんど同時に重なった。
否定したのがオーランドで、肯定したのがルカだった。
「ルカ、イリスを危険にさらすのか」
オーランドがいつになく厳しい声を発したけど、ルカは温かみのある声で応じる。
「陛下、聖女に危険はありません。なにせ聖女なのですから――。イリスをクリステル家反乱へ派遣し、あの国賊どもに、聖女が味方するオーランド様こそが正当な王であると見せつけるのです。イリス、勝機を見込んでいるのだろう?」
「昨年開かれた友好国との軍事演習の際の模擬戦では、わたし一人で兵士に勝利しました。
クリステル家の周辺には、フォーマルハウト家に忠誠を誓う諸侯たちを配置済みでしょう? わたしはそこに、ほんの一押しをするだけですわ。
必ず、勝利を収めます。それに血を流さないとお約束します」
聖女として崇められているイリスが赴く以上、無血の勝利でないと、意味がない。
少し前までだったら、わたしの言葉なんて重さを持たなかった。だけどこの三年、ひたすらに国に尽くし、ロゼ=グラスにガモット家を起用し勝利に導いたわたしの言葉に、彼らは強く頷いた。
◇◆◇
ローザリア帝国の貴族たちは、自分たちの誇りを傷つけられることを何より嫌う。クリステル家討伐に赴いたのは、いずれもオーランドに忠誠を誓う貴族たちの兵だった。ルカは共にいたけれど、ファブリシオを含む大多数の有力者達は、ヘルへ向かっていた。
意外なことに、わたしと共にオーランドが来た。二人で馬を並べ、数万人の兵士らとともに国を移動する。皇帝と聖女がクリステル家討伐に出たという噂はまたたく間に広がり、人々の興味を引いていた。
クリステル家は、スタンダリア国王家、ソル家の支援を受けているのではないかと言われていた。彼らが時間をかけて帝都に向かっている様子を見るに、確かにそうなのかもしれない。スタンダリアのローザリア侵攻を、待っているような気がしていた。
北からクリステル家が、南東からスタンダリアが攻め、ローザリア本土を挟み撃つつもりだったに違いない。
けれど目論見が外れ、ヘルはただちに陥落しなかった。
上空に巨大な魔法陣が現れたとの複数の証言があることから、優秀な魔法使いたちがヘルに滞在していたのではないかと言われていて、彼らがヘルを守っているのだ。
クリステル家の軍勢と向かい合ったのは、中央から北部にかけての森林を抜けた先の平野だった。すでに彼らは皇帝側の諸侯たちに囲まれており、身動きは取れていない。
諸侯たちにしても、「攻撃は待つべし」というオーランドの言葉を、忠実に守っている。だから彼らは向かい合い、戦闘までの均衡を、保っているらしかった。
秋に差し掛かった晴れた空と、黄金色のすすきが風にそよぐ中、地面には兵士達の異様な熱気が渦巻いていた。
オーランドとわたしが合流し、皇帝家の旗を掲げた瞬間、こちらの陣営に、歓喜の声が湧き上がる。ずっと彼らはわたしたちを待っていたのだ。喜びは地響きとなり、周囲にこだました。
追い風はまだあった。わたしたちの後方から来た兵士達が、旗を掲げたのだ。それはまさしく、ローザリア教団の旗だ。司祭は政治不介入のはずだった。
側近がすっとんできて、オーランドに伝える。
「ヘイブン聖密卿から許可が出ました! シューメルナ教の旗でなく、ローザリア教団の旗ならば、掲げて良いと!」
これでオーランドは更に主張できるのだ。教団と聖女が支持する自分こそが、正統な皇帝であると。
ふいにオーランドは真面目な顔して言った。
「彼は随分と、あなたに甘い」
「陛下にでしょう?」
聖密卿はその国の出身者がなるという掟があるから、ヘイブンも結局、帝国民として首長を贔屓したいのだ。
オーランドはわたしの言葉には答えず、兵らに叫ぶ。
「所詮、スタンダリアは聖女を得なかった国に過ぎない! その支援を受けたクリステル家は国賊以外の何者でもない! この時代、このローザリアの皇帝である、このオーランドこそが、世界に認められた覇者だ!」
彼の瞳は、選民の栄光を受け輝いていた。降伏を願ったけど、クリステル家は微動だにしない。
勇気づけられた諸侯たちが好き勝手に動こうとする。
歩兵は突撃し、弓兵は矢を放った。統制なんて誰も取らない。
呼応するようにクリステル家も同じ動きをした。
血みどろの戦闘が開始されようとしていた。
だけど、そうはならない。そうさせないために、わたしはこの場所にやってきた。
空中を飛び交う幾万本の矢と今まさに交戦しようとする歩兵に向かって、わたしは、魔力を行使した。
――――初めに、歩兵たちが倒れていった。
次に、矢の動きを止める。
皇帝側の兵が放った矢はクリステル家の軍勢に届く寸前に空中で動きを止め、クリステル家が放った矢は、空間を繋ぐ魔法により方向を真逆に変え、やはり彼らの目の前で止めた。
魔力は無限のように感じていた。
魔法の制御、という点ではわたしは未だ得意ではないけれど、失敗はできない。ここまで莫大な魔法を実戦で使ったのは初めてだったけど、存外迷いはなかった。
深く深く、集中していた。
さっきまでの熱気は消え失せ、戦場は静まり返っていた。
兵士らを眠らせ、矢を止める。ここまではオーランドに話していたことだ。
だけどここからは、伝えていないことだ。わたしは馬を蹴り、駆け出した。
「どこへ行く! 何をするつもりだ」
背中の向こうから聞こえたオーランドの声に返事をする。
「一人で話してきます! 誰も付いてきてはなりません!」
馬を戦場の真ん中へと向かわせる。眠る兵士達の脇を抜け、すすきを抜け、空中で動きを止める矢の下をくぐり抜けた。
彼らに声の届く範囲までやってきて、わたしは叫ぶ。
「わたしは聖女、イリス・テミス! 今すぐ降伏しなさい。さもなくば矢を、あなたたちの頭上に浴びせる!」
瞬間、クリステル家側から、おびただしい量の矢が再び放たれる。
でも、何本放ったところで無駄なことだ。彼らが放った矢を、魔法により空間を繋げ、またしても彼らの目の前に出現させた。クリステル家側の兵士が、息を呑む音が聞こえた気がした。
手にはじとりと汗をかく。不安を誰にも気取られてはならないと心を鼓舞し両手で手綱を握りしめ、彼ら一人ひとりに向けて、なおも言った。
「降伏するならば、あなた方に危害は加えません! 命の保証をすると約束いたします! 交戦しても、あなた方は確実に負けます。戦うと言うのなら、目前の矢をそのまま放つ!」
もしそうしたら、数秒後に、確実に彼らは壊滅するだろう。
「選択しなさい! 理念なき死か、誇り高き敗北か!」
戦場は静寂に包まれ、わたしの声の残響がした。
初めは、生々しい息遣いが聞こえてくるだけだった。だけどやがて、ガチャリ、ガチャリと、兵らが武器を、地面に落とし始めた。
遥か背後から、歓声が上がる。
――武装解除だ。クリステル家の、降伏だった。
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